ひかる茜雲


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「塔矢アキラと言ったな、お前が今回の所業、過ちだったと認め、ヒカルを
諦め、2度と会わぬというなら許してやってもいい」

2人の間にいた、芦原は祈るようにアキラを見た。
この場限りでいい。アキラがそれを受け入れる事を強く願った。
アキラは膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。

「出来ません」

「なぜだ?お前がヒカルを拐わかし、無理強いしたのだろう。ヒカルの
本望ではなかったはずだ」

緒方の勝ち誇った言い分もアキラは首をただ静かに振った。

「それでも・・・。私には一生に一度の契りであり、ヒカルは伴侶です」

緒方は自分の中の血が一瞬で煮えたぎった気がした。
言うに置いて、しかも緒方の前でそう言い切ったのだ。
慌てたのは芦原だった。

「緒方様、恐れながら、二人は幼く恋というものをまだわかってはいないと・・」

「黙れ!!」

緒方は芦原に一喝してアキラを睨んだ。
そこにはすでに覚悟を決めたアキラがいた。

「緒方様、12と言えど、契りを結べば元服したも同じく、責任のとれる
立派な大人です。どうか処分を賜りますように」

緒方は煮えたぎる、腸で必死に頭を働かせた。
アキラの望みなど普通の「死」でさえ与えたくなかった。
絶望に落とし込まなければ気が済まない。

「確かお前の父、塔矢行洋は病で養生中だったな」

「はい」

アキラはなぜこの場で父の名が出たのかわからなかった。

「ならばお前に機会をやろう。
次のお城碁、お前が父に代わって登城しろ。
元服したというならば問題ないだろう。
そこで佐為と対局し、勝利したならばヒカルとの事は認めてやろう。
あいつを煮るなり焼くなり好きにするといい。
ただし、負けた時は切腹してその身でもって償って貰う」

真意を測るようにアキラは緒方を見た。
アキラを挑発するように緒方は笑った。

「最初の提案通り、お前がヒカルを諦めても構わんがな」

緒方はそう言った後、「今更だったな」と思う。
この少年ならば絶対にこの申し出を受ける確信がある。

「緒方様の申し出、ありがたくお受けします」

「ふん、せいぜい首をしっかり洗っておく事だ」

緒方はそう言って自分からその場を立った。
そうでもしなければこの場で切り捨ててしまいそうだった。

緒方がアキラの横を過ぎる前、アキラが緒方に声を掛けた。

「あの、緒方様、無礼を承知でお願いがあります。ヒカル殿にお目通り
を・・・どうかお許下さい」

深く頭を下げたアキラに緒方は目もくれなかった。
アキラと芦原の二人になった部屋で、一瞬の間の後、芦原も立ち上がった。

「アキラ殿、お見送りしましょう」

アキラは気丈であったが、その心情は芦原には計り知れなかった。僅か
12の子にあまりにも不憫であった。そして、大切な弟子の命がかかった対局
を受けなければならない佐為を想うと胸が重くなる。

優しい佐為殿ならば、アキラ殿を勝たせると言う選択もあるだろうが、それはこの
少年のプライドが許すまい。
まして将軍の手前とあらば、許されるわけもない。
もう2度とヒカルと会う事はないかもしれないのだ。

廊下を連れ立って歩き、人気のない場所で芦原は足を止めた。


「アキラ殿、ヒカル殿に逢わせる事はできませんが、御簾の外
からでしたら・・・。」

「良いのですか?」

「決して声を掛けないように」

こんな事をしたと知れたら芦原もどうなるかわからない。それでも敢えて
行ってくれた芦原の気持ちがアキラは嬉しかった。

「はい」

アキラは細長い廊下の端の物置のような部屋で待機させられた。

「このような所で申し訳ない」

声を小さく落とし、人差し指を口元で立てた芦原にアキラは無言で頷いた。


「ヒカルは今声を出すことがあまりできなくて。咀嚼も難しく粥や汁を
飲み込むのも精一杯です。
ですが、今日は起き上がる事が出来ました」

そう言って芦原は部屋の戸を閉めた。
ややあって、隣の部屋から微かに声が聞こえた。
何を話しているかわからなかったが。

押入れの戸が開き、アキラのいる物置から隣の部屋が微かに見えた。
くぐもっていた声がはっきりと聞こえた。

「ヒカルくん、風通したいからここの戸しばらく開けておくよ」

ヒカルの声はない。

「体調はどう?」

「あっ・・・ええ・・うん、お」

声というより、音だった。
それでもヒカルの声だとアキラは一瞬で気づき、胸がトクンとなる。

そのうち、芦原とヒカルの会話会話は筆談に代わった。

「昨日僕が持ってきた棋譜はもう読んだ」

『さ・くやよ・ん・だ」

芦原はアキラに聞こえるようにヒカルが書いた文字を一つ一つワザと声に
出して呼んだ。
そしてわざとらしく溜息を吐いた。

「昨日の晩僕が付かなかったら、そんな事してたんだ。また同じ部屋で
付っきり看病しなきゃいけないじゃないか」

笑い声に微かにヒカルの声が含まれてた。

「傷の痛みは?」

『碁・・を打つと・・・わすれる』のかあ。碁を打ってる間痛みがないなら手の空いた
奉公人たちをここに通わせようか?」

「えっと・・・『芦原さんは?』って僕は勘弁してくれよ。もうヒカルくんに4回も続けて
負けたんだよ。打ち込み碁でも流石に落ち込むよ」

その時ヒカルが体を揺らし、隙間からヒカルの表情が見えた。
ヒカルは布団に腰かけて、文字を書いていた。
ヒカルは顔色はけしてよくはなかった。
だが、微笑んでいた。

胸が小刻みに震える。
その胸をアキラはヒカルを空で抱きしめるように抑えた。

ホンの少し伸ばせばその身を抱きしめられそうなのに、声を掛けることすら
アキラには許されていない。
自分がここにいることさえ伝える事は出来ない。

ならば・・・と。
アキラは袂からヒカルの刀の下緒を取り出した。
あれからずっと肌身離さず持っていた。
それを部屋と物置の隙間に置いた。

『ずっと持ってると約束した』だから君に返すわけじゃない。
君を迎えに来るまで預かっていて欲しい。

だから生きて・・・僕を信じて欲しい。
絶対に勝って君を迎えに来る。

アキラはただ強くそう誓った。



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