恋愛のススメ

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アキラが会場に入ったのはまもなく閉会という時間だったが、
アキラの入場で会場は沸き立った。
舞台で紹介を受け、簡単に関係者に挨拶をして回っていると、和谷と伊角が挨拶を交わすふりをしてアキラに近づいた。

アキラもその意図にすぐ気づく。

「大丈夫です。今は1人の方が落ち着くだろうと思って」

笑顔で答えると和谷は声を落とした。

「途中退室は「仕事」って事にした。報道で気付いた人もいたみたいだけど」

囲碁記者は芸能記者とは違うのでそう言ったマイナスのイメージはまずファンに向けて発信しない。
進藤が体調崩して退室している事が明るみになっていないことにアキラはほっとした。
これも和谷と伊角の気転だろう。

「ありがとうございます」

閉会の挨拶準備が始まり、アキラは二人に一礼して、壁側をちらりとみると緒方と目があった。アキラが会場入りをしてから視線は感じていたのだ。
アキラは向きをくるりと返ると緒方の元に歩いた。どうしても緒方とは話をしておかなけらばならなかった。

アキラが近づくと緒方はワゴンからグラスを取りアキラに差し出した。

「来たばかりでまだ何も口にしていないだろう」

「いえ」

短く断って、閉会準備中の檀上を遠目で見上げた。正確には見ているふりをしただけだが。

「それであいつは落ち着いたのか?」

「お陰さまで」

「いわゆる『月』のものか?」

緒方の意味深な物言いに、アキラは怪訝に顔を顰めた。

「ツキ?」

「知らないのか?」

『何の事か』と聞くのはプライドが躊躇われた。まして相手は緒方で。
だがそんなアキラの心境など緒方はお見通しのようだった。

「進藤は生理痛がきつい。薬を服薬しないと寝込む事もある
と言ってたが。
付き合っているのにそんな事も知らなかったのか?」

なぜ緒方がそんな彼女のプライベートの事まで知っているのか、まして女性特有の月経など余程でないと知るはずない事だろう。

アキラは進藤の何も知らないことに歯噛みした。
同時に緒方に対する嫉妬と怒りが煮立つ。
緒方はそんなアキラに薄ら笑みを浮かべた。

「いつも一緒にいる二人連れのあの背の高い方だとばかり思っていたが」

緒方は視線を檀上のままぼそりと言った。『進藤が付き合ってるのが?』
それとも『進藤が好きなのは?』

はっきりと緒方が言わなくてもその意図は取れた。
緒方はよく見ている。

「進藤と付き合ってるのはこの僕です」

お互い視線は合わさない。司会の進行で閉会の挨拶が始まっても何食わぬ顔でいた。

「・・・の割にはまだまだじゃないか。あいつの方がよっぽど進藤の気心がしれてる」

そう言って緒方が示した先には伊角の姿があった。
伊角に凭れかかったあの進藤の表情は脳裏に焼き付い
ていた。アキラは唇を噛む。

「緒方さん、あなたは何を考えているのですか?」

「落とそうと思う」

アキラは思わず緒方の横顔を見上げた。
少し笑みを浮かべたその表情は酔いのせいか少し高揚しており余裕さえ感じた。

「本気で言っているのですか?」

「本気だ」

緒方の本気がどの程度のものかアキラにはわからなかった。
元々飄々した性格であったし、女性を落とす時は普段から「本気だ」とも公言していた。

「随分警戒され怖がられていますが、気づいてないのですか?」

アキラは嫌味を込めて言った。けれど心身に余裕などない。
手先は怒りで震えていた。

「オレを意識してるからだろ。それだけオレに畏怖を感じていると言う事だ」

よくそんな事が言えるなとアキラは呆れたと同時に、警戒心がより強くなる。

「絶対に貴方には渡しませんよ」

「それはどうだか。普段喧嘩ばかりしてるお前らの事だ。楽しみにしてる」

その時、閉会の挨拶が終わり、会場が拍手に包まれる。緒方は手を高らかに叩くとアキラの前から立ち去った。

緒方の宣戦布告にアキラは手を強く握った。不安になる。
今まさに部屋に行き彼女を
抱きしめ、自分だけのものにしてしまいたいと、危険な感情が湧き上がりそうになる。

アキラが自分の心の弱さに戦慄いていると「大丈夫か?」と和谷が声を掛けてきた。
アキラは声を掛けられるまで和谷の存在に全く気付かなかった。

「今、緒方先生と話してたろ?何か言われたんじゃないか」

「ええ」

和谷は勘が良い。

「進藤の・・・事をか?」

『進藤』の所は声を落とし、アキラはそれに小さく頷いた。

「気にすんなよ。あいつは『緒方先生と今後先もどうこうする事は絶対にない』って 、言ってたぜ。
ただ今回みたいな事をやってくるとな。進藤にも警戒してもらわねえと。全く先生の意図に感づいちゃねえんだから」

「未然に防げたのは和谷さんと伊角さんのお陰です」

「オレだって嫌なんだ。あの先生のやり方であいつが傷つけられるのは」

そんな話をしていると前方から伊角が二人に近づいてきて、自然と会話が途切れた。
伊角が手に持っていた紙袋をアキラに差し出した。

「塔矢これ、進藤も塔矢もほとんど何も食べてないだろう?
本当は持ち帰りは不味いらしいが、ホテル内で今日中にという条件で詰めてもらったから」

アキラはそれを素直に受け取った。

「ありがとうございます」

その間にも伊角の背を呼び止める声がして伊角は
「すまない、また」と一言を置いて去っていた。

その後ろ姿を見送り、アキラはぽつりとつぶやくように言った。

「さっきの話、伊角さんですか?」

和谷はややあって『ああ』と頷いた。

「お前に言うべきじゃなかったか」

アキラは横に首を振った。

「いえ、知って良かったです」

伊角は同性のアキラから見ても好青年だと思う。
真面目で面倒見もよく何より優しい。

進藤が魅かれたとしても何の不思議もないように思えた。
胸の奥が痛むのは、自分にないものを伊角が持っているから
かもしれないと思う。
緒方に対してとはまた違う嫉妬だった。
けれど知ってよかったと本心から思ってる。

「和谷先生今日はありがとうございました。僕はこれで」

「ああ、引き留めて悪かった」

アキラは首を横に振り、もう1度感謝を込めて深く会釈した。




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すみません。1週間でなく2週間も開けてしまいました(滝汗)
さあ後半戦?がんばろう!!





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