東京駅から新幹線で盛岡までは2時間半。
駅からは徒歩15分程の市街地の外れにヒカルの住まいはあった。
この街が小さくてそれでいて大きく感じるのは山が近く、喧騒からかけ離れているからだろうか?
お父さんが転勤になったのを機に母さんとヒカルもここに移り住んだのはアキラの死が要因の一つだった。
東京に1人でいたくなかった。あの家は、あの町にはヒカルは思い出がありすぎた。
けれど、もう一つヒカルにはこの街に住む要因があった。
市街地を抜けると街の灯も疎らになり、我が家はヒカルの帰りを待つように電灯が灯った。
「ただいま」
すぐに出迎えた美津子にヒカルは『まだ起きてるのか?』と小声で聞いた。
「ついさっきまで『待ってる』って起きていたんだけど」
「愚図らなかった?」
「すごくいい子にしてて、昼寝もしないで待ってたのよ」
そっと入ったリビングの床に『晃』が毛布に包まるように
横になっていた。
その愛くるしい寝顔にヒカルは思わず苦笑した。
「こんな所で寝たのか?」
美津子が『シー』っと中指を立てた瞬間、ヒカルが帰った事に気付いた晃が起き上がった。
「母さん?」
「晃ごめん、起こしたか?」
「ううん」
「ただ今」
ヒカルは晃を抱き寄せるとぎゅっと抱きしめた。
晃もその小さな腕でヒカルを返した瞬間、ヒカルを突き飛ばすように腕の中でもがいた。
「晃どうした?」
「くさい、ヤ」
「臭い?母さんの匂いがか?」
ヒカルは晃を解放し羽織っていたスーツのジャケに鼻を押し付けたがわからなかった。
晃は顔をくしゃくしゃにさせ今にも泣き出しそうだった。
「晃、大丈夫だから」
ヒカルがもう1度抱きしめようと伸ばした手を晃は叩いた。
晃がそんな事をヒカルにしたことは1度もなかった。
「かあさんきらい!!」
はっきりと『きらい』と言われ、ヒカルは躊躇った。
「ちょっと待て晃、理由は何だよ。母さんわかんねえだろ」
そう言うなり晃は2階に泣きながら走りだし、ヒカルは追いかけようとして美津子に制された。
「私に任せて」
「でもさ」
丸2日晃とは会ってなかったのだ。こんな事は晃を産んでから1度もなくヒカルだってわけがわからなかった。
「晃なりに昨日からヒカルがいないの我慢してたんだから」
ヒカルが晃と一緒に寝なかったのは昨夜が初めてだった。
だからヒカルだって心配だったのだ。
「そりゃ、そうかもしれねえけど、いきなりで意味わかんねえし」
「それに・・・」
美津子は戸惑うように言葉を選んだ。
「あんた確かにタバコ臭いし」
ヒカルはそれではっとした。
緒方との昨夜の事が甦る。
緒方はベッドでもタバコを吸っていた。
朝シャワーは浴びたが、それも緒方の乱入で中途になっていたし髪や服に臭いが染みついたのかもしれなかった。
それに・・・。
まさかとは思うが、晃なりにヒカルの変化に気付いたのかもしれなかった。
「とにかく服着替えて風呂でも入って来たら?それまで私が晃と一緒にいるから」
「わかった」
ヒカルは風呂に入るとボディソープのポンプを何度も押した。
そうして、思い起こしたのは今日森下先生に挨拶に行った時の事だった。和谷が時間を割いて来てくれたのだが、何か言いたげで違和感を感じたのだ。
勘のいい和谷もタバコの匂いに何か感じたのかもしれなかった。
「くそ、オレ何やってんだ!!」
思わず口にした言葉を噛みしめた。やってしまった事に後悔しても遅いのだろうが、
蛇口を止め、ヒカルは自分の軽率さに唇を噛んだ。
晃はアキラがヒカルに残したかけがえない命だ。
ヒカルにとって何よりも大切な我が子に顔向け出来ない事をしてしまったのだ。
風呂から上がったヒカルが部屋に行くと美津子がベッドで晃に絵本を読んでいる最中だった。
迷っていると晃がヒカル分を開けてくれた。
「晃、かあさんもう臭くないか?」
晃がヒカルの胸に包まるようにぎゅっとなる。
「うん」
「そっか、ごめんな」
晃は安心したのかうとうとしだして、美津子がベッドから抜ける。
美津子に目で合図され、ヒカルは頷いた。親のありがたさが身に染みてわかるようになったのはヒカルが親になってからだった。
「もう他ともない?」
はっとして晃をみる。晃の言葉が胸に突き刺さる。
寝入りにつきそうな晃はたぶん寝言に近いだろう。
「ああ、晃だけだ」
ヒカルは晃を胸に抱いた。
「嫌いってごめんなさい」
「ああ」
涙が零れだし、声にならなくてヒカルは腕の力を込めた。
アキラのお化けなんかよりずっと
晃の言葉の方が身に染みていた。
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