あのパーティからの数日後。
土曜の昼下がり、ヒカルが自宅で棋譜の整理をしていると携帯がメール受信を知らせた。
それはあかりからだった。
「いま家?」
短いメールに『いる』とだけ返信するとその30秒後にはインターフォンが鳴っていた。
『あいつ』
十中八九あかりだろう。
ヒカルは両親が出かけてる事を思いだし、PCをそのままに階段を下る。
扉を開けるとふて腐れ目を吊り上げたあかりがそこにいた。
「どうしたんだよ。あかり!?」
「どうもこうもないよ!!」
あかりは甲高い声でそう言って、『全く』と溜息を吐いた。
言いたいことがあって来たのは間違いなかった。
「入っていい?」
「ああ、オレだけだしリビングでいいか」
リビングのソファを勧めて、ヒカルはボタン一つでコーヒーを沸しテーブルに置く。
その時にはあかりが鞄から出した最新号の囲碁雑誌がテーブルに置かれていた。
「早いな、5月号もう手に入れたんだ」
「今朝うちに届いたの」
あかりは言うなり表紙をめくった。
「何かオレの事載ってたのか?」
「ヒカルこれどういう事?」
あかりが示したページは先日のパーティの記事で
ヒカルと緒方が並んで映っていた。
カラーの見開きで二人シャンパングラスを傾け笑っていた。
タイトルには『囲碁クィーン初ドレス姿披露、緒方十段と談笑』
記事には『黒と白』で会場を魅了。『お似合いの二人』などとと書かれていた。
「なんだよ、これ!!」
「ヒカルこの記事知らないの?」
「知らねえよ、オレまだ持ってないし」
「そうじゃなくて、記事になる時って本人に許可を取ったりしないものなの?」
この記事は先日のパーティの時のものだ。こういうイベントでは前もって写真や
コメントが記事になる事を承諾してる。
「こんな一つ一つの記事にはしないさ、写真やコメントは前もって承諾してるし」
「そうなんだ」
あかりもそれで察して「でも」と語気を強めた。
「ヒカル、こういうの嫌じゃないの。塔矢くんだって見たら気を悪くするよ」
当たり前だ。そうでなくても緒方との噂はなかなか消えない。中には本気で交際してると思ってる関係者もいて、この記事も冷やかしかもしれないと思う。
ヒカルは雑誌を前に溜息を吐いた。
「この日はさ、ちょっとあったんだ」
ヒカルは頭を抱えるしかなかった。
ワケを話すとあかりが表情を曇らせた。
「ヒカル、この間はあんな事言ってたけどやっぱり緒方先生は気を付けた方がいいよ」
「わかってるよ」
伊角や和谷にも口すっぱく言われ続けてる。
「わかってないから、こういう事になるんでしょ」
あかりは何度目かわからない溜息を吐いた。
「でも塔矢くんとその晩二人で過ごせたのは緒方先生のお陰ってのもあるよね」
「はあ?何でそうなる」
「嫉妬が恋愛を育む事もあるって事。もしヒカル立場が逆だったらどう?塔矢くんが他の女性に気を許したりしたら。嫌じゃ
ない?」
考えた事もないことも言われヒカルは「あー」と声を上げた。
「ごめん。ちょっと考えにも及ばなかったかも。けどそうだよな。塔矢は結構モテるし、嫌かも」
「うん、独占欲が出てきたって事はヒカルも塔矢くんを好きなんだよ」
ヒカルは頬を染めた。自覚は少しあった。
ふと塔矢はどうしてるだろう?と想い耽る事も増えた。
それにキスされた時の事を巻き返すように思い出してしま
うのだ。
あんなに恥ずかしかったキスも、胸がドキドキ高鳴りどうしていいかわからなかった。
「まあ、嫌いじゃねえよな、どちらかと言うと
す・・・きかも」
語尾を誤魔化すとあかりはからからと笑った。
「全く素直じゃないんだから」
「塔矢には言うなよ」
「言わないよ。そんな機会もないし。それにそれはヒカルが塔矢くんに伝えることでしょ」
「言えるか、そんな事」
「言わないとわからないこともあるでしょ、塔矢君が勇気を振り絞ってヒカルに告白したんだから
それぐらいはヒカルもしないと」
そこまで言ってあかりはヒカルの顔を覗き込んだ。
「それで、ホテルで二人で一晩泊まって何もなかったの?」
あかりはひどくいたずらっぽく聞いてきてヒカルは、内側から湧き上がったあの時の恥ずかしさを思いだし取り繕った。
「何もないよ」
手に持っていたカップが僅かに揺れる。
「ふ〜ん、ヒカルは嘘が下手よね」
「はあ、本当だって何もないからな!!」
「随分必死だけど?」
