終局は物語のはじまり








     
緒方先生の車から家に入るほんの数メートルの距離でさえ
雨は容赦なく俺を打ちつけた。


真っ暗な部屋に逃げるように入り込むと言い知れぬ感情が
俺を襲った。

緒方先生と塔矢、俺の目に映った二人は俺よりずっと大人でお似合いだった



目の前で二人に取り残されてしまった俺はどうする事も出来なくて・・・。
そんな自分自身に苛立ちと嫌悪を覚えて冷えた身体と心のまま風呂場へと
向かうと熱いシャワーの湯に身を任せて嗚咽した。




塔矢が好きだ。好きなんだ。
ずっと胸にしまい通せると思ってたのに・・。



いつかあいつに彼女が出来ようとも結婚しようとも俺はライバルと
して友達として笑って祝ってやれる余裕だってあると思っていた。
なのになぜ、こうも心がかき乱されるのだろう。



先生が俺と同じ男だから。それとも先生が同じ碁打ちだから。



違う。俺は塔矢が好きで好きで、 だから本当は誰にも渡したくなかったんだ。
そう悟るとあの場で何も出来なかった自分が口惜しかった。




なおもその身をシャワーに任せていたら
遠くでインターホンの音が聞こえたような気がした。

俺は慌ててシャワーを止めて耳を済ませた。

雨脚の音は先ほどより酷くなっているようでそれ以外の音は何も
聞こえない。


気のせいだったのかもしれないともう一度シャワーに手を
伸ばした時今度ははっきりとその音をきいた。




『ピンポーン』

「ひょっとして 、まさか・・・・塔矢?」



先ほどの後悔を繰り返したくなくて慌てて風呂を出るとジャージを
無造作に羽織って玄関にでた。



間に合って欲しい。





震える声で俺は扉越しに尋ねた。

「そこに誰かいる?」

ドアの向こうには人の気配があった。だが不思議と返事には
しばらく間があった。俺は扉の前で釘づけになる。


「進藤僕だ。あけてくれないか。」


ようやく俺の声に応えた塔矢の声はあきらかに震えていた。

「塔矢!今すぐあけるから。」

鍵を開けて迎え入れようとした塔矢は全身酷い雨で滴っていた。
自分の腕で自分自身を抱くように震える塔矢にはいつもの余裕は
全く感じられなかった。



「塔矢お前・・・・」



どうしたんだと続く言葉は俺の口からは出なかった。
聞かなくてもわかったからだ。

緒方さんに何かされたんだ。直感でそう感じ取ると俺は
塔矢の腕を引っ張って玄関に上げた。



「バスタオル持ってくる。ってバスタオルじゃだめか。お前風呂入れ。
風呂。このままじゃ風邪引いちまう。」

無理やり部屋にあげようとした俺に塔矢が躊躇する。



「進藤部屋がぬれてしまう・・・」

「なに言ってるんだ。部屋は拭けばいいだけじゃん。お前はそうは行かないだろ、
今日は俺一人だし心配すんな。服も洗濯して乾燥させたらいいから泊まっ
ていけ。」

「進藤・・・でも・・・」

おれは有無を言わせぬよう塔矢の腕をそのまま強引に引っ張って脱衣場へと
連行した。

つかんだ塔矢の腕はつめたくて震えていた。
俺は言い知れない思いに駆られて謝った。

「ごめんな。俺気づかなくて。お前随分あそこで待ってたんだろ。
おまえが風邪引いたら俺のせいだ。」

下向き加減だった塔矢が俺の言葉に顔を上げた。


「進藤何で君が謝る。君は何も悪くないじゃないか。」



おれは塔矢の言葉に首を横に振る。



「とにかく風呂に入れ。脱いだ服 洗濯機に入れといて。俺 後で洗濯するから。

お前が入ってる間に着替えも用意しておくから、ゆっくり身体温まれよ。」



