ヒカルは家に帰るとすぐ自室に駆け上がりPCを立ち上げた。
あかりのお陰で立ち直れた。
今自分らしくあるためには悩むより碁を打つことだと、はっきり言える。
ネット碁に入室すると深夜の為か日本人より多国籍な会員が目立つ。
女流の進藤ヒカルはネット碁でも有名で、すぐさま
数十人の対局申し込みが入る。
ヒカルは対局申し込みしてきた相手と片っ端から対局した。
明日はオフだし、とにかく今は打って感覚を磨くこと、そして煩わしい事をその間忘れてしまう事だ。
何局目かの対局を終え、流石に疲れを感じ伸びをした。
そうして一端対局申し込みを打ち切った時
先ほどの自身の対局の観戦者の中に塔矢がいた事に
気づいた。
友人登録された『TOYA AKIRA』をクリックするとネット碁への入室時間が出る。
【2時12分・・・】
「こんな深夜にか?」
人の事は言えない独り言をつぶやいて、塔矢の動向を見る。
あいつだったら入室すれば対局申し込みはすぐあるはずだ。
なのに対局するわけでなくただそこにいるのは、オレが気付くのを待ってるのか?
自惚れでもオレがそう思いたいだけなのか?
対局受付を再開すれば塔矢はオレに対局を申し込んでくるだろうか?
ヒカルは画面を見つめたまま、ふっと溜息を吐いた。
画面の向こう見えるはずもない塔矢の姿が映る。
その姿はやはり先ほどの塔矢だった。
普段だったら何の迷いもなく対局してたよな。
『らしくねえんだよ。オレもお前も・・・。』
ヒカルはもう1度溜息を吐くと、対局申し込み再開をした。
その直後塔矢からの対局申し込みが入る。
「ちっ、オレから申し込もうと思っていたのに」
そう口について、小さく笑った。
たぶん大丈夫だ。
塔矢からの対局申し込みを受け、対局が始まる。
持ち時間20分の早碁。
あっと言う間に終わった対局にPC前でヒカルはふっと息を吐いた。
「勝った」
勝ったと言うより『何とか勝った』が正しいんだが。
早碁には定評があるヒカルだが、今日は我ながらうまく打てたと思う。
今の高揚感のまま終了して寝ようと思っていたのに、対局終了後すぐアキラはまた対局を申し込んできた。
「まだ対局するのかよ」
思わず独り言を吐き、そして溜息を吐く。
「まあいいか、今日はとことん付き合ってやるよ」
ヒカルは苦笑しながら対局を受けた。
そうやって勝ったり負けたりしながら5局を打ってヒカルはもう流石に無理とばかりに椅子にもたれこんだ。
この時には6時前にもなっていた。
アキラはすかさず申し込んできたが、ヒカルは拒否する前にメールを開けた。
>流石に疲れた
送信した後、すぐに返事があった。
>>朝まで付き合ってくれてありがとう
ドキンと胸が高鳴る。
昨日碁会所で『付き合って欲しい』と言ったアキラの言葉と重なりキーボードを打つ手が止まる。
どうしたらいい?
自身に問うた答えはもう出ていた。
『ヒカルが認めたライバルに告白された事が嬉しくないの?』
『友達からの付き合いだっていいと思う』
あかりに言われた台詞が背中を押し、キーボードを打つ指は微かに震えた。
その間、塔矢がネットオチしてくれたらいいのに、と願いながらも
今しか伝えられない気がしてたどたどしい言葉を綴った。
勇気を出して送信を送った後、返信までの数分が、実際は数秒だったかもしれない時間が長くて、息が詰まりそうになる。
>今から電話してもいいだろうか?
塔矢からの返信にヒカルは即答で『>>ダメだ』と返す。
なのに傍にあった充電中の携帯が鳴る。
ヒカルは慌てて携帯を握った。
相手がわかっていても胸がドクンと鳴った。
「進藤」
アキラの声は僅かに震えていた。
「な、何だよ。電話してくんなって送ったろ」
喧嘩越しになったのは照れ隠しもあった。あんなの送るんじゃなかったと今更ながら後悔していた。
「少しでいい。君に今どうしても伝えて置きたいんだ。
君が好きだ」
早口で言い募られ、胸に杭を打たれたような衝撃があった。
何も言えないまま塔矢が次の言葉を紡ぐ。
「友達からでもいい。君にチャンスを貰ったと思って、好きになって貰えるよう努力する。だから改めて君に交際を申し込む。僕と付き合ってくれないか」
この胸のドキドキが何なのかわからないまま『止まれ』と腕で胸を抑えたのに、腕から零れ落ちていくようだった。
電話向こうの塔矢が息を呑む。
「ああ、うん、いいよ」
たったそれだけの言葉なのに口から心臓が出てきそうだった。
「ありがとう」
「ああ」
頷くことしか出来ず、塔矢の次の言葉を待つ。
「朝まで付き合ってくれてありがとう。嬉しかった」
メールと同じ事を言われカッと顔が赤くなる。
「何度もいいよ、もう眠いし切るぜ」
「ああ、おやすみ」
電話を切った後、ヒカルは携帯を握りしめたままベッドに突っ伏した。
今しがたのアキラとのやり取りを思い出し「これでよかったのか?」と自身に問う。
目を閉じてもその人の顔は思い出せなかった。
代わりに塔矢の表情が浮かび、
それに少し寂しさと戸惑いがあった。
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