鍵を開け一番に目に飛び込んできたのはヒカルが置き忘れた傘だった。
ひっかかったかかとに放り投げるように靴を脱いだ。
入ったリビングはあの日のままだった。
「アキラどこにいる?」
「いるんだろ、返事しろよ!!アキラ、」
声を掛けながらもヒカルは足を止めず部屋をずんずん進む。
「どこだよ、」
ヒカルの声だけが部屋に響き、ヒカルは書斎も寝室も風呂もトイレまでもドアを開け放した。
「塔矢、もう会わねえなんて言わない!!我がままも言わねえ。佐為の話だって、聞きたいこと全部話すから出て来てくれよ」
静まり返った部屋にヒカルの声だけ響く。
ヒカルはふと思いたち、もう1度リビングに戻った。リビングの端、いつもの場所に碁盤があった。
「ここなのか!!」
碁盤は少し埃がたまっていた。それを指でなぞる。
「ここでもないのか?」
佐為に出会う事が出来たヒカルなのだ。
アキラだって見えるはずだ。
ましてアキラは夢半ばで逝ったのだ。この世に未練があるに決まってる。
成仏なんてしてない。
・・・するはずない。
だが、未練があっても消えて行った佐為を想い出し
ヒカルは茫然として座り込む。
座り込んだ目線、ローボードの上にデジタルフォトフレーム
があった。
お正月特別号で取られた2人の写真。
アキラは優しく微笑んでいた。
ヒカルがフレームを取り上げると誤ってボタンを押してしまい
画面が切り替わった。
その写真もアキラと写ってはいたが・・。
碁盤を挟み対局中の、少し疲れたヒカルの横顔は記者が撮った公式戦のものだろう。
また数秒後に写真が変わる。
それは若獅子戦の時のものだった。
いささか古いものではあったが、そこにはまだあどけない二人がいた。
次に変わった写真にヒカルは思わず苦笑した。
初めての北斗杯の時の写真だった。オレがヨンハに負けて泣き崩れていた。
その傍にアキラがいて、社もいた。
一体こんなものをどうやって手に入れたのか、どうして入れてるのかと思う写真ばかりだった。
アキラがいたら力づくでデーターごと消去していただろう。
ランダムに映し出された写真は全て二人が写ったもので、でもそれはオレたちが撮ったものじゃなかった。
「お前本当に・・・オレに惚れてたんだな」
映し出された画像にヒカルは力なく笑った。
こんな写真を持っていたことさえ知らなかった。
ヒカルは顔を上げ、空を見据えた。
「オレに見えないだけなのか?」
返ってくる声はない。
「何とか言えよ」
ぽろぽろと涙が溢れてくる。涙がフォトフレームに落ち、ヒカルは
慌てて襟で拭こうとして止まった。
涙にボヤケた液晶は2人の婚約会見を写しだす。
碁界としてはかなり珍しい記事となったのは、アキラとヒカルの人気の所以だろう。
この雑誌が出たのは1週間程前の事だった。アキラが亡くなる直前に入れたのだろう。
ヒカルは涙でいっぱいになったフォトフレームを下に置いた。
後悔しても後悔しても戻らない。
「もしお前がオレに見えないだけで、お前にオレの姿が見えて、声が聞こえてるなら
オレはお前を愛してる。ずっと、ずっとお前を愛してる。
お前の夢、2人の夢絶対叶えるから、オレが約束破らねえように見届けてくれよ」
最後は嗚咽で言葉にならなかった。
「神の一手はオレが極める」
遥か遠く、届かないかもしれない。佐為も、塔矢も届かなかった一手。
それでも生きてる限りオレは目指し続ける。
鞄の中の携帯の着信の音で我に返った。
泣き崩れていつの間にか寝ていたのだ。この3日間横になってもほとんど眠る事が出来ず疲れもあったのだろう。
窓の外、日も落ちていてヒカルは慌てた。
心配した両親からかもしれなかった。
鞄の中から携帯を取り出すと和谷からで少し躊躇した後、応答した。
「もしもし」
「進藤?」
「ああ、どうかしたのか?」
出来るだけ平静を装った。
電話の向こう和谷が息を呑んだのがわかる。
「お前今どこにいる?」
「マンションだけど」
「マンションって大丈夫なのか!!」
「大丈夫って?」
お互い言葉が無くなる。和谷の言いたい事はなんとなく解る
のだが。
「オレ今お前に掛ける言葉見つからねえけど、心配してる。
オレも今一緒にいる伊角さんも何も出来ねえかもしれねえけど、もしでも進藤が辛えなら聞いてやるし、一緒に居てやるから。
ってああ上手く言えねえ」
和谷の気持をオレは言葉以上に理解した。
「ありがとう。マンションにいるのは片付けしに来ただけなんだ。
普段通りでいいって」
そのまま切ろうとすると和谷が慌てた。
「あ、ちょっと待て、伊角さんに代る」
そう和谷が振った瞬間伊角の『オレ?』という戸惑いの声が聞こえた。
ムリに振らなくていいのにと思いながらヒカルは携帯を握りなおした。
「あーその進藤、今1人か?」
「ああ、うん」
「オレたちがそっちに行ったら迷惑か?」
「そんな事はねえけど、オレ大丈夫だぜ」
「進藤の場合、大丈夫って言う方が心配だから」
伊角らしい気がした。
「うん、ありがとう、でもやっぱり今は1人で居たい」
そう言った瞬間また涙が溢れそうになった。
「オレも和谷もいつでも待ってる。」
「サンキュ、伊角さん、和谷」
そうして電話を切った。
いつまでも泣いてるわけにいかない。
友達を心配させるわけにいかない。
前を向かねえと・・・。
「アキラ、オレの事心配して、和谷と伊角さんが電話かけてくれたんだぜ?いつもみてえに嫉妬しねえのか」
そう自然に口に吐いた言葉で涙が溢れ出てた。
もし見えないだけでアキラが傍にいるとしたら、こんなオレを見たら心配だろうと涙を拭う。
「今日だけだ、今日だけだから」
フォトフレームの中アキラが微笑んでいた。
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