恋愛のススメ

3
     







名人リーグ戦、塔矢8段と座間9段の解説の聞き手としてヒカル棋院に入った。
おりしも解説は緒方だった。

ヒカルは解説の聞き手は苦手の仕事だった。
聞き手と言うのは自身の意志や考えを述べるわけにいかず、あくまで聞き手であり、対局の進行に徹さなければならなかった。

もともとこの仕事は女流棋士がする事が定例になっている。
人気の高い『進藤ヒカル』を『聞き手』にする事で囲碁ファンだけじゃない、広告効果もあると期待されていたが。
女性としての振る舞いや言葉遣いも問われ、ヒカルは断る事が多かった。

ただ今回はヒカルのライバルと言われている『塔矢アキラ』の対局とあって、
『進藤ヒカル』にお願いしたいと言う棋院側の立っての願いにどうしても引き受けざる得なかった。

対局が始まる2時間前にはホテルに入りし、芸能人のようにメイクやセット、衣装係までも入る。
今日は自身のパンツスーツでやらせてもらえることになっていたが、本来はスカートだ。

別室で行われる対局会場の撮影調整とヒカルの立ち位置などの確認が入り、そこへ緒方も顔を出す。

「進藤、今日は体調は悪くないのか?」

「大丈夫だよ、そんなに続かねえし」

そっけなく言ったが、先日送ってもらった礼がまだだったことを思いだし、ヒカルは緒方にぼそっと言った。

「この間はありがとうございました。その・・・送って貰って助かりました」

緒方がそれに苦笑する。

「相変わらずお前の敬語や丁寧語はたどたどしいな。心が籠ってるように聞こえん」

「そんな事ないぜ、ホントすごく助かったんだ」

緒方は『わかった。わかった』と言うとヒカルの頭をぽんぽんと叩いた。これではまるで子供扱いだ。

「それより今日どうだ?」

何の事かわからずヒカルは首をかしげた。

「進藤は聞き手は苦手だと聞いたが・・・。もしよかったらオレと代わらないか?」

「かわる?」

「お前が解説、オレが聞き手をするってことだ」

思いもしなかったことを緒方に言われ、そんな事ができるのかと思案する。

「勝手にそんなことやっていいのか?」

「オレが責任を持つ。その方が面白いだろう?進藤はアキラくんのライバルとしての立場もあり是非にと頼まれたのだろう。
視聴率を取りたいならお前が解説する方がスポンサーも喜ぶさ」

ヒカルが迷っていると、『先生方そろそろ時間です』と声が掛かる

公開解説と言え後日放送もあり、お客は撮影所には入れない。こちらの声は観客には聞こえるが
向こうの声は聞こえないという状況の中の解説だ。

ヒカルは腹をくくると『わかった』と頷いた。
塔矢の手に難癖を付けるなら確かに自分の方が緒方より適任だろう。
あいつと一番打ったのは自分だとこれでもヒカルは自負してる。

所定の場所でなく、ヒカルが解説の立ち位置に回ると、『間違っているんじゃないか』と会場から聞こえるはずない声が聞こえた。

「今日は趣向を変えて、進藤ヒカル6段が解説をオレ緒方精次十段が聞き手をします」


VTRを回す方も観客にも動揺が広がる。
ヒカルも緒方もそれは予想の範疇で、始まった対局に集中する。

数十手進んだ座間の手が止まる。
緒方が二人の軌跡を置いて行き手を止めた

「しょっぱなから見た事のない形だが。新手が出て、これはどういう事だと思う」

緒方は聞き手などした事ないだろうが、言葉遣いを柔かくヒカルに合わせてくれた。

「オレはこの形見た事あるな。塔矢プロがオレとプライベートで対局したときに試してきたから」

「つまり進藤プロとの対局で試して、今日実践に使ってきたと・・」

「まあ、そうだろな」

「それでその時の対局結果は?」

ヒカルが唇を尖らせる。

「今はオレの対局の事はいいだろう」

対局結果を察したらしい観客たちから笑い声が漏れる。

「けどまあ・・・そうだな、」

ヒカルは言いながら其の後の展開図をいくつか示す。
緒方が『なるほど』と頷く。
実際ヒカルが示した展開図の一つになり、王座は打ちづら
くなる。
ここは塔矢の目論見が成功したと言っていい。

「でもこのままじゃ面白くないんだよなあ」

ヒカルは中盤にもつれ込んだ座間王座の逆転の一手を探す。

「7の12なんて、塔矢は打ちにくくなるよな」

解説中につい『塔矢』と呼び捨てにした事に気づきヒカルは慌てた。

「すみません、塔矢8段です。つい普段のくせで」

「塔矢プロも進藤の事はいつも呼び捨てだからしょうがないか。それでこんな場所でいいのか?」

緒方は指摘された手を置いたが、どうにも腑に落ちず
ヒカルを伺う。

「ああ、この先進めてみよう」

どんどんと進めていく手に緒方もようやく理解し『ああ』と
納得する。
「まさかの手だな。一見悪手にも見えるが、
相当打ちにくいだろう。というかひっくり返らないのか?」

