恋愛のススメ

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アキラとの待ち合わせの場所、時間が近づいてくる。
車窓の過ぎてゆく景色を眺めながらヒカルは溜息を吐く。


緒方の言った事は気にすることないと思いながら、心に
閊えてる。


『あの時負ければよかった』

あの時の塔矢の言った言葉は今も激しい憤りと悔しさを
覚えてる・・・が。

あれは『オレを好きだったから』そう言ったわけじゃないはずだ。
あんな勝ち方をした事が許せなかったのだと思いたかった。

「ダメだな」

1人ごとをつぶやきそれが車内だったことに気付き、ヒカルは
何度目かわからない溜息を吐いた。
塔矢に会うのが嬉しいような、怖いような、今の感情がわからない。

列車が緩やかにブレーキを掛け、駅に滑り込む。
扉が開いた瞬間ヒカルは大きく息を吸い込んだ。




駅を降りるとすでに塔矢は待ち合わせの場所に来ていた。
ヒカルに気付くとはにかんだような笑みを見せた。
そんな塔矢の笑顔は始めてみたような気がした。

「塔矢、おかえり」

「ただいま」

「疲れはないのか?」

「流石に昨夜は良く寝たな。君は?」

「オレ?」

「ここの所の調子はいいようだけど」

「まあまあかな」

遠目では塔矢の顔を見る事ができたが、近づくとどうしていいかわからず会話はどこか 上の空だった。何気ない会話の中に手さぐりのもどかしい距離があった。

「行こうか」

「ああ」






塔矢はすでに3件にマンションを絞っていた。どこも真新しく、静かな住宅街の中で、ヒカルは塔矢らしい気がした、

3件目の物件は少し高台にあった。駅から徒歩10分の道のりは坂道で少し汗ばんだが、 8階のモデルルームからの眺めは最高だった。

「部屋を自由に見ていい」と担当者に言われヒカルはベランダに出た。アキラがヒカルの隣に立つ。
ここまで歩いてきた道路が、鉄道が眼前に広がっていた。

「ここいいな」

「君だったらこのマンションにする?」

「そうだな、あの坂はちっときついけど駅から遠いわけじゃ
ねえし。棋士は運動不足だからあのぐらい毎日歩いたら
どうだ?」

担当者がベランダに顔を出した。

「ご夫婦で暮らすにはとてもいい物件ですよ。ここは子育ても充実できる工夫がされてますし」

ヒカルはそれを聞いて顔を真っ赤に染めた。

「いや、あのオレたち・・・」

小声で「そんなんじゃない」と言おうとしたら、アキラが言葉を挟んだ。

「ありがとうございます」

塔矢はそう言って、ベランダから出てその担当者と話し始め、ヒカルは話がひと段落つくのを見計らってヒカルはアキラに小声で聞いた。

「どうするんだ?」

「実際少し迷ってる。ここはいいと思ったんだけど、6階から上は売却が決まってるそうなんだ」

「5階じゃ駄目なのか?」

「5階もいいですよ。まだ売却が決まっていない部屋を見に行かれますか?」

担当者の提案にアキラが頷いた。

「構わないですか?」

「もちろんです」



アキラはその部屋の鍵を受け取った。
二人で自由に見てきていいと言われモデルルームを出てエレベーターに乗り込むとヒカルはアキラと二人になった事
を急に意識した。

ヒカルはアキラに恋愛感情を持ち始めている。

同時にそれはライバルとしての塔矢との関係を阻害するものかどうか考えてしまうのだ。
緒方が言った事も含めて、
あかりは『ライバルで恋人なんて素敵じゃない』と言ってくれたが高みを目指すライバルとして、恋愛は邪魔にはならない
だろうか?
塔矢はどう思っているのだろう?

考え事をしていたらふいにアキラが立ち止まった。

「ここだね」

部屋は505号室、塔矢におあつらえ向きな気がした。


当然ながら中はがらんどうで何もなく、上のモデルルームと同じ間取りのなのにやけに広い気がした。
ヒカルはそのまま靴を脱ぎベランダまで歩いた。
流石に8階程の眺めはないが、それでも高台の立地で十分じゃないかとヒカルは思った。

ベランダに素足で出たヒカルの横にアキラが立った。

「ここにしようかな」

「うん、いいんじゃねえか」

そう相槌を打った後、会話が途絶えた。
お互いの距離感がなんとなくもどかしく、それでいてこれで好いような不思議な感覚に 囚われる。


「なあ、塔矢、お前さオレの事どう思ってる」

聞いてしまった後、ヒカルはしまったと思った。こんな所で『好き』などと返されたら 恥かしくて堪らない。

「それは・・・」

「いや、ちょっと待て、じゃなくて」

ヒカルはアキラが返事する前に慌てて言葉を遮り、テンパってる自分を心の中で制した。

「恋愛感情じゃなくてさ、プロ棋士としての『進藤ヒカル』をどう思うかって事」

「僕にとって君はかけがえない、唯一無二の存在だ」

それは『好きだ』と告白されるよりも照れ臭かった。

「それは恋愛感情・・・じゃねえよな?」

「どうして?恋愛感情に拘るの」

「それは、その・・・」

『ライバルとして自分を認めてくれているか?』と問いたかったが
流石に自意識過剰な気がして聞けなかった。

「公式手合いでもプレイベートでも君と対局すると心が躍る。高揚感がある。高みを目指し妥協も許さない精神の極限で君と戦える」

「それはオレと対局する時だけなのか?」

「他の棋士と対局しても確かに感じる事はあるよ。
でも君は特別なのだと思う。僕は君を愛してるから。
君と極限で戦えるのは悦びなんだ。その瞬間君を感じるから」

ヒカルはかっと体中の血がいっきに沸いたような気がした。

「ひょっとしてそんな事を考えながら対局してたのか!!」

「その瞬間は必死だから。でも自分の心は誤魔化せない。君との対局後は放心してしまうこともある」

「塔矢・・・」

嬉しさとともに恥ずかしさが湧き上がる。
ヒカルは今しがたの塔矢との会話で緒方の言ったことなど、どうでもいいような気がした。ヒカルの望む塔矢を演じてるとか、どうとか関係ない。
塔矢はやっぱり塔矢だ。
そして『ライバルである事』と、『恋愛感情』を
切り離さなければとずっと思ってた自分が少し軽くなった気がした。


「オレはさ、ライバルである事と、恋愛は切り離さなきゃって
思ってたから。けどなんかお前の話聞いてるとさ・・・」

ヒカルは照れを隠すように笑った。

「それは僕に対して恋愛感情を抱きはじめたという事だろ
うか?」

そう言った塔矢の声は僅かに震えていた。
ドキドキ胸が鳴る。どう応えていいかわからず返さないでいると、再びアキラが口を開いた。

「それとも君が今まで抱いてきた恋愛感情に対してなのか?」

まさかヒカルが『伊角に抱いていた感情』を塔矢が知ってるかのごとくだった。

「オレ、お前の事たぶん好きだと思う。けどライバルとして、今まで必死だったからよくわかんねえんだ」

塔矢の指がヒカルの指に触れる。まるで塔矢に心の中を触れられたように胸が震え、指が絡められる。

恥ずかしさで塔矢の顔が見られなくなる。でもその手を離そうとは思わなかった。





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16話のラスト何度も書き直しして(苦笑)
ここで止まったのはこの先の展開上もあるからなのですが。
内心キスぐらいしろ!!とその展開も描きボツりました(爆)






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