森下の無骨な言葉に白川が優しく補足する。
「私も見ましたよ。本当に進藤君の成長にはいつも驚かされます。」
そこで白川は一端言葉を切ると森下と目配せした。森下は白川に任せる
というように腕をくんだまま頷いた。
「実は進藤くんに中国棋院へ留学する話がでているんですよ。」
「えっ俺が中国棋院に!?」
あまりの唐突な話に俺は息を呑んだ。
「そうです。進藤君も知ってのとおり、日本の囲碁界は今や韓国や中国
に押され低迷しています。棋院としては日本から世界に通用する碁打ち
をだして巻き返しを図りたいところなんです。
そこで、前々から打診していた中国棋院へ若手棋士を留学させる話に
私と森下先生が進藤くんを推薦したんです。」
「俺を?」
いままで白川の話を聞いたいた森下が口を挟んだ。
「俺や白川もお前を推薦した一人だが、倉田や緒方もお前を強く推薦したそうだ。
どうだ。中国にいって勉強してみないか?」
俺は自分が認められた事が何よりうれしかったし強い奴と打てる機会を与えて
もらえる事にすぐさまこの話に乗り気になった。ただ一点をのぞいては・・・・・
「先生、その中国への留学っていつから、どれぐらいの間なんですか?」
「来月 6月から1年間だ。」
「6月から1年・・・・・じゃあ俺は来年の北斗杯には出られないってこと?」
それまで瞥帳面だった森下がにやりと笑った。
「お前のことだ。来年の北斗杯に出場したいことぐらいはわかってたさ。」
森下の言葉を白川が引き継ぐ。
「来年の北斗杯ですが、塔矢くんと進藤くんはもう出場が決まっています。」
うれしいはずの言葉だったが、それはさらに俺の戸惑いに拍車をかけた。
塔矢と俺の出場がシードされれば必然的に残り枠は一人になるわけで
それは不公平だと誰もが取るだろう。
「あいつはわかるけど、俺はなんの実績もない初段
で、そんな俺がシードされれば他の棋士だっていい気はしないでしょう。
俺は予選を勝ち抜いて出たいんです!」
森下は腕組をしたまま俺の言う事ももっともだというようにうなづいた。
「なら、北斗杯の予選をでる事を条件にすれば中国留学をしても
構わないってことなのか?」
「留学をしてもいいじゃなくて、機会をもらえるなら俺は絶対行きたい!」
満足したように森下はようやく笑顔を見せた。
「お前の言う事はよくわかった。そのことは俺から棋院と話をつけよう。
白川君、」
白川は心得ていますとばかりに返事を返した。
「あとは進藤君のご両親の事ですね。」
「俺の両親?」
不思議に思って俺が聞き返す。
「そうです。いくらプロといえ進藤君は15歳。1年も留学するん
ですからきちんとご両親に説明しないといけません。
森下先生、私は進藤君の御両親とは面識がありますからその事は
私の方に任せてもらっていいでしょうか。」
森下は「うぬ。」とうなずくと俺の肩を力強く叩いた。
「よし、詳しい話は追って棋院から連絡があるはずだ。お前は
今後もしっかり精進しなさい。来年の北斗杯楽しみにしているからな。」
「はい。」
俺は森下の言葉を強くかみ締めた。
棋院の1階ロビーで待ってくれていた和谷が声をかけてきた。
「進藤どうだった。中国行きは決意したのか?」
俺は驚いて和谷に聞き返した。
「なんで和谷が知ってるんだ。」
和谷はへへって笑いながら頭をかいた。
「実は研究会が始まる前に森下先生と白川先生が話してるのを冴木さんと
一緒に聞いちまってな。でどうするんだ。」
「俺は中国に行くよ。」
「そっか。やっぱお前の事だからそうだろうと思った。」
和谷の目はどこか遠い。
「なあ、知ってる?中国棋院に俺そっくりの棋士がいるんだと。
それも結構つよいらしいぜ。」
俺は和谷の言葉に噴出した。
「伊角さんから聞いたことあるぜ。なんかすげえ楽しみ!」
「そいつと対局するのがか?」
「もちろんそれもあるけど、全てがさ、俺 強い奴と打てると思うと
それだけでわくわくするんだよな。」
「相変わらずだな。進藤、でも寂しくなるよな。
1年なんだろ?
塔矢なんてライバルのお前がいなくなったら気が抜けるんじゃないか。」
俺ははたっと自分に抜け落ちていた事があることに気が
ついた。
塔矢・・・・・
俺は自分の事ばかり考えていたけれどこの事を塔矢が聞いたらどう思う
だろうか。理解してくれるだろうか。俺にとっては1年なんてあっと言う間
だと思うけれど塔矢もそう思ってくれるだろうか。
突然だまりこくった俺に和谷が怪訝そうに聞いてきた。
「進藤どうした?」
「いや。あいつは俺が中国へいくことを聞いたらなんて思うかなって
思ってさ。」
「塔矢のことか?俺はあいつじゃないからわからねえけど、極端だと
思うぜ。ライバルのお前が強くなる事を望んでるようなやつだからな。
喜んで送りだすかも知れないし・・・・・」
「・・・・・・?」
「異常におまえに執着してるやがる所もあるから全く認めないか・・・
まあどっちかなんじゃないの。」
「和谷なんか人事だろ・・・お前」
「そりゃ人事さ。」
俺は大きくため息をついた。
塔矢に理解して欲しいと思う。
俺はあいつといつも同じ位置に立っていたい。
塔矢が好きだから。愛してるから・・・・・
「塔矢にはぜったいわかってもらいてえな。」
「進藤大丈夫だと思うぜ。所詮あいつも碁打ちなんだ。
お前の気持ちは理解してくれるはずだ。」
「うん。」
「とにかく、お前の中国棋院留学を祝ってだな、これからどっか、
ぱっと出かけないか?」
「どこに?」
「そうだな。景気付けに碁会所なんてどうだ。」
「はああ〜?」
「なんだよ。その気が抜けたような返事は。久しぶりだしいいじゃん。
伊角さんも誘ってさ。」
俺は和谷が元気づけてくれた事を悟って返事した。
「いく。いく!そうだ、道玄坂の碁会所にしよう。伊角さんもプロに
なったって河合さんやマスターに挨拶しに行こう。」
「ああ、あそこのマスターね。この間の北斗杯にもに来てた
んだぜ。よし そうと決まれば話は早い。進藤行くぞ!」
俺は和谷と伊角と出かけた碁会所で久しぶりに心から
碁を打つことを楽しんだような気がした。