ヒカルは思わず『うっ』と声を詰まらせた。
この話題から話を逸らすためヒカルはあかりの空いたカップを持って立ち上がる。
コーヒーを継ぎ足して戻ってきたヒカルにあかりは苦笑した。
「塔矢のやつ一人暮らし始めるとかで、今度あいつに付き合うんだ」
「付き合うって?」
「オレも良くわからねえけど、一緒に見てほしいってことじゃねえかな」
アキラは海外への長い遠征中で明日帰宅する。その後3日の休みを挟んで今度は
各棋戦、リーグが始まる。
「それって、ヒカルと一緒に暮らしたいってことじゃないの?」
「そんなんじゃねよ。あいつは1人暮らしするって言ってるんだから」
あかりはコーヒーを含み思案するように頬杖を突いた。
「ヒカルもとうとう塔矢くんのものになっちゃうって事かな」
「な、なんでそうなるんだよ」
「塔矢くん焦ってる気がする。緒方先生の事もあったわけだし。
考えすぎかもだけど。ヒカルも塔矢くんに気持ちはちゃんと伝えてあげないと」
焦るようなそぶりはアキラには感じなかった。キスをされた時もアキラには余裕すら感じた。
翻弄されてるのはヒカルだ。
けれど告白された時、塔矢には全く余裕はなかったし焦りもあったと思う。
「そんなのはタイミングがいるから」
「難しく考える事ないと思う。塔矢くんから言われたら、そう返せばいいのよ。
だったら簡単でしょ?ただまあその時はある程度覚悟はしておいた方がいいとは思うけど」
いたずらっぽくそう言ったあかりにヒカルは盛大に溜息
を吐いた。
「そういう冷やかしはいいよ。オレよくわかんねえし」
実際良くわからなかった。なってみないとわからないと言うか。
ただヒカルは中学生のころから男社会におり『性』に対する話題に免疫はあった。
院生と言えど思春期の男子が話題にするのは、下世話な下ネタも多くそれが日常になっていた。ただの耳年増なのだが。
ただ塔矢は想像つかなかった。反面男はそんなものだろうと言う認識もどこかあった。
「じゃあ私からの最後の質問」
「ヒカルは塔矢くんの子供を産んでもいいと思う?」
「はあああ??」
唐突程の質問にヒカルは顔を真っ赤に染めた。
「あかりは何でそんなに話がぶっ飛ぶんだよ。付き合ってるだけだぜ?」
「大事な事でしょ。二人とももう大人なんだし、もちろん塔矢くんには言わないから」
「当たり前だろ」と怒鳴りながらヒカルは今の思いつきを口に
した。
「塔矢とオレの子なら男でも女でも強くなるかもな。ひょっとしたらオレや塔矢のいいライバルになるかもしれねえし、それは面白いかもしれねえよな」
「何よ、それ」
あかりは吹きだし大笑いした。
「何ってあかりが聞いてきたんだろ!!」
「そうだけど」
あかりは笑いすぎて涙まで出ていた。
ヒカルは間が悪くなってぷいっとそっぽを向いた。
「ごめん、ごめん、ヒカルらしいなって思って、
塔矢くんはお父さんも名人だったもんね。塔矢くんはお父さんをライバルと思ってたりするの?」
「ライバルと思ってるかどうかはわからないけど、先生の事は1目置いてると思う。オレだって塔矢先生は尊敬してる」
「そっか」
あかりはそう言って唐突に立ち上がった。
「ごめんね。今日は突然来て」
「いや、まあ別に」
「記事を見て心配になったけど、すごく安心したから帰る」
あかりの『すごく安心』が逆にヒカルには不安だった。
「私囲碁の事も塔矢くんとの事も応援してるから」
あかりの応援は無償でいつも力を貰ってる。
「サンキュな」
あかりを玄関で見送った後ヒカルは長い溜息を吐く。
全くあかりは忙しく、全くおせっかいで、そう思いながらも
感謝はしてる。
立ち上げたままにしていたPCにアキラからメールが入っていた。
メールには明日予定通り帰国すること、明後日からのヒカルの予定の確認と
マンション探しに付き合って欲しいとの内容があった。
中休み3日で大事なリーグ戦と棋戦が続く。疲れもあるだろう。
パーティの日も自分の事よりヒカルを優先してくれた事を思うと、それぐらいは塔矢に 付き合ってもいいと思える。
ヒカルはメールを返信した後、整理しかけていた棋譜をそのままにPCを閉じた。
どんな顔をしてアキラに遭えばいいのか、わからなかった。
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