If ・・・(もしも)7章 
決別 6




学は芥の自室の前にいた。
迷うことなくインターホンを押す。回線が開かれて
インターホンにザザザっという雑音が入る。
中に芥がいるということだ。

「オレだけど、」

声を掛けたが芥の返事はない。
それどころか「ブチっ」と回線を切断され、学はすかさず
ホンを慣らした。

「芥、居留守使う気か?開けろよ。逃げんなって、」

再度回線が切られたと同時にその扉が開いた。
そこにはらしくもない芥がたっていた。

学の知っている芥はいつも襟も崩さずアイロンのキチンとかかった
白衣を身に着けていた。どんなに忙しい時だって、身なりが崩れて
いるということはなかった。

だが今学の目の前にいる芥の衣類は皺とよれがついていた。
わずか2週間で、ひどくやつれたように見えたし、
顎には微かだが不精ひげが伸びていた。
無造作に長くなった髪を束ねたその姿は教授とも似ている気がした。

「芥、」

「大声を出すな。」

そういった芥はいつもとそう変わりない気がして学は少し
ほっとする。

「中入って構わねえ?」

「ああ、」

部屋を見回すまでもなく残っていたのはベッドと机、それにわずかばかりの
専門書だけだった。
さっきの研究員が言っていた通り芥もまもなくアメリカに経つのだろう。

「芥、何も言わねえで行くつもりか?」

「来週にはアメリカにたつ。」

まるで今言えばいいのだろうという具合だった。

「そんな大事な事、なんで今まで言わなかったんだよ。」

学はもっと言いたいことがあったが今はそれを抑えた。
傷つけられたことも、薬を盛られていたことも、今はいい。

「ガク、」

芥は耐えるようにそう言って体をふるわせた。
そんな余裕のない芥を見たのは学は初めてだった。

「芥、」

学が芥に腕を伸ばす。それはいつも普段何気なくしている事だった。

「触れるな。」

学が触れようとした手を芥は払いのけた。

「・・・・、」

学には芥が泣いているようにみえた。
学はぎゅっと唇をきつく結ぶと芥をみた。

「実をいうとさ、オレずっと芥の事好きだった。」

出来るだけあっけらかんとして学はそういったつもりだった。
だが学の笑みは今にも崩れ落ちそうだった。

「けど、」

学が続きを言う前に芥が言った。

「オレもお前がずっと好きだった。」

「・・・じゃあなんであんな、こと」

学は笑うことが出来なくなって歪めた。
本当はわかっていた。

芥があんなことをしたのは学が好きだったからなのだ。
だから誰にも渡したくなかった。
自分だけのものにしたかった。
心も体も感情も、

記憶も学の行動も
芥の事が好きだという感情も、全部閉じ込めて。
それほどまでに芥は学を愛していたのだ。

けどそんなのは間違っている。


「が、く」

芥は搾り出すように声をようやく出した。
必死に堪えているのがわかった。

学は芥の次の言葉を待った。

「オレと一緒にアメリカに来い。」

それが芥の本心。

ずっとずっと待っていた言葉だったような気がする。
けれどもう遅い。何もかもが遅すぎたのだ。

学はすすり泣くように芥をみつめた。
ぼろぼろの芥、応えてやりてえって思う。
けど、ダメなんだ。

「ゴメン、オレ・・・いけ、」

「わかってる。」

学には芥が微かに微笑んだように見えた。
濡れた学の瞳にはよく見えなかったが。

「すまなかった。」

芥はそういうと学の髪をくしゃくしゃと掻き撫でた。

「もう2度と会うこともないだろう。」

そんな事を言われると胸が焼け付きそうに痛く切なくなる。
もう2度と会えないなんて嫌だって心が引き攣っている。
でも学はどうしたって芥に応えることは出来ない。

涙でいっぱいになった学を芥は抱き寄せた。

「か・・・い」

芥の腕は温かくて広くて、白衣には薬品の匂いが染み込んでいた。
その匂いは嫌いじゃなかった。
それはずっと昔から学の知ってる匂いだった。

「オレ、オレ、絶対芥や教授に負けねえ化学者になってやる。
いつか芥に奪われた記憶も全部取り戻してやるんだからな。」

「ああ、」

芥の腕の力が強くなり学もそれに応えるように腕を回した。

『奪われた記憶を戻す』
学はそういったものの、同時に記憶を取り戻すことが怖いとも思った。
それは芥への想いを取り戻すということに他ならないのだから。
学は名残惜しさを払うように自らその腕を外すと芥を見上げた。

「芥、さよなら。」


芥はそれに無言で頷いた。
学は想いを断ち切るように芥に背を向けた。
部屋を出る前に芥がその背に声をかけた。

「羽柴空に、伝えてくれ。
ナンバー014はもうここにいない。役に立てなくてすまなかったっと、」

「藤守先輩も真一郎って人や教授とアメリカに行ったのか?」

学が014や真一郎を知っていたことに芥は目を細めたがさほど驚くでもなく
首を横に振った。

「さあ、それはオレにもわからん。だが少なくともあいつはもうここにはいない。」

「わかった、空先輩に伝えとくよ。」

芥と学の間に一瞬の間が流れる。名残惜しさが振り払えなくなってしまう。

「オレもう行くな。」

学は芥を振り返ることなく部屋を飛び出した。
芥の顔をみたら崩れてしまいそうだった。


                                             
                                           7章 決別 7


お話を書く前からCPの結論は出ていたんだけど、学と一緒で後ろ髪引かれる気分です。
報われないな〜、芥。