僕がその話を聞いたのは家で研究会の準備を芦原さんとしている時だった。
「アキラ君 進藤君とは仲がよかったよね。」
「ええ まあ。」
何の気なしに応えた僕に芦原が言った。
「それじゃあしばらく寂しくなるね。」
「何がです?」
理解できなかった言葉を聞き返した。
「アキラくん。進藤くんの事何も聞いてない?なんでも中国棋院へ
留学するらしいよ。」
僕は咄嗟に返す言葉も見つからなくて絶句した。
全くの寝耳に水である。
「芦原さんそれ誰から聞いたんです?」
単なるうわさかも知れないと逸る気持ちを押し隠した。
「森下門下の冴木さんだよ。進藤君と同じ研究会に通ってるとかで。」
何がどうしてそうなったのか全く想像できないが、
瞬時に僕はこの情報を確信に近く捕らえた。
昨日、芹沢先生の研究会で一緒になった時もその前に
碁会所で会った時にも彼はそれらしい事は何一つ言わなかった。
だが彼の様子に不自然さは感じていた。
進藤は僕と二人きりになるような状況を避けていたような気がする。
それは碁打ちとして僕と付き合う姿勢と恋人としての付き合いを
彼自身が分けているのだとばかり僕は思い込んでいた。
確か進藤は今日森下先生の研究会で棋院に今いるはずで、
それに気がつくと・・・・
湧き上がってくる感情を抑える事が出来なくて僕は部屋から
飛び出していた。
「アキラ君どうしたの?」
僕は早口で応えた。
「すみません。棋院に行ってきます。皆さん来たら研究会を始めてください。」
丁度玄関を開けた所で研究会に来た緒方と出くわした。
「アキラ君おはよう。ってどうしたんだい。そんなに慌てて・・。」
何を言われても今は聞く耳など持ち合わせていない。
僕は手短に挨拶だけを済ませ緒方の横を通りすぎようと
した所で足止めされた。
「ひょっとして進藤のことか?」
それはどんな言葉よりも僕を引き止めた。
僕は緒方を凝視した。
「緒方さんもご存知だったとか?」
「進藤が中国棋院へ留学することか。」
緒方まで知っていたことに僕は驚愕して唇をかんだ。
「まさか進藤から何も聞いてないのか。なんだ、あの晩
お前らはてっきりできたのかと思ってたのに、何の事はないな。」
僕は緒方の言葉に止めた足を門へと急がせた。
「まあ、待てアキラくん。進藤の中国棋院の件だが留学を推薦したのは
この俺だ。」
「緒方さんが・・・・」
僕は緒方に対する怒りと敵意でおのずと声が震えた。
「おいおい。勘違いするなよ。確かに俺も推薦したが、森下先生や
白川それに倉田も熱心に推薦したようだったぜ。それに何より
中国行きは進藤本人が決めた事だ。アキラくんに恨まれる
のは筋ちがいってもんだろう。」
あきらかに今の状況を楽しんで可笑しそうに言う緒方に僕は殴りかかり
たい気持ちを必死に抑えた。
今はそんなことより進藤に事実を聞く事の方が先決だ。
「失礼します。」
僕はそれだけ言うと棋院への道を急いだ。
|