「返るか、どうか、あいつの事だから涼しい顔で今頃気付いて内心焦ってるかもな」

観客が大笑いしているのに気づきヒカルはつられるように苦笑した。
なかなか普段のくせは抜けないらしい。仕事だとはわかっているのだが、言葉遣いはどうにもならなかった。

座間はその1手に30分も費やし、展開は面白くなった。
結局半目という差で塔矢が勝ったが、難しい対局になった。

ヒカルの解説と緒方の聞き手はお咎めなしでオンエアされることになった。
撮り直しも聞かないし、何より面白かったというのが理由だったらしい。




「お疲れだったな進藤」

「先生もお疲れ、解説楽しかったぜ。これからは聞き手じゃなくこっちが仕事にこねえかな」

「まあオレが相手なら代ってやってもいいが。アキラくん限定ならありえるかもな。
子供のころから対局しているオレよりよく理解してる」

緒方は今まで我慢していたタバコをポケットから出し、喫煙所に付き合えとばかりにヒカルを連れ出す。ヒカルは止む無しに緒方に付き合い自身は自販機でお茶を選ぶ。

「しかし、相当言いたいこと言ってたな」

「そこはカットされるだろ?」

「そういえば進藤はアキラくんとまだ『2人勉強会』をやってるのか?」

「ああ、まあな」

ヒカルは苦笑したのには訳がある。

この研究会結構、棋士の間では有名だった。
・・というのも、もともと塔矢と二人で研究会を始めたわけではなかったからだ。元は若手中心の勉強会だったが、塔矢とヒカルが言い争いになる事が多く、特に滅多感情を現さないアキラが一度怒るとすさまじく怖いという噂が飛び、いつしかアキラとヒカルだけの勉強会になっていた。

「相変わらずなのか?」

「うん、まあたまに新しいメンバーが来てもすぐに辞めるん
だよな」

「それなのによくアキラくんと二人で続けてるな」

ヒカルは力なく笑う。

「それよく言われる」


緒方だけでなく和谷や伊角にも毎度言われてる事だ。
自分でも言い争った後は『もう2度としない』と思うのだが、なぜか
どちらかが声を掛けてしまうのだ。

「まあ、今は二人だけだから心置きなく言い合えるってのも
あるよな」

緒方が目を丸くする。

「以前はそれでも他がいるから遠慮していたって事か」

「まあそう言う事だよな」

「オレはアキラくんのそういう姿は見た事ないから想像できんな」

緒方は苦笑するとタバコを吸いがらに押しつけた。

「そろそろ行くか」

「ああ、座間先生と塔矢に挨拶しねえとな」



緒方と対局会場に入る。報道陣、プロ棋士に囲まれる塔矢に軽く手を上げるとヒカルに気付き、厳しい顔が少し和む。
こういう時少しヒカルもほっとする。

「危ない対局だったな」

今まで対局していた相手に労う言葉もなく、そう言ったヒカルに塔矢は小さく息をはいた。

「そういえば君が今日の解説をしたって?」

「緒方先生の案でさ、思いっきり辛口にしてやったから楽しみにしとけよ」

「ああ、君の対局で、僕が解説する時は返させてもらう」

「はは、お前は品格を保てよ」

軽口を交わした後、まだこれから感想戦やスポンサーとのインタビューがある塔矢を遠目で見送る。
ヒカルとアキラのやり取りを見ていた緒方がまだふっと息を吐いた。

「進藤、今日はもうこれで終わりだろう?」

「ああ、さっさとメーク落としてえ」

う〜んと背筋を伸ばす緒方が苦笑する。

「似合ってるから構わないだろう」

「そういう問題じゃないんだって。普段のオレのスタイルとは合わねえの」

「それよりこれから一緒に飯でも行かないか?」

「飯?や、けど・・・。」

ヒカルは断ろうとして考える。先日の事や今日の仕事の事もあって、無下に断るのもどうかと思ったからだ。

「先生の行く店は敷居が高そうだから」

「まあそうだな」

「オレ高っ苦しい所は苦手だから」

緒方が小さく吹き出す。

「冗談だ。行きつけの居酒屋に行くだけだ」

「まさか酒を飲むとか?」

「車だから飲酒はしないさ」

「ああ、けど・・・やっぱオレ」

「もうツベコベいうな。行くぞ・・・」

緒方は強引にヒカルの腕を取った。
それは先日と同じやり口でヒカルは内心『おいおい』と思う。

「先生わかったから、せめて化粧だけ落とさせてくれねえ」

「ダメだ」

「ええっ?!オレこの匂い嫌いなんだって」

ヒカルが文句を言う間も緒方はヒカルの腕を引っ張る。

「もう先生強引だよな」
緒方はしごく楽しそうにヒカルの小言を聞いていた。




→4話へ






私も一服。。。

必要以上にヒカルが男っぽくなってるような気がしますが。
ただ男の子のヒカルは元が男の子だけにそこは努力する必要なく、今回のヒカルはそういう意識を持ってるだろうと思いながら書いてます。





碁部屋へ


ブログへ