If ・・・(もしも)7章 決別 3 綾野は優しさが溢れる病室からそっと抜け出すと
隣の空いている個室に忍び込み携帯を取りだした。 3回のコールの後、その相手は出た。 「もしもし、」 『綾野(りょうや)か?』 「ええ、」 いつも無愛想な相手だが、今日は綾野のことを待っていたような気がした。 「相沢教授はいますか?」 『あいつはもう行った。』 「そうですか・・・。」 綾野はカーテンを少し開けると居室の窓からうっすらと残る虹を見上げた。 それは大空と同化していくように綾野の目の前で消えていった。 結局、彼を掴むことは綾野には出来なかったのだ。 綾野は目を閉じ自分の想いをやり過ごそうとした。 「どうかしたのか?」 相手に見透かされたようで綾野は動揺をこらえた。 「いえ、何でもありません。あなたから伝えてください。 学くんが意識を取り戻しました、もう大丈夫です。」 『・・・・、』 今度は相手が押し黙る番だった。 綾野は察してしばらく返事を待とうとしたが、どうしてもこれだけは 言わなければならない気がした。 「君も何も言わずに行くつもりなのかい?」 『・・・。』 「後悔しませんか?」 『・・・・・。』 待っても返事はない。 綾野は芥がこのまま電話を切ってしまうのではないかと思った。 だが芥はお互いが無言になっても受話器を置こうとはしなかった。 今も断ち切れぬ思いと葛藤しているのだろうか。 綾野は自分の報われない想いと芥の学への想いは似ていると思う。 『・・・学の事を頼む。』 芥はやっと一言そう口にした。 綾野は先日、相沢教授が自分に「学を頼む」と頭を下げにきた事を 思い出した。その一言に全てがこめられている気がした。 「オレなんかに任せていいのかい?」 あの時も綾野はそう言った。 『学の事を頼む。』 芥はもう1度同じことを言った。 「わかりました。」 そう答えた綾野は即座に後悔した。 そう答えなければあの人は綾野のもとから 去らなかったのではないか? そして学のもとから 芥が去ることもないのではないか? けれども、綾野にはそう答えるしかほかになかった。 受話器からプープーという音がもれ、綾野は 芥が電話を切ったのだということがわかった。 綾野に言いたかったことを伝えたのだろう。 携帯をポケットにしまった綾野の胸に寂しさが去来する。 学は助かったというのに。 これからみなが幸せになれるというのに。 なぜこんなにも心が揺れるのだろう。 隣の居室から時折聞こえてくる、笑い声が綾野には遠く響いた。 学が目覚めてから5日後、病院を退院することになった。 退院といってもまだ、学園は夏休みだし少しずつ慣らした 方がいいだろうということで学は七海のマンションで しばらく居候することになった。 実は廉も七海のマンションで夏休み中居候になっていた。 七海と空、青が廉の実家に行ったときに、精神的にまいっていた 廉を責任もって預かると廉の親と約束したからだ。 学が入院中悩んでいたことを切り出したのはマンションのリビングで みんなが揃っているときだった。 「なあ、オレ明日、芥ともう1度話し合おうと思う、」 学がそういうと傍にいた廉の表情が強張った。 誰もがその名を口にすることを故意に避けていることは 学も気づいていた。 それは学を気遣っての事だったかもしれないが、いつまでも 目を逸らすわけにはいかなかった。 七海は空と目配せすると学に言った。 「学くんに話さないといけないことがあります。」 学はその瞬間嫌な予感がした。 「何?」 「永瀬くんは学園を自主退学しています。」 「うそだろ?」 「本当です。」 「なんでそんな事今まで黙ってたんだよ、」 学に弁解したのは空だった。 「黙っていたわけじゃねえんだぜ。オレたちも昨日その事を知った所なんだ。」 空は昨日、学園の化学室から芥の所有らしい実験機材や装置、研究途中の データーなどが運び出されるのをたまたま目撃したのだ。 不審に思って学園にたずねたところ、芥がアメリカに留学 することになって自主退学したことを聞いたのだ。 「それじゃあ、もう芥は日本にいねえのか?」 ぎりぎりと学は唇をかみ締めた。 学はまだ何も知らないのだ。 芥に何もいっていないのというのに。 学は怒りで拳を机にたたいた。 「学!!」 