あれから4日、12日は2人とも1日オフで、もともとは別の場所でアキラと待ち合わせをしていた。
激高し部屋を飛び出したヒカルに、『迎えに行く』と言ったのはアキラの判断だろう。確かにあの時のヒカルではすっぽかす可能性が高かった。
ヒカルは準備を済ませ時間になっても来ないアキラに焦れる。
アキラは時間には正確で、遅れると言うことはまずなかった。
携帯に連絡がないことを確認し、携帯を掴んだままもう1度ベッドにごろりと転がった。
覚えた電話番号を途中まで押し、躊躇して画面を見る。
かわりにアキラの先日の留守電メッセージを押したのは、今日の約束を確認すると言うよりもアキラの声が聴きたかったからだ。
『 ヒカル、ぼくの配慮が足りなかった。大切な君を傷つけた事反省してる。
それでも僕の我儘でも、君との子供が出きたらこれ以上嬉しいことはないと思ってる。
これからは君ともっと話し合って行きたい。
12日迎えに行く。愛してる 』
あの時ヒカルがアキラに吐いた自分の言葉が、胸に突き刺さる。
付き合う前から口げんかになると『もう会わない』とか『プライベートでもう打たない」』と
お互い激高に任せ怒鳴りあった。
けれどいつもアキラが折れてくれたのだ。
アキラはヒカルを受け止めてくれた。
その甘えがヒカルにあって、今回の事
もアキラを試すような事をしたかもしれなかった。
「オレからちゃんと謝らねえと」
そう呟きなかなか素直になれない自分にヒカルは溜息を吐いた。
握りしめた携帯が鳴ったのはその直後だった。
相手は明子からだった。ヒカルは直観的に嫌な予感がした、
「もしもし、明子さん?」
「ヒカルさん・・・・」
明子の声は震え、まるで泣き声のようだった。
「アキラさんが事故に巻き込まれて」
アキラが事故!?
ヒカルは心臓が止まったような気がした。
「それで、アキラは?大丈夫なんですか!」
「病院に搬送されて・・・意識が戻らないの」
取り落としそうになった携帯を気力で握りしめた。
「そこは?すぐ行きます!!」
病院の名を聞き家を飛び出す。
すれ違ったタクシーを捕まえ飛び乗った。
ヒカルは必死に祈った。
『神様どうかお願いです!!オレはどんなことでもする。何だってするし、どうなってもいい。だからアキラは連れて行かないで、」
祈りながらヒカルは佐為が消えた日の事を思いだし、体がわなわな震えだした。
『大丈夫、絶対大丈夫!!』
アキラと約束したのだ。
『一緒になるって』『歩んでいこうって』
何年も想い続けたオレと一緒になるのに、その前にくたばるなんてあいつがあるわけない。
まだ何一つ始まっちゃいないんだ。
ヒカルは自身を励ますように必死に言い聞かせた。
病院に着き、明子に言われた部屋に入る。
真っ白すぎる壁の部屋に沢山の機器が並んでいた。
そこに医師と白衣を身に着けた先生と明子がいた。
「先生、明子さん・・・」
「ヒカルさん」
明子は目を真っ赤に腫らし、小さく首を横に振った後
泣き崩れた。
ベッドに目を移すと、白い帽をかぶった塔矢が横たわっていた。
「進藤くん、アキラは・・・」
塔矢先生の声がかき消される。
『嘘だ!!』
ヒカルは聞きたくなかった。信じたくなかった。
アキラに取り付けられていた機器が外されようとしていた。頭に白い帽はかぶっていたが外傷などなかった。
ただ寝ているようにしかヒカルには見えなかった。
ヒカルはベッドのアキラを揺さぶった。
その体は僅かに温かさがあり、柔かさもあった。
「アキラ、アキラ起きろよ、冗談だって言えよ。目え覚ませよ・・・アキラ!!アキラ」
最後は泣き声と嗚咽が混じり、明子がヒカルの肩を抱いた。
その肩が濡れる。
「ヒカルさん、ごめんなさい」
なぜ明子が謝るのかわからなかった。
『違う、オレのせいだ』
オレがアキラと喧嘩したから。もし今日約束通りの待ち合わせをしていたなら事故に巻き込まれることもなかったはずだ。
「違う、オレのせいで、オレが・・・意地張ったせいだ」
「進藤くん、君のせいじゃない。今は突然で受け入れる事など出来ないかもしれない。
それでもアキラを見送ってやってくれないか?」
塔矢先生は自分だって辛いだろうにそう言ってアキラの白い手を握った。
やがて静かにヒカルにその場を譲る。
溢れてくる涙が嗚咽になり、ヒカルは冷たいアキラの手をずっと握り続けた。
その手が握り返されることはなかった。
今ここに起こっている現実が悪夢のようで、夢ならどんなに
いいだろうと思う。夢なら早く醒めて欲しい。
何もかもが夢の中の出来事のようで
小さな箱になったアキラがこの中にいるとヒカルには思え
なかった。
お葬式を終えたあと、ヒカルはただ1人そこに向かった。
駅に着くころに雨がぽつりぽつりと降り出す。
小高い丘の上にはアキラと住むはずだったマンションが立つ。
町は普段と同じ日常のままに動き、何一つ変わっていないように見えた。
ヒカルは1週間前アキラが名人戦挑戦者を決めた日をぼんやりと思い出す。
あの日も雨が降っていた。
隣で微笑むアキラだけが、ぽっかりと空いた空洞のようにない。
駅からマンションまでの坂をいっきに駆け上がる。
傘なんて持ってなくて、びしょ濡れになり、マンションに入っても
服を拭く事もせず階段を駆け上がった。
ヒカルは走りながら鞄を弄り鍵を握る。
ただの1秒だって惜しかった。
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