続・フラスコの中の真実 4 綾野からメモを渡されてから3日後。 綾野から受け取ったメモを片手にいざマンションの前まで来たものの学は まだ迷ってた。 芥は昨日から薬品会社との打ち合わせに出掛けていて明日まで 帰ってこない。 教授に会うなら今日しかねえって思ってココまで来たけど、 やっぱ【芥】として会うのはまずいよな? 教授だけでなく芥も裏切るような後ろめたさに学は小さくため息をもらした。 『けどオレ教授に約束しちまったし。』 あの口約束は綾野の思惑のうちだと言う事を学は気づいてはいない。 化学のこととなると人並み外れた知識と洞察力を持つ学も、人の内面 を疑うという概念はほとんど持ち合わせていない。 それが学の良いところでもあり困った所でもあるのだが・・。 マンションの前をうろうろと歩きながらぐるぐると思考を巡らしている学は周りから見るとかなり 不審な人物なのだが学自身はそんな事にも気づいてない。 ああでもない、こうでもないと思っているとき学は突然妙案が浮かんで パチンっと両手を鳴らして。 「今日限りってことにすればいいんじゃねえ。 教授にちゃんとわけを話して・・・そしたら芥も綾野ちゃんにも納得してもらえるよな?」 思い立った学は今まで散々迷っていた事も忘れるほど元気よくマンションへの階段を 駆け上がった。 綾野ちゃんのメモに書かれた部屋の番号は305号室。 表札もないその部屋にたつと学は深呼吸をしてからチャイムを鳴らした。 チャイムを鳴らした後、即に教授からの返答があった。 「芥!?」 出迎えた教授は学の顔を見るなり嬉しそうに破顔した。 「芥、よく来てくれた。」 学はドキンと一つ自分の胸が高鳴るのを感じた 教授がすげえ芥に似てたんだ。 やっぱり教授と芥は親子なんだって改めて学が思うほど。 残念ながら芥はこんな風にオレに笑ったりしねえけど・・って教授 が笑うのをみるのもオレはじめてだよな? 芥の前だといつもこんな風に笑ったりするのかな。 ってそんな事考えてる場合じゃなかったんだ。 学は自分の考えを打ち払うように大きく首を横に振った。 「あのな、教授実はオレ・・。」 「すまない芥、今料理中なんだ。話は部屋の中でもいいだろう?とにかく上がりなさい。」 学が言いかける前に教授は慌てて部屋の中へと入って行った。 教授料理してたのか? そういえば部屋の中からそれはうまそうな匂いが学を誘っていた。 この匂いはハンバーグ??・・・それにソースのこげる匂いもする。 教授の後を追って部屋に足を踏み入れた学は 小さなテーブルの上に所狭しと置かれたご馳走に目を丸くした。 そこにはエビフライにスパゲティー・ハンバーグにポテトサラダ が並んでる。しかもどれも今出来たばかりなんだろう。湯気が立ってる。 「これひょっとして全部教授が作ったのか?」 この料理を教授が作ったなんて学には到底想像できなかった が・・現に今教授はキッチンでオムレツを焼いていた。 「ああ。芥がそろそろ来る頃だろうと思ってな。」 オレは今日来るなんて一言も教授に言わなかったのに。 それにこの料理はどれもオレの好物ばかりだ。 学が驚きで絶句してると教授が話しかけてきた。 「芥が子供の頃好きだったものばかりを作ってみたのだが。 子供っぽすぎただろうか?」 「ううん。オレ昔から好きなもん変わってねえぜ。それに すげえ食いしんぼうだからこれ全部平らげちまうかも!!」 「そうか、それは料理のし甲斐がある。」 それだけ言うとまたオムレツを作り始めた教授の大きな背がなぜだかぼやけた。 ひょっとして教授は毎日オレのことをこうやって待ってくれてたんじゃねえかって思ったんだ。 学は熱くなった目頭をごしごしと擦った。 教授に本当のことなんて到底言えそうになかった。 学はこのときはじめて芥が羨ましいと思った。 こんな温かい「お父さん」が芥にはいることに。 「ご馳走様、教授すげえうまかったぜ。」 教授が作った料理を平らげるとさすがに学は腹いっぱいになった。 「満足したか?」 「おう、教授って料理も上手いんだな。オレ知らなかった。 でもさすがにこれ以上は米一粒食えねえって感じ。」 「それは残念だな。デザートのケーキを用意していたんだが。」 「マジ??」 デザートと聞いて学の大きな丸い瞳が上目遣いに潤んだ。 「ああ、だが食べられないのだろう?」 冗談ぽく聞いてきた教授に学は慌てて返事を返した。 「ううん、オレデザートは別腹!!」 教授は笑いながらコーヒーとこの間綾乃ちゃんに預けたケーキをオレに持ってきてくれた。 「今日もケーキが食えるなんて、オレ幸せ!!」 「芥は本当にうまそうに食うな。」 「おう、オレ食ってる時が一番幸せだからな。