If ・・・(もしも)7章 決別 1 芥が目覚めたのは一面真っ白の壁だけがある天井が高い
へやだった。 「あの男」の管轄の嫌な思い出のある治療室だ。 定まらない視点をぼんやりと動かすと「あの男」と目が合った。 芥は咄嗟に上体を起こそうとした。 が、起こそうとした頭はぐらっと傾きベッドに手をついた。 その手も芥の体を支えることができず倒れ落ちる。 その様子を見ていたあの男はわざとらしくため息をついた。 「今はまだ動かないほうがいいだろう。」 芥は忌々しげに「ちっ」と舌うちして周りを見回した。 「学はどうした、どこにいる!!」 「そんなに大事ならなぜあんなものを飲ませた?」 「お前だって水都真一郎に飲ませたのだろう。」 「さあ、なんの事だか、」 惚けるこの男に芥はぎりぎりと苛立ちと嫌悪を見せた。 昔からこの男の事が嫌いだった。 この男の血が自分の中にも流れていると思うと自分にも嫌悪するほどだった。 「学はどうした!!」 芥がもう1度ほえるように言うと男は頭を掻いた。 「集中治療室だ。」 「っ、」 絶句した芥に男は冷たく言葉を続けた。 「どうした? あの薬を服用すればどうなるかそんな事、お前なら わかっていたはずだろう。 それともあれと一緒に心中するつもりが自分だけ助かって苛立っているのか? いっておくがアレは今の状態では助かる見込みはない。」 芥はぎゅっと拳を握り締めた。 「なぜオレを助けた、」 「何のことだ。」 「惚けるな!!オレは学と同じものを飲んだ。 なのに記憶も残っているし生きている。貴様がオレに何かしたからだろう。」 「さあな。 だが「あれ」は今日お前の薬の解毒剤を作るために多種の 薬品を試飲していた。 その上、お前が飲ませた薬との相乗で 重篤状態が続いているのも当然だと思うがな、」 責めるように男は芥にそういった。 芥は自身が渦巻く闇に囚われそうだった。 あの「七海かい」の息子に奪われたくなかった。 醜い嫉妬だとわかっていても自分を抑えるすべはなかった。 なぜたった一言、「行くな」と言えなかったのだろう。 「愛している」と言えなかったのだろう。 芥はのそりと立ち上がった。 体はまるで宙にういたようにふらふらで視線も定まらなかった。 よろめき壁にぶつかり躓いたが芥は壁頼りに部屋を出た。 男は芥に手を貸すことも止めることもしなかった。 芥はガラス張りの集中治療室の前で立ち止まった。 学には生命維持装置が取り付けられ研究員と助手が取り囲み必死で学の蘇生に 取り掛かっていた。 そんな周りの様子とは裏腹に学は眠っているようにおだやかな表情をしていた。 「ま、さか・・・。」 芥の後を追ってきた男が背後から言った。 「まだ息がある。今全力で治療にあたっている。」 男が言った意味を芥は瞬時に理解した。 今学はまさに生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。 芥は全身の震えを押さえるように拳を握り締めた。 「頼む、オレも治療に加わらせてくれ、」 「それは出来んな、」 「なぜだ!!」 「お前は本気であいつを助けたいと思っているのか。」 応えることができず芥は唇を噛みしめた。 学を閉じ込め、芥は何度「ひとおもいに学を・・、」と思ったろう。 学が今まさに生死の淵を彷徨っているのもすべては芥のせいなのだ。 それでも、助けたい、学に生きていて欲しいと思う。 たとえ自分自身がどうなったとしても。何を犠牲にしても、 芥は立っていることが出来なくなって治療室の壁にもた れこんだ。 「ガク、ガク、ガク・・・」 芥は嗚咽するようにガラス向こうのガクに向かって叫んだ。 そうすることしか芥には出来なかった。 そんな芥の背に男が言った。 「あれを本気で助けたいなら、綾野の方がいいだろう」 「助かるのか?」 「綾野は薬剤に関しての知識は私よりも豊富だ。 可能性はある。」 一瞬の迷いの後 芥はそれにただ小さく頷いた。 「構わないのだ?」 「構わないといっているだろう。」 男は芥の意思を確認すると集中治療室の中に入った。 