緒方がここに来たのは偶然あの交差点で進藤が佇んでいる
姿を見つけたからだ。
通り過ぎて進藤だと気付いた時には車を停止出来ない車線に入っていた。
あれから3年と4か月。
進藤は突然碁界に休会届を出し、3年もの間姿を消していた。
とはいえ、以前の無断欠席と違い3年を目途にプロ棋戦へ復帰することを約束していたし、彼女の居場所も届出が出ていた。
休会中も進藤がネット碁をしてる事は話題になり、
棋院の働き掛けで公式ではないもののネット棋戦にエントリーし優勝を果たしてる。
それは女流棋士として初めての快挙で、ライバルであり、恋人を失くした進藤ヒカルへのエールは棋院に何百と届き、復帰を
待望する声は大きかった。
緒方はこのネット棋戦にしていなかった。
現在3つのタイトルを保有しており、公式でない手合いまで手が回らなかったのだが、進藤が出て
くるなら無理を押しても出場すべきだったと後悔した。
そうして今アキラの墓の前に立ち、緒方が思うのはやるせない想いだった。
緒方は手を合わせる事もなく、苦虫を噛んだように言った
「アキラくん、オレが進藤を貰ってもいいか?
一緒に生きられなかったお前に文句を言われる筋合いはないだろう」
緒方が願うのは進藤の幸せだった。
もしそれを緒方が叶えてやれるなら本懐だが。
だが・・、と心の声が言う。
『進藤はオレを受け入れはしないだろう』と。
近づいてきた足音に緒方が振り返ると、こちらに向かって来る進藤と目があった。
先回りした甲斐があったと言うものだ。
進藤は供花を抱えていた。
「緒方先生?」
車を運転した時には気付かなかったが進藤はチャームポイントだった金色の前髪を黒に染めていた。
「髪染めたのか?」
「ああ、あの髪色だと目立つからさ、それより先生も墓参りか?奇遇だな」
「たまたま通りかかったから立ち寄った」
「じゃあたまに来てるんだ」
緒方がアキラの墓参りをしたのは今日で2度目だったが、
進藤を交差点で見かけてここに先回りした事は伏せた。
「オレは邪魔だな。先に行ってる」
緒方はそう言いおいて、背を向けた。進藤が今どんな表情か知りたくて知りたくなかった。
それは想像できた。
しばらくして、墓地から出てきた進藤を緒方は駐車場で待っていた。僅かに潤んだ瞳には気付かないふりをした。
「先生、待ってくれてたのか?」
「これからどうするんだ」
「今日はここに来る前に棋院に行ってきたんだ。
来月から復帰する。
塔矢先生には挨拶できたけど、森下先生は仕事で明日になるっていうからさ。今日はもうホテルに戻ろうかなって」
聞いてもいない事も進藤は話したが、緒方に碁界に復帰することを伝えて置きたかったのだろう。
「そうか、来月に復帰するのか」
「待たせたなって」
「ああ、待ちくたびれた」
「はは、悪かったな」
苦笑する進藤に緒方が提案した。
「今から1局打たないか?まだ早いだろう」
「ええっと、どうしようかな」
思案する進藤に緒方はもうひと押しする必要があった。
「お前と公式戦の対局はまだまだ待たされそうだからな、
それとも名人のオレでは腕試しにもならないか?」
「とんでもねえだろ、オレの方が勉強させてもらいたいって」
進藤はわざと改まるようにお辞儀した。
「じゃあ、決まりだな」
緒方は進藤を助手席に乗せ発車させた。
流れる車窓をじっと見ていた進藤につぶやくように言った。
「吹っ切れたのか?」
「自分でもよくわかんねえよ。けど吹っ切れた所もあるし、そうじゃない事もあると思う」
「碁界に戻ってこようと思うぐらいにはなれたんだろ?」
「復帰するって言っても少しづつなんだ。女流棋戦にはしばらく出場しねえし」
「それはスポンサーが困るな。
まあ進藤が女流に出ると総なめだろう」
苦笑した進藤はもちろん自信があるのだろう。
「そんな事はねえと思うけど。今オレ東京じゃないし」
進藤が、地方に住んでいるのは緒方も知っていた。
「盛岡だったか?こっちには戻ってこないのか、通いは
大変だろう?」
「もう少ししたら考えるさ。家族も向こうにいるしな」
「まあいい、お前が復帰するというなら」
進藤がまた車窓に目を移す。緒方はそんな彼女をちらりと盗み見た。
進藤の横顔に少し変わったなと思う。
大人びたというか、女性らしく綺麗になったのだ。
進藤はこの3年休会してたが、立ち止まっていたわけじゃないことはネットの彼女の碁を見ても明らかだった。
1人で戦うと言う事は易くない。きっと必死で戦ってきたのだろう。
あいつの分も・・・。
緒方はやるせなさに胸が狂おしいほど痛くなる。
進藤を愛してるという事実に、
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