あの翅なしにアポロニアスの子が宿った?
『そんな・・・』
トーマは水鏡にうつしだされた幸せそうな2人にどす黒い嫉妬
と悲しみとが入り混じった感情を押し隠すことが出来なかった。
悲しみに慣れというものはないらしい。
トーマは崩れ落ちるように水鏡の前で膝をついた。
悲しみの渦に飲み込まれそうになりながら翅なしの女の幸せそうな
表情が妙に脳裏に焼きついた。
あれは私の幸せのはずだった。
彼に愛される幸せ。
彼の子を宿す幸せ。
彼と分かつすべての未来・・希望・・。
それをすべて奪われてしまったのだ。
トーマは崩れ落ちた神殿に立った。
そうすると彼と昔ここで語り合った日々を思い出しなお心が痛んだ。
どこに行ってもアトランディアは彼とすべてを共有した時間と愛しあった場所だった。
トーマは彼の面影を知らず知らずのうちに追っていた。
彼の存在はないと頭では理解していてもトーマは自身に微笑みかけてくれる彼を
追い求めて翅を震わせた。
その様子を音翅はただ耐えるようにじっと見つめていた。
トーマがアポロニアスと恋仲になるずっと前から想いを焦がしていたのだ。
アトランディアはやがて崩壊してしまうだろう。
その前に音翅はどうしてもトーマに伝えておきたかった。
たとえこの想いが報われることなどなくても。
崩壊寸前のアトランディアにアポロニアスの幻影を求めて飛び続けるトーマに
音翅がようやく声を掛けたのは日が暮れ太陽の変わりに月が
支配する夜空になってからだった。
「トーマ様・・。」
背後から呼びかけるまでトーマは音翅がそこにいることにさえ気づかなかった。
振り返った瞬間彼女の姿がアポロニアスに重なってトーマは悲しく微笑んだ。
「トーマさま・・・。」
トーマは音翅の想いを知っていた。だからそのままふわりと浮かび上がると
彼女を抱き寄せた。
「トーマ様?!」
三度トーマの名を呼んだ音翅は驚きで目を見開いた。
「音翅キミの気持ちに今まで気づかなかった私を許して欲しい。」
トーマはそういうと音翅に優しく口つけた。
「音翅お願いがある。アトランディアの崩壊を阻止するために私に力を
かしてくれるね。」
音翅はそういわれるとそれがどんなに困難であろうとも引き受けるだろうと
思った。
それがたとえトーマとあの憎いアポロニアスとの仲を手びくになったとしても。
「音翅、私はこれからアポロニアスと最期の戦いに向かう。
私と彼が満月に浮かび上がったら私とアポロニアスを時空の狭間へと飛ばして欲しい。」
「トーマさまそれは・・・!!」
音翅は絶句した。時空の狭間に飛ばす。
それはもう2度と戻ってこれぬ時空の流れへ堕ちるということだ。
「出来るね?」
音翅が何かいう前にトーマはそう言った。
音で空間を操る音翅なら容易ではなくも出来るはずだった。
「ですがトーマ様、時空の空間は無数に入り込んでおります。一度堕ちれば我ら天翅といえどもう2度と這い上がることはできませぬ。」
「だからよいのだよ。」
トーマはそういうと音翅に優しく微笑んだ。
彼と一緒ならどこに堕ちようと怖くはない。
もはやそうすることでしかアポロニアスを繋ぎ止める方法がトーマにはなかったのだ。
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