屋敷に戻ると佐為の側用人はずぶ濡れの二人に驚いた。
「アキラ様もヒカル様もずぶ濡れではないですか、すぐに風呂と
着替えの準備致します」
中に入るように言われたが、このまま屋敷に上がるのは忍びなく
2人屋敷の軒下で待った。
その間アキラとヒカルは何も話さなかった。
ただ言葉が思いつかなくて、袂で隠すように互いの手を握りしめた。
雨はますますひどくなる一方で、このままずっと
降り続けばいいのにとヒカルは思う。
そうすればアキラとずっと一緒に居られるような気がした。
アキラと交代で風呂に入り、用意された浴衣に袖を通した。
その頃には少し雨風が峠を越えていたが、ヒカルは
今日はもう緒方の屋敷に帰るつもりはなかった。
ヒカルが部屋に戻るとアキラは目を閉じ碁盤の前に座っていた。
ヒカルは緒方から貰った刀を下ろすと碁盤を挟んでアキラの向かいに
腰を下ろした。
挨拶も交わさないまま打ち始めた対局はヒカルの中押し負けだった。
今まで打った中で一番悔しかった。
アキラともっと打っていたい。
アキラと並びたい。
アキラに認められたい。
アキラに勝ちたい。
だのに、今のヒカルでは力では到底及ばなくて。
「ちくしょう・・・」
声に出すと涙が溢れて来た。
泣いてばかりだと思いながらアキラを見るとアキラの瞳も濡れていた。
「どうしてお前が泣くんだ?」
「悔しくて・・・」
「ごめん、オレが不甲斐ないから」
「そうじゃない」
アキラは叫ぶようにそう言った。
「そうじゃない・・・んだ」
同じ事を繰り返したのに、2度目は言葉に力はなかった。
お互い口に出さなくてもわかってた。
どんなに互いに想っても2人はこの先一緒に生きていく事は出来ない。
「オレ、ずっと囲碁を続ける。そしてお前より強くなる」
しゃくりながらヒカルがそう言うとアキラも負けじと言った。
「僕も今よりもずっと強くなる。君には追いつかれない」
そう今の二人には信じるしかないのだ。
お互いの想いだけを、その想いの力だけを。
「ヒカル、僕と契りを結ぼう」
ヒカルの胸が震えた。
嬉しさとか切なさとか、詰まりそうになるその胸がアキラを好きだと悲鳴
を上げていた。
「うん」
ヒカルは頷くことしか出来なかった。
「どんなに離れても、もう2度と会う事が出来なくても僕らは
一緒だ。来世も来来世も永遠に」
「永遠・・・に?」
ヒカルが問うとアキラは頷いた。
不思議と、どんな時もアキラと繋がっていると思うと生きていけるような
気がした。
「ヒカル、その刀を貸してくれないか?」
緒方から貰った刀を、ヒカルは出掛ける時必ず所持してる。
ヒカルにはまだ刀の荷は重いがそれが武士の心得だと思っていた。
下緒ごとアキラに差し出すとアキラはその刀を鞘から抜いた。
刀の波紋がアキラを映すほどに綺麗だった。
アキラは刀の刃を自身の左腕に置いた。
「アキラ!!何するんだ」
止めようとしたらアキラが首を横に振った。
「違う。君と契りを交わす儀式をするんだ」
アキラは刃を腕に置くとすっと斜めに切った。その切り口から真っ赤な
血がジワリと流れ出る。
「君も出来る?無理強いはしないけど」
「やってみる」
刃を流す時、指が震えた。うまく出来ないかもしれないと思ったがすっと刀を
引くと痛みと共にうっすら血がにじんだ。
アキラはヒカルの左手を優しく持ち上げると唇を寄せた。
2人だけの神聖な儀式。
ヒカルはこうすることでアキラと血を分かち契りを結ぶことになるのだと
理解した。
そうしてアキラが終えた後、ヒカルも同じようにアキラの腕に唇を寄せた。
口内を切った時のような血の匂いと味がする。
だがこの血は自分のモノでなくアキラのもので、そう思うとぞくりと
血が騒ぐようだった。
アキラは浴衣の袂から手ぬぐいを取り出し、手で割いた。
「すまない。雨で濡れてしまって、湿ってるけど」
切った腕に巻かれた包帯にヒカルは慌てた。
自分は何も持ってはいなかった。
「構わない」とアキラは言ったが溢れる血をそのままにしておきわけに行かず
ヒカルは太刀の下緒を解いた。
「ごめん、こんなのしかないけど」
「いいよ、君の太刀の下緒なら、ずっと大切に持ってる」
お互いの傷の手当を終えると2人は抱きあった。
「これで契りを交わした事になるのか?」
「ああっと言いたい所だけど、もう一つしないといけない事があるんだ」
アキラは言いにくそうに口をつぐんだ。
「何だよ?」
勿体ぶるな、とばかりにヒカルが声を上げるとアキラは困ったように苦笑
した。
「肌を合わせ・・・。つまりその・・・目合うって事だ」
「まぐわ・・・う」
ヒカルは意味を悟ってかあっと顔を赤く染めた。
確かに緒方と情を交わす時もそうした。
とはいえ、緒方の時は緒方の思惑に乗せられてしまっただけの事で
そこにヒカルの意志はなかった。
「アキラ、ごめん、オレ緒方様と・・・・」
「わかってる。だから君が僕に応えられないことも。
君が不義だとわかっていても僕を好きだと応えてくれた事も。こうして
契りを交わしてくれた事も、僕は絶対に忘れないし、ずっと君だけを想ってる。
でもそれでも僕は君と目合いたい。心も体も君と一つになりたい」
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