恋愛のススメ

22








21話からの繋がりがすこぶる悪いですm(__)m すみません    


控室で待つ。
今日は最終局とあって、伊角とは紺色のコーディネートで合わせていた。

着るものなんて対局には直接関係ないと思っていたが、
和谷に『形から入るのは気構えとして大切』だと言われ伊角と
相談して決めた。

確かに、今伊角とシンパシーしているような気がするのだから不思議だ。

「進藤、何か飲むか?」

ともすればピリピリと張りつめた緊張感を伊角は和ませようとしていた。

「そうだな」

「コーヒーでいいか?」

控室にはポットとお茶、コーヒー一式は置かれていた。

「ああ、うん」

伊角からコーヒーを受け取り含んだ瞬間に『ああ』と思う。
伊角は何も言わなくてもヒカルの好みを良く知ってる。

中学生からの付き合いも8年になる。
佐為と塔矢の次いでヒカルが対局を重ねた相手かもしれなかった。
コーヒーを飲んで一息つくと、伊角が口を開いた。

「今日の対局、もしオレがノータイムになったら5分を切ったと思って欲しい」

「できるだけそんなギリギリはない方がいいんだけどな」

ヒカルは苦笑した。
これまで危なげなくこれたが、相手が塔矢と小林先生ではもちろん簡単ではないだろう。

「気負いはないか?」

「よくわかんねえかな。ただ意地張ってるだけじゃねえって事示しておかねえとな」

伊角と和谷には塔矢と距離を置いていることを話していた。

「そうだな、今日笑顔で終わって塔矢に会いたいもんな」

「そりゃちょっと無理じゃねえかな。お互い勝ちに行ってるん
だぜ。今日の今日じゃな」

負けたときの悔しさは誰より知ってるつもりだ。それは負けず嫌いの塔矢だってそうだ。

「どちらかが勝って負ける。当たり前の事だが、終わった後まで気負う事ないだろう。
今まで頑張ってきた事に健闘をたたえてもいいじゃないか。
進藤の意地だというならな」

ヒカルはここ2か月の事を思った。あっという間だったと言えばそうであったし・・・。

塔矢とは2度仕事が一緒になったが、仕事上の上辺の話しかしなかった。
塔矢もそういう距離を取っていた。
自分で言いだしたことながらそれが少し寂しくも痛みも
感じていた。
そうせざる得なかった塔矢はもっとだったかもしれない。

「対局後の事は今はとても考えられないけど、そうだな」

そうして今迎えようとしているこれからの対局に、
ヒカルはそういった感情で言い表せない胸の高鳴りを
感じていた。






伊角がノータイムになったのはまだ中盤だった。
ヒカルはその合図で対局時計を見た。きっちり残り5分。
塔矢たちのペアはこの時点で20分は残っていた。
後はもう感覚で打つしかなかった。
ノータイムになった猛攻に小林の手が緩む。
その隙を伊角がついた。
塔矢がすかさず手当をする。

『やれる』と感じた手ごたえは紙一重の危険も含んでいたが、考える時間はない。
打ち込んだ一手に塔矢の手が僅かに止まった。

ヒカルと伊角の持ち時間は2分を切り、相手に時間切れの意識さえ与えぬようにノータイムで打ち込む。
盤を見渡し、ここからの塔矢と小林ペアの反撃は難しいとうに思う。
もし勝ちに行くとすれば時間切れ狙いだろう。

『小林先生』

ふいに塔矢が小林に話しかけた。
ぺアとの会話は投了の相談しか許されない。
小林は時計に目をやり、躊躇したように見えた。もしヒカルの立場が逆ならここまで来て自分から負けを
認めたくはないと思う。時間切れだって勝ちは勝ち、負けは負けだ。
だが、小林はそれに静かに頷いた。