それに 実験してる時もな。」 学がチョコクリームを頬につけながら力説すると教授が笑った。 「芥も実験が好きか。 そういえば、・・・この間化学室で会った芥と同じ名前の青年。 芥は彼と一緒に薬を作っているのだろう?」 突然の芥の話題に学は食べかけていたケーキを詰まらせそうになった。 「うっ?って教授それ綾野ちゃんに聞いたのか?」 「ああ、あの青年は芥の恋人だとな。」 「そ・・・それは・・。」 『優しそうな青年ではないか。』と続けられて 学は何と応えていいのかわからず頬を染めた。 そんな学に構わず教授は話を続けた。 「彼にすまなかったと謝っておいて欲しい。」 「へっ?なんで。」 「いきなり恋人が見知らぬ男に抱かれているのを見たら 誰だって怒るだろう。」 学は真っ赤になった頬を耳まで赤く染めた。 「きょ、教授、あのな、その・・・驚いたりしねえの?オレの恋人が男でも。」 「驚く?何を?好きになった相手が男か女かと言うだけの事だろう。」 学はほっとすると同時に心の中がほんわかと温かくなるのを感じた。 それは今までに教授に感じてた学者としての憧れや尊敬とは違う 感情だった。 「教授あのな、聞いてくれるか・・・。」 「ああ、芥のことならどんなことでも聞こう。」 優しい教授に学は胸がいっぱいになると普段誰にもいえない悩みを打ち合けた。 「オレな、芥とは別に付き合ってる人がいるんだ。」 「彼以外に?」 「うん。オレ二人の事がすげえ好きなんだ。だからどちらかを選ぶなんて 出来なくて。 けどそれってオレのわがままだってわかってんだ。 芥も廉もそのことでオレを責めたりしねえから。オレ辛くて。 いつか二人ともこんなオレの傍を離れていっちまうんじゃねえかって不安に なるんだ。」 教授は立ち上がると椅子に座ったままの学の顔をそっと自分の胸へと優しく引き寄せた。 突然教授の心臓の音がトクンと近づいて学は頬を染めた。 けどそれは温かくて居心地が良くて学は体を預けた。 「芥はそのままでいい。選ぶことなど考えなくていい。」 「けど・・。」 「もし二人が芥の傍から離れていったとしたらその時は諦めればいい。 だが二人はそんな事で芥から離れて行ったりはしないと私は思う。 二人はそんな芥が好きだといってるのだろう?だったら今のままでいいではないか。」 学は少し名残惜しさが残る教授の胸から離れると照れくさそうに笑った。 「教授ありがとな。そっか今のままか。」 学は教授の言葉にすごく救われた気がした。 「それにしても血は争えぬものだな。」 「へっ?」 「私も若い頃はこれでもよくモテたものだ。」 学は教授の話に興味深くうんうんと頷いた。 教授は若い頃って言ったけれど今だって充分に若いしカッコいいと学は思う。 もし教授が本当のオレの親父だったらきっと皆に自慢してたって。 「そういえば教授、芥の・・・オレのお袋ってどんな人だったんだ?」 「・・・お前のお母さん・・・」 誤ってうっかりと芥と言いかけた学だったが教授はそれには気に留めなかったらしい。 そんな事に構えないほどに教授は学の何気ない質問に動揺したようだった。 「ごめん、オレ変な事聞いちまって、」 そういえば以前芥にも同じ事を聞いて、その時も芥はひどく動揺していたようだった。 きっと聞いてはいけないことなんだろうと学が思っていると意外にも教授の方から 話しだした。 「芥の母さんは温かくて優しい人だったよ。」 教授は昔を思い出すように遠くを見つめていた。 「だが、眼鏡をかけて白衣を着ると人格が変わったように冷淡かつ。 冷酷になるんだ。それはまるで別人のようだった。」 「眼鏡に白衣を着ると別人・・・?それって2重人格ってこと。」 空先輩や藤守先輩のような2重人格だろうかと学が考えていると 教授はいいやと首を振った。 「本来医学的に言われる2重人格は人格が交代している間もう片方の人格は関与せず記憶もないものだ。 だが彼女はその間の記憶もしっかりあったようだ。」 教授の話を聞きながら学は自分の身近にもそういう人物がいたような気がしたがこの時 思い出すことがどうしても出来なかった。 「彼女は16の時に実験中の爆発で死んだよ。」 「えっ?!」 暗い過去とは思えないほど教授の口調は冷たくて表情は薄ら笑みを浮かべていた。 まるでその一瞬だけ以前の教授に戻ったように。 すると教授はふっと小さくため息を吐いた。 「くだらない話だったな。芥、コーヒーが冷めただろう。入れなおそう。」 そう言った教授は先ほどみせた冷酷な表情はどこにもなかった。 5話へ
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