アキラはまず会場からほど近いトイレを当たった。
思った通りそこに伊角と緒方そして女流の桜野の姿があった。
近づこうとしてアキラの足が自然に止まる。
黒のドレスに身を包んだ女性が伊角のその胸に凭れこん
だのだ。
前髪で進藤とわかった瞬間胸が止まりそうになった。
アキラは瞬時に悟った。
和谷が言っていた進藤が好きだった相手は伊角であることを。
隣から緒方が何か伊角に話しかけ伊角は困ったように顔を顰めた。
アキラは拳をぎゅっと握り歩き出す。
今のアキラの心境は嫉妬とも怒りとも付かない感情だった。
いち早くアキラの存在に気付いたのは伊角だった。
「進藤、塔矢が来た!!」
伊角の胸から僅かに顔を上げた進藤の顔色は真っ青だった。
「塔矢?」
アキラの顔を確認し、その表情が僅かに綻ぶ。
「進藤遅くなった」
体裁を保つ為感情は押し込めた。今は自分の感情よりも進藤の事だった。
「少し横になったら良くなりそうだっていうんだけど」
伊角はそう言って声を落とした。
「緒方先生が今日部屋を取ってるからそこを使ったらいいって
言ってくれたんだけど・・・進藤が」
最後は小声でアキラも伊角の口の動きでわかった。
それだけはアキラも絶対に嫌だった。
「進藤もう少し待っててくれないか?」
進藤は伊角の腕の中で小さく頷いた。
それにどうしようもなく嫉妬を覚えたが、そんな事よりも今は進藤を早く楽にさせてあげる事と安心させる事が先決だった。
「伊角さん、もう少し進藤を頼めますか?」
「もちろん、それは構わないが」
「部屋を取ってきます。それから」
とアキラは僅かに緒方を見上げた。
「緒方さん・・・これ以上進藤に構わないで下さい」
冷静でいようとしたが声が震えた。怒りが理性を超えていた。
部屋を取って、戻ると緒方はそこにおらず、変わるように和谷と伊角がいた。
「二人ともすみません」
「何言ってるんだ。それより部屋は?」
「取れました」
「そっか」
「進藤歩けるか?」
「うん」
真っ青の顔の進藤を伊角の腕から受け取る。
抱いた肩は震えていて、アキラは僅かに力を込めた。
部屋まで伊角と和谷が付き添ってくれ、どうにか進藤をベッドに運んだあと和谷は買ってきた薬やらドリンクと、進藤が掛けていたというスカーフをアキラに渡した。
「役に立つかどうかわからねえけど」
「ありがとうございます」
一旦部屋を出て行こうとした和谷が立ち止まる。
「塔矢は大丈夫か?」
「僕ですか?」
「ああ」
アキラの苛立ちを和谷は感じていたのだろう。
「緒方さんに怒りを覚えますが、今は進藤の事が先決です」
本当はそれだけではなかったが、進藤が今ここに居ることだけは救いようがあった。
「オレがいたのに」
声を落とした伊角に和谷が『全くだ』と続ける。
「緒方先生には用心するように伊角さんに言ってたのに」
「伊角さんのせいでもないですよ。
それに二人には礼を言わないと。
お二人がいなかったら今頃進藤は緒方さんの部屋だったかもしれません」
こういうやり口は緒方の常套手段だった。
これと思った相手は遊びも含め油断させて落とすと言う。
以前ゲーム感覚で女を落としているとアキラは緒方から聞いたことがあった。
同業者は相手にしないと公言していたから
進藤をターゲットにするとは思っていなかったが。
少なくとも最悪な事態は避けられたと思ってる。
「進藤はそれだけは嫌だと言ってた。塔矢がもうすぐ来るって
言ったらほっとしていた」
伊角のその言葉は少し嬉しい反面、本当だろうかと疑いたくもなる。進藤のあんな姿を見てしまったのなら。
「そうですか、ありがとうございます」
「塔矢お前も進藤が落ち着いたら少し会場に顔出せよ」