『ありません』

ヒカルは驚いて小林を凝視した。静かにそう言った彼女は僅かに顔を伏せる。

「ありがとうございました」

伊角の声に我に返りヒカルも『ありがとうございました』と頭を下げた。









対局後は別室でのインタビューがあり
伊角とヒカルの軽やかなトークで言葉数も自然と多かった。

「今日はお疲れ様でした。最後に伊角先生、進藤先生ペア碁優勝と日本代表になった記念にお二人の
寄せ書きサインをファンプレゼントしたいのですが」

「いいですよ」

サイン色紙は5組用意されていた。伊角がさらさらと書きはじめる。几帳面な伊角は一枚一枚に
一言メッセージまで添えていた。

「進藤も」

伊角が書き終えたサイン色紙をヒカルに手渡す。
達筆だが、くせのある伊角のサインの横にヒカルは出来る限り丁寧に書き込んだ。

「あのこれ抽選で5人にプレゼントするんですか?」

「そうですが、もし、もっと書いて頂けるなら、」

『二人の寄せ書きはファンからの人気も高い』と記者は両手を合わせた。

「もっと書いてもいいけど、この色紙オレも欲しいんだけど」

「ええっ?進藤が欲しいのか?」

思わず聞き返した伊角にヒカルは苦笑して頭を掻いた。

「オレが抽選に応募しても当たりそうにないから」

今まで伊角のサインが欲しいと思っても言い出すことが出来なかった。
憧れていたから。友達だったから。
でも今は、澄みきった青空のように晴れやかな気持ちだった。

「駄目かな」

「いや、オレは別に構わないが」

「わかりました。お二人に書いて頂けるなら、進藤先生の分も色紙を追加しましょう」

5枚が追加され、伊角はそれを受った後、ペンを止めた。

「あのオレも色紙を貰ってもいいですか?」

「伊角さんまで?」

「世界大会への意気込みに。オレも持っておきたいんだ。
進藤とぺアを組む事も、今回限りかぎりかもしれないし」

伊角はそう言うと持っていた色紙に『世界最強ペア』と、
書き加え、照れ臭そうに笑った。

「おっ、これいいな。オレのにも書いてくれよ」

「わかった。オレの方は進藤に頼む」

お互いのサインと想いを寄せ書きに書くと記者が笑った。

「いいですね、お二人でこの色紙を持った写真を撮りましょう。
今のやりとりも記事にしますね」

「そういうのはいいよ、後で見たとき恥かしいって」

「大丈夫ですよ」

照れ臭くも伊角と一緒に撮った写真は誇らしかった。





二人がインタビューを終えて退出すると部屋の前に和谷がいた。

「伊角さん、進藤、おめでとう!!」

「なんだよ。ひょっとしてそれ言うために待ち伏せてたのか?」

ヒカルは照れ隠しにそう言ったが、伊角は『ありがとう』と和谷に笑顔で返した。

「仕事が早く終わったからひょっとしたらまだやってるかと思って来たけど。1階で塔矢と、小林先生にすれ違ってさ」

それで少なくとも棋院を出るまでは塔矢が小林と一緒だったことはわかった。

「何か話したのか?」

「挨拶だけな。その時はどっちが勝ったか知らなかったし、話し掛け辛えだろ。
まあ、伊角さんと進藤が勝つって信じてたけどな」

「和谷はそう簡単に言うけどな」

苦笑する伊角にヒカルは口を尖らせた。

「もう悪かったな。オレが時間使いすぎで」

「いや、進藤の最後の猛攻にオレも引っ張られた。和谷ホントすごかったんだぞ」

「そうなのか?棋譜みせてくれよ」

「お、そうだな。今から検討会でもするか。和谷も伊角さんもこれから予定ねえだろ?
その後は打ち上げでもしようぜ!!」

伊角と和谷は顔を見合わせると二人同時に溜息を吐いた。

「進藤オレたちとつるむより、今日は塔矢のとこに行ってやれよ」

「あいつは今日の対局者だったんだぜ。それに小林先生と一緒かもしれねえだろ」

「実は進藤そっちの方が気になってるんじゃねえのか?」

「そっちって?」

『わからねえかと』和谷が呆れたように言う。

「塔矢と小林先生の事だよ」

「別に気にしてねえよ」

軽口を言ってみたものの強がりがあった。
対局前に肩を並べていた塔矢と小林先生に苛立ちもあった
のだ。
一瞬の事で対局が始まったら感情も忘れるほどだったが。
それが嫉妬だと言う事もわかってる。

ふいに鞄の中でメールの受信が鳴った。
無視してやり過ごそうとしたら、和谷に咎められた。

「進藤、塔矢からじゃねえのか?」

「なんでもかんでも塔矢にするなって」

うっとうしく鞄から携帯を取り出すと送信者は本当に塔矢だった。
二か月ぶりのメール。



【おめでとう。待ってる】

短いメッセージは携帯を立ち上げなくても読むことができた。
今まで押し込んでいた想いが湧き上がってくる。

和谷が携帯を覗きこむようなしぐさをした。
本当に見るつもりはなかったんだろうが、
咄嗟に隠したのは、気恥ずかしさがあったからだ。

「面倒くさいやつだな。」

「面倒くさいってなんだよ!!」

怒鳴ると伊角が子供を宥めるようにポンポンとヒカルの頭を叩いた。

「塔矢がいたからここまで来れたんだろう。塔矢はきっと進藤を待ってる」

和谷からも伊角からも背中を押される。
握りしめた携帯のメッセージから塔矢の想いが溢れていた。

「うん、ありがとう。伊角さん、和谷」



二人と別れて歩き出すと自然と足が速くなる。
信号に足を止められ、ふと目にしたショーケースにそれが収まっていた。

ほとんど衝動買いちかく買い込み、それを胸に抱きヒカルは塔矢のもとに向かう。

心はもうそこへと飛んでいた。




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