俺はそれだけ言うと脱衣場に塔矢を残し自分は2階に着替えを取りに上がった。












冷めた体を暖かいお風呂の湯に沈めると少しずつ自分の体温が戻ってくる
感覚を取り戻す。

それはまるで進藤の優しさと暖かさに浸っているような気がした。

先ほど進藤が風呂に入る前に僕に言った言葉が心の中に染み渡っていくような・・。



一人で雨の中進藤を待っていた時。
心細さ、不安、そして緒方という強敵を前に弱音を吐き出しそうになった
自分がそこにいた。

進藤はそんな自分に何も聞かず、ただ家へと迎え入れてくれた。

雨の中一人で彼を待っていた僕に対し謝罪までしてくれた。

それは錯覚であれ進藤が僕を受け入れてくれるのではないかと
思わせる材料になった。




『進藤 君を愛している。僕は君を誰にも渡したくないんだ。』



彼へと募る想いはもう自分から溢れ出ててしまいそうで行き場のない
想いに心が苦しめられた。






風呂場を出ると脱衣所には彼のジャージと真新しい下着が用意されていた。
手を通すとジャージから彼の残り香がするようで、彼の暖かさに身を包まれて
いるような感覚に自分はどうかしているとさえ思う。




リビングに入ると進藤がソファーから立ち上がった。

「塔矢大丈夫?」

「うん。進藤すまなかった。もう大丈夫だから。」

「そっかよかった。」

「・・・・・・」

進藤と僕の会話は長続きしない。進藤は何かあわてて話題を
探す。

「えっと、のど乾かねえ?あったかい飲み物入れようか。何がいい?」

「それじゃあ、お茶をもらえるかな。」

「わかった。」



台所に入っていった進藤に僕は躊躇いがちに聞いた。

「君は何も聞かないんだな。」

「お前が家に来たことか?緒方先生と何かあったのかなって思ったからさ。
その俺はお前が言いたくもない事、聞きたいなんて思わないから。」

確かに緒方に炊きつけられてここに来たことは認めるが進藤が何か誤解を
しているようで僕は進藤から湯飲みを受け取りながら聞いた。



「僕と緒方さんが何かあったってどういう事?」

「違うのか?ならいいんだ。」

どこか落ち着かない進藤に僕はむしろ彼と緒方さんに何かあったんじゃ
ないかと勘ぐってしまう。

緒方が彼に対して抱いていた気持ちは少なからず察していた。
そして緒方が何かにつけて進藤に絡んでいる事も知っている。



進藤の気持ちが知りたい。仮に僕の気持ちが受け入れられなくても
それで何もかもが終わってしまうような僕たちではないと信じたい。




僕は真直ぐに進藤を見据えて彼への告白を口にした。



「僕がここに来たのは君に僕の気持ちを伝えるためだ。
僕は君が好きだ・・・」



勇気を振り絞っていった言葉は語尾が震えた。

進藤も僕もお互い目をそらさない。

「俺もお前が好きだぜ。」

僕の告白に進藤は穏やかな笑顔でそう返した。
そのあまりにも自然なしぐさに彼が好きの意味を勘違いしたのではないか
と不安になってしまう。



「君を好きだって言ったのは友達としてって事ではないんだ。
その異性を想うような感情なんだ。」

「俺もそういうつもりで言ったんだけどな。」

「進藤本気でいってるのか?」

「当たり前だろ。こんな事冗談でなんて言わねえよ。」


それじゃあ本当に君も僕を・・・・・
信じられなくて、僕は夢でも見てるんじゃないかと思う。
進藤は相変わらずいたずらっぽい笑顔を見せていて、
僕は彼にからかわれいるんじゃないかと不安になる。





