空を行く雲


11




     
棋院で塔矢門下の研究会を終えた後 俺はアキラを呼び止めた。

「アキラくん。少し話がある。」

「はい。」

「君がもはや進藤を手放すとは思わなかったよ。」

鋭い視線が俺を見ていたがおれは飄々といってやった。

「明日 進藤がマンションに越してくる。これから俺はお前に
遠慮はしない。」

「まさか進藤と・・・・?」

愚問な質問をするこの男は本当の進藤の気持ちなどわかってはいないだろう。

「そうだな。明日からの進藤との生活が楽しみだ。」

今のアキラでは進藤は収まりきらない。
俺はアキラの進藤への気持ちを切り捨てさせるために冷たい言葉を吐き捨てた。

「進藤は諦めるんだな。」

可哀想だとは思わなかった。これで立ち直れないならアキラ
はそれだけの男だと言う事なのだ。


俺の眼中にはもはやアキラはなかった。







翌日昼過ぎに訪れた進藤は本当にトランクとボストンバック一つだけで
俺の部屋にやってきた。

「先生 今日から世話になるな。」

「来たか。これからはここはお前の家だ。遠慮はするな。」

「うん。」

「部屋は開けておいてやったから荷物を片付けたらいい。」

そういって8畳ほどの部屋に案内すると進藤は驚いたように俺をみた。

「この部屋にあった棋譜や本は?」

「ああ〜ここの隣の部屋を借りてそこにある。」

「ひょっとして俺が来るからわざわざ部屋を借りたとか?」


この話を持ち出した時から俺は隣に部屋を借りていた。
もちろん進藤と同居するためでもあったが大量の棋譜や本の
場所に困っていたのも事実で俺はいいやと首を振った。


「そんなに直ぐに本は動かせないさ。部屋に溢れ出しそうだっ
たからな。たまたま空いていた隣を借りたのさ。」

「そっか。ならいいんだけど、俺もちゃんと部屋代や食費
払うから。」

「わかった。毎月請求するから給料無駄遣いするなよ。」

「俺そんな無駄遣いしないぜ。」


内心進藤の一人ぐらいが増えたからといって生活がどうこう
するわけではないのだが、それで気を使われるのも嫌なので
そう応えた。

「荷物片付けたら一端リビングにこい。渡したいものもある。」

「うん。」


進藤との同居。内心穏やかではない。俺の砦にはいってきた進藤を
手中に収めるのは容易い。だが・・・

体だけ手に入れても仕方がない事なのだ。
俺が欲しい進藤はそんなものじゃない。



なぜなら進藤は俺にとって神聖な存在だから。


まるで碁の神の落とし子ではないかと思うほど進藤も進藤の碁も
俺には眩しい。



今まで手に入れたくて入れなかったのはそんな進藤の想いが
あの男に向いていただけではない。
もっと別の何かがそれを押し留めていたのだ。

俺はあいつとは違うやりかたで進藤を手に入れる。






がちゃっとリビングの戸があいて進藤が顔を覗かせた。

「片付けすんだのか?」

「うん。先生相変わらず怖い顔してるな。」

「もともとこういう顔だと言ってるだろ。」

「わかってるって、先生真剣に考える時そういう表情なんだよな。
で、先生俺に渡したいものがあるってさっき言わなかった?」

「ああ。たいしたものじゃないがな。」

俺はそういうと鞄の中から進藤に渡そうと思っていた合鍵を手渡した。

「ここの鍵だ。」

「ここの?うわっ鍵についてるキーホルダーすげえきれい。
ひょっとして宝石とか。」

それは手合いで地方に出かけた時にたまたま見つけた
ものだった。

一目見て進藤を連想させた石 ・・・深いコバルトブルーの丸い石。

「ラピスラズリと言う石だ。」

「ラピスラズリか・・・すげえ〜海の青。いや地球の青かな。吸い込まれそう
な青だな。まるで小さな地球みてえ。」

キーホルダについていた石が大層気に入った様子の進藤に俺も満足する。

「気にいってくれたか。」

「もちