音翅は悲しみで翅の音を振るわせた。
「トーマ様がいないアトランディアなど私には生きている意味がありませぬ。」
「何をいう、音翅。どうあっても私たちの子孫を残さねばなるまい。
それが我らの役目というものだよ。
あの翅なしに我らの種まで絶やされるわけにはいかないだろう?」
諭すようにそういうとトーマは優しく微笑んだ。
トーマは彼女を抱き寄せるとはじめて真正面から彼女を捕らえた。
音翅はそのまっすぐな瞳を見つめ返すことが出来なかった。
「わかりました。それがトーマ様のお望みとあらば・・・。」
「ありがとう。」
トーマはふわりと包んだ音翅の体を解いた。
「行ってくる。」
そう言ったトーマは幸せそうだった。
トーマ様はまたあの憎い男の元へといってしまうのだ。
想いが報われることなどないと知りながら・・。
音翅は自身もトーマもどこまでも不器用なのだと思った。
トーマの出現に大地は震撼した。
アトランディアは既に崩壊寸でだというのは誰もが知るところだった。
だが・・だからこそ、最後の決戦に皆恐怖したのだ。
「天翅が最後の抵抗に何をしてくるかわからないという」恐怖。
当然、トーマの出現を迎え出たのはアポロニアスだった。
自身の元へ上ってくるアポロニアスをトーマはじっとみつめた。
何もかも知り尽くした相手・・。
トーマが唯一人愛した男・・。
トーマは心の中でほくそ笑んだ。
「トーマ!!」
「待っていたよ。アポロニアス」
月の影がアポロニアスを捕らえた瞬間、トーマは音翅に思念で呼びかけた。
『今だよ、音翅」
戸惑いと悲しみを抱いたまま音翅はアポロニアスを飲み込むように
時空を開けた。
「でかした。音翅・・」
「トーマ様、時空をあけていられるのはせいぜい数分が限度です。」
「それでいい。」
思念で会話しながらトーマはもがくアポロニアを見つめた。
彼は必死にそれに抵抗していた。もし彼に以前の翼があったならこの闇に
堕ちることはなかったかもしれない。
「アポロニアス!!」
「セリアン!!」
地上からあの翅なしの女が邪魔な思念を送ってくる。
「翅なしの分際で私からアポロニアスを奪おうなど不相応なのだよ。今度はキミからアポロニアスを奪う。永遠にね。」
「アポロニアス!!」
セリアンの悲鳴にも似た叫びにトーマは極上の笑みを見せるとアポロニアスの居る時空の狭間に身を投じた。
時空の空間でトーマはアポロニアスを捉えた。
真っ赤に燃えるような瞳がトーマをじっとみつめていた。
それはアトランディアで恋人だった頃アポロニアスが自身に向けた瞳
と同じ優しい瞳だった。
「アポロニアス・・。」
トーマは心から湧き上がってくる喜びに胸躍らせた。
だが次の瞬間トーマは時空から跳ねだされていた。
「なぜ!?」
トーマは手を伸ばせば届きそうなアポロニアスに無意識に手を伸ばした。
アポロニアスからも手が伸びる。だがそれはトーマは抱きしめる
為のものではなかった。
トーマはおもっいきりアポロニアスに突き飛ばされ完全に時空から
はじき出された。
アポロニアスを覆っていた空間が闇に戻ろうとしていた。
「待って!!アポロニアス、私を置いていかないで!!」
アポロニアスの姿が遠くなっていく。
トーマはその闇を力の限り追いかけた。
「音翅もう少しでいい。」
「トーマ様申し訳ありません。もう限界です。」
トーマは必死だったからわからなかったが空間を閉じたのは
音翅自身だった。
完全にアポロニアスの体が時空へと消える前トーマは彼の声を聞いた。
「セリアン・・元気な子を産んでくれ・・。
トーマお前は・・・い・・ぬけ。」
最後はなんと言ったのかトーマにはわからなかった。
「アポロニアス!!」
トーマとセリアンの絶叫は皮肉にも同調するように地上とアトランディアに響いた。
トーマは今にも崩れそうなアトランディアの宮殿内に音翅の力で戻されていた。
アトランディアは心さえも凍てつきそうなほど音もなく冷たかった。
「音翅、私は何もかもなくしてしまった。」
トーマの美しい瞳から光が消えうせていた。
このままではトーマ様は死んでしまうかもしれない。
音翅は悔しかったが言うしかなかったのだ。
「トーマ様、知っておいでですか?
同じ時空の狭間が1万と2千年という周期で訪れる事を。」
「それはもしかして・・?」
「はい・・。」
音翅が静かにいうとトーマはわずかに微笑んだ。
ヨハネスの命でアトランディアに残されたすべての種は絶対氷河の中で眠ることになった。
来るべき時代に備えて・・。
それがいつになるかは誰にもわからなかった。
それでもまた彼と再びめぐり合えるというなら・・・。
1万と2千年など天翅にとっては遠い未来ではない。
トーマは儚げに笑うと瞳を閉じた。
アポロニアス、今度こそ必ずキミを私のものにしてみせる。
完