「ええ」
二人が部屋を出た後、アキラは寝室へと入る。ベッドに転がった進藤は無防備で僅かにドレスの裾が捲れ、苦しかったのだろう。外されたホックから僅かに胸が空けて見えた。
和谷からもらったコンビニの袋をテーブルに置き、彼女のスカーフに目をやった時、どうしようもない感情がアキラを支配した。
怒りの矛先のやりようがなく、湧き上がってくる彼女への想いはもう止まらなくてこのまま進藤をここに閉じ込め、思うまま自分のものにしてしまいたいと湧き上がる。
おそらくこんな感情もアキラに『大丈夫か?』と問うた和谷には見透かされていたのかもしれない。
けれどそれは進藤にも、アキラに託してくれた和谷と伊角に対しても裏切りだ。
アキラは大きく頭を振りかぶり顔を落とし、進藤に布団を
掛けようとした。それに進藤が目を開ける。
「塔矢」
横になった進藤がベットから僅かに起き上がった。
ホックの紐がドレスの腕から落ちる。
アキラは視線に困ったが平静を装った。
「進藤大丈夫か」
「酔いだけじゃなくて、足も辛かったんだ。解放されて少し楽になった」
無造作に脱ぎ捨てられたハイヒールに、アキラは納得した。進藤がいつも履いているのはスニーカーかローファーだった。
「悪かったな。せっかく出張早めて帰ってきたのに」
「いいよ。むしろ来てよかったっと思ってる」
「最近の塔矢優しいよな」
そんな事を言われると思ってなくてアキラは苦笑した。
「そうだろうか?」
「そうだよ、以前だったらお前に怒鳴られてた」
「これでも君の特別であるように努力してる」
「それで、言いたいことを我慢してる、とかそんなじゃねえよな」
それはないとは言えなかった。
「最近、口やかましい事を言うのも、口げんかもしないように心掛けている。
でもそれは我慢じゃない。少しでも一緒に居たいんだ」
「ばっ、小っ恥ずかしいだろ」
進藤は顔を赤く染め、アキラから視線を逸らした。
そんな彼女が可愛いと思う。
本当は我慢してる事は沢山ある。今だってキスしたいと、抱きしめたいと思う。
でも受け入れてもらえるだろうか。許してくれるだろうか?
君は僕の事をどう思っているのだろうか?少しは友達から関係は進んだのだろうか?
アキラは思い直して小さく溜息を吐き、テーブルの上のコンビニの袋を示した。
「そうだ。和谷くんが酔い止めに薬やドリンクを買ってきてくれたんだ。飲む?」
「うん」
そう言って進藤は自分がまだドレスだったことに気付いた。
「まずいよな、このまま寝たら帰る時着るものねえかも」
「クロークに着替えを預けてないの?」
「預けたのはコートだけだ」
「取りあえずホテルの備え付けの寝巻に着替えたらどう?」
アキラは浴室に探しに行き寝巻をベッド脇に置いた。
「少し部屋を空けても君は大丈夫?」
進藤が着替える為にも少し部屋を空けた方がいいのだろうと
アキラは思う。
「ああ、本当にごめん、パーティ会場に顔もだしてないだろ?」
「もともと僕は今日は欠席予定だったからいいんだ」
「ありがとう、塔矢」
アキラは彼女の金の前髪をかきあげ、おでこに触れる。熱が少し籠っていた
「塔矢の手、冷たくて気持ちいい」
ドキリとして、その手を放した。無防備にそんな事を言われると
また、要らぬ意識をしてしまいそうになる。
進藤がベッドに横になる。
「オレもう少しここで寝ててもいいか?」
「この部屋明日まで取ってるから気にしなくていい。君のコートも取って来よう」
「うん」
安心したように目を閉じた進藤にアキラも少し安堵して部屋を出た。
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