芥もその後に続く。 緊迫していた研究員の視線が一斉にこちらに向いた。 「相沢教授、一時の危険は脱しましたが薬の作用がどう働くのかは依然・・、」 「わかっている。」 相沢は一言そういうと研究員たちを見回した。 「今から綾野の病院に護送する。服用した薬の成分分析は?」 「おおよそ解析できています。」 「その解析結果を今から綾野に送る。 現在の状況と経過を細かに報告、護送車の手配をしろ、 残ったものは学の蘇生に全力を尽くせ、 綾野に話を通してくる。」 研究員たちが一斉に一つの望みにかけて動き出す。 相沢は治療室から出る前に芥をチラッとみ最後の指示を出した。 「少しの時間でいい。芥と2人にしてやれ。」 「しかし、芥は、」 研究員のひとりが反論しようとしたが相沢はそれを最後までいわせなかった。 「構わん」 白衣をなびかせたその男の背に向かって芥は頭を深くさげた。 気づいたとき芥は学と集中治療室に2人きりになっていた。 憎んでいた。 奴の事を、そしてこの男と同じ血が流れている自分を、そして学の事も だがどんなに否定しようとも押さえてもあふれ出し零れだしてくる。 「学、」 あふれ出した想いを言葉にし芥は横たわっている学の手に手を添えた。 生暖かな手の感触が芥を少し勇気づけた。 芥の胸にガクとの日々が甦る。 まだ小さかった学はここが何なのか、自分の置かれている状況さえ 認識はしていなかった。 恐怖で震えながら必死に抵抗して泣きじゃくっていた学の代わりに検体を 芥は自ら申し出た。自分が辛いことよりも学の泣き顔を見ることの方が 耐えられなかった。 どんなに遅くなっても芥が部屋に戻ってくるのを学はいつも待っていた。 熱い夏、うだるような猛暑の日、芥がいつものように部屋に もどると学は部屋にあった水道の栓を限界まで開けて床を 水浸しにしていた。 「学何をした?」 「へっ気持ちいいよ、かい、」 「気持ちいいって?」 学はいつも突拍子もないことをして芥を驚かせた 学は小さなその手で水をすくうと芥の顔にバシャバシャかけた。 薬品でほてった体が心地よかった。 学はそんな芥に嬉しそうに笑った。 「なっ、いいだろ?」 今にして思えば学は芥のために水道の栓を抜いたのでは ないかと思う。 突拍子のない行動もそうだ。学は芥を笑わせるために 驚かせるためにしていたような気がする。 「こんな事をしたら、後でどうなるかわかっているのか?」 「ん?いいじゃん、どうぜ、何やっても父さん怒るもん、」 芥は惚けたように水浴びするガクを見つめた。 こんなに楽しそうなガクを見たのは初めてだった。 芥は学を叱る事も止めることもできなかった。 結局怒られて芥と学はその日のうちに水道のない部屋へと移された。 うだるような暑さの中、学はその晩高い熱をだし、三日三晩芥が付きっきりで 看病することになった。 芥は昨日の事のようにあの時の事を思い出し、重ねた手を ぎゅっと握り締めた。 そうするとますます思いが、記憶が芥の中に甦った。 冬の寒い日、薄い毛布に猫のように包まり2人抱き合った事、 学と取っ組みあいのケンカをしたこともあった。 2人とも同じ実験の検体にされて、(データーの違いを分析するため) 気がふれてしまいそうになった時、学が芥を支えてくれたことだって あった。 けれど、 学にはあの頃の記憶はない。 確かにあの頃はあったはずなのに、記憶に残っているのは芥だけだ。 それが学のせいではないことぐらいわかっている。 けれど無邪気に笑いかけてくる学に芥の苛立ちは、学への想いは いっそう募っていった。 これではあの男となにも変わりはしない。 「学・・・、」 芥は握り締めた学の手を見つめた。 その手にホンの少しの力が返ってくる。 何度も触れたはずなのに、抱きあったはずなのに 芥は今初めて本当に学に触れたような気がした。 研究員たちの足音が近づいてくる。 「ガク、もう2度とお前に会うことはないだろう。 それでもオレはお前を愛してる。」 芥はガクの唇にそれを落とした。 7章 決別2 |