半信半疑のまま立ち上がり彼の腕をつかむと彼の腕が小刻みに震えた。
そのしぐさに耐えられなくなってそのまま僕の腕へと彼を引き寄せて抱きしめた。


ずっとこうして彼を抱きしめたいと思っていた。
彼を握りしめる腕に力を込めても彼は抵抗しなかった。

胸の中で沸々と何か別の感情がわきあがる
もっと彼を知りたいと思う。もっと彼に触れたいと思う感情。


本当に彼が僕を好きだというならこんな感情を許してくれるだろうか。
そして彼もそう思ってくれるだろうか。

僕は抱きしめた腕の中にいる暖かな感触を確かめながら進藤に
聞いた。


「君の髪に触れていい?」

進藤は小さくこくんとうなずいた。

僕は抱きしめていた腕を右手だけ解いて金色の前髪をそっと掻き揚げた。
進藤は恥ずかしさからか目線をさ迷わせてから目をつぶった。


金色の前髪は思った以上に柔らかくて艶があって・・・ずっとそうやって
触れていたいと思ったがそういうわけにはいかず髪から手を離すと今度は
進藤がおずおずと僕に聞いてきた。




「俺もお前の髪に触っていい?」

「いいよ。」

僕がそう答えると、進藤が伸ばしたのは僕の後ろ髪だった。
進藤に触れられた途端全身に電流が走ったような衝撃が襲った。

「思ってたとおりだ。お前の髪さらさらできれいだ。」


つぶやくようにいった進藤に僕は彼もまた自分と同じように思っていたことを
理解して耐えられなくなって僕の髪に触れていた腕を引いた。

「塔矢・・・・・?」

「進藤 、ずっと君が好きだった・・・」




そういうと僕は彼の唇に自分のそれを押しつけた。

進藤の唇は思った以上に柔らかくて暖かくてもっと深く貪りたくて
僕は深く唇を這わした。



唇を離した途端進藤が真っ赤な顔をして僕から顔を背向けた。

僕は心配になって進藤から体を離した。

「 嫌だった?」

彼は顔を横に振った。

「違う。突然だったからその驚いただけ。そのまだ信じられなくてお前が
本当に俺の事なんて好きなのかって・・・俺 都合のいい夢でも見てんのかな?」

彼も僕と同じことを考えていた事がうれしくて笑いながら言った。

「僕は夢なんかで終わらせたくないよ。進藤その君さえ良ければ僕の
恋人になってくれないか。」

「こいびと・・!?」


僕の言った言葉に真っ赤になって反応する進藤が可愛くて僕はだめ押しのように
彼の耳元につぶやく。

「君をもっと知りたいんだ。」

進藤は僕の言葉に頭をかいて「へへっ」と照れ隠しのように笑った。

「いいぜ。その俺もさあ、お前の事碁の事ぐらいしかしらないからもっと知りたいなっ
て思ってたんだ。」


彼の言う『知りたい』と僕の言うそれとは微妙に違う事に気が付いたが
それでも僕はうれしかった。



「進藤それ本当?」

「ああ。俺お前の恋人になるよ。ちょっと照れくさいけどな 、そのよろしくな。」


屈託なく笑う進藤に僕も笑顔で返した。


「僕の方こそ。」

「進藤、早速なんだけどまず手始めとして・・・君の部屋を見せてほしいんだけど
いいかな。」


「ああ。何もない部屋だけど塔矢が見たいって言うならいいぜ。」



進藤について階段を上ろうとしたら、
「ぴぴ〜ぴぴ〜」と脱衣場からの音に進藤が反応した。



「ちょっと待って!その前にお前の服が洗濯出来たみたい。干してから行こう。」

進藤について脱衣場へ行くと洗濯機から僕の衣類(下着やらも含まれる)
を出そうと進藤が腕を入れたところで僕は進藤のその手を慌ててとめた。



「進藤僕がするからその君はその乾燥の仕方を教えてくれたらいいから。」

あまりの事に同様を隠せない僕に進藤が不思議そうな顔をする。

「どうした?塔矢お前顔赤いけど。」



理解できていないような進藤に僕は今後いろいろな事で思い
やられそうだという事を想像した。
がむしろそんな日々も楽しみだとさえ思う。何しろ今までずっと片想いだと
だと思ってきたのだから。

浴室に進藤が物干し竿を掛ける。



「進藤ここに服を干すのか?」

「ああ。浴室が乾燥機になってるんだ。ここだと皺にならないしお前のシャツだって
アイロンなしで明日には着られると思うぜ。」


関心しながら僕は進藤からハンガーと洗濯バサミを受け取って服をかけた。

     

      


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