なだめるように廉が学の手を握った。 廉も必死だった。 廉は戸惑いながら学に言った。 「悔しくてオレ学に言ってなかったけど、学が病院に運ばれた時 永瀬先輩から電話があったんだ。学が好きなのは・・・お前だから 学の事頼むって。」 言葉を震わせる廉に学は重ねられた手を絡ませた。 「ごめん、廉、オレ廉の気持ち考えずに自分の事ばっかで。」 廉は顔を横に振った。 「ごめん、」 学はもう1度廉だけじゃなく空と七海、青に向かってそういうと 言葉を続けた。 「オレ、どうしても行かなくちゃなんんだ。芥に会って話ししねえと、廉の事も これからの事も始められねえ気がするんだ。 もし、もう芥が日本にいねえっていうならオレ諦めなきゃだけど、もしまだ日本に いるならちゃんと話したい。だからオレ明日研究所に行こうと思う。」 それに驚いたのは空だった。 「市川、研究所の入り口知ってるのか?つうか中に入れるのか?」 「え?まあいちよう、チップの入ってるカード持ってるし。 けどオレのカードじゃ研究所の奥までは入れねえケド、」 空はごくりと唾を飲み込んだ。空にとってもこれは最後のチャンスかも しれないのだ。 「だったらオレも一緒に研究所に連れて行ってくれって。」 「空くん、まさか、」 血相を変えた七海を空は心配させないように笑った。 「オレも研究所に忘れ物があるんだ。」 空はあの時連れ帰ってこれなかった兄ちゃんの事がどうしても心残りだった。 七海ちゃんはあの時、「真一郎が生きていてくれたのならそれでいい」と言ったけど。 それじゃあダメなんだ。 それに藤守の事も、 「だったら青も行く!!」
今までずっと黙って話を聞いていた青が立ち上がった。 「ダメだっ。あそこがどんなに青にとって危険な場所か知ってんだろ?」 「僕、あの中のこと知ってる。空兄ちゃんが知らない場所もわかるよ。だからきっと役にたつ。」 「せいっ!!」 空が怒鳴り声をあげたので青はびくっと体をすくめ今にも泣きだしそうになった。 七海はそんな青の頭を撫でた。 「青くん、この間研究所に入った時、もう2度と研究所に入っちゃダメだって。 真一郎と約束したんだよね?」 青がうっと言葉を詰まらせる。 「でも、ななちゃん、」 青はそれは納得していないという顔で七海に訴えた。 空は七海から「真一郎」という名が出たことに胸がズキンとした。 その名を七海ちゃんに言わせてしまったことに。 どんな思いで七海ちゃんが兄ちゃんを口にしているのだろうと 思うと空はいても立ってもいられない気持ちだった。 あれから(空が真一郎と再会してから)七海ちゃんは兄ちゃんの事を 何も言わなかったし聞かなかった。 だから余計に辛くなるのだ。 空は無意識に泣き出してしまいそうな顔になった。 「空くん?」 七海の心配に気づいて空は慌てて笑顔を向けた。 「青は七海ちゃんと廉の事頼むな。 すげえ重要な役目なんだからしっかり頼んだぜ。 オレは市川と一緒だから大丈夫だって、」 空に目配せさせて学が自分の胸を叩いた。 「おう、オレ空先輩や七海ちゃんの事情は知らねえけど、空先輩の ことは大丈夫、オレに任せとけよ。」 「学体調まだ本調子じゃないんだよ。なのに、」 心配する廉に学は微笑んだ。 「空先輩と一緒にぜってえ〜帰ってくるから、 オレの場所は廉のいるところだかんな。」 廉の顔が真っ赤に染まる。 「バカっ、何言ってんだよ、」 空は「ひゅ〜」と冷やかした。 「市川、お前物怖じしねえやつだっておもってたけど、そういう台詞も さらっていうんだな。」 「そういう台詞って?」 自覚のない学に七海が笑った。 「なかなかストレートな告白でしたよね?廉くん」 「なっ、七海先生〜。」 廉の顔がますます真っ赤に染まった。 そんな廉に七海は目を細めた。 「廉くん、青くん私たちは2人を信じて待ちましょう、」 目を伏せた廉を学が抱きしめた。 なんとも目のやり場に困った空は青と七海を即すように立ち上がった。 「青、七海ちゃん、オレたちお邪魔みてえだから部屋行こうか?」 「そのようですね。」 「ええええっ、違う、オレと学はそんなじゃない」 廉が慌てて否定したが全く説得力がない。 廉も素直じゃねえんだなって空は思った。 そしてそんな廉が直に少し似ていると思った。 7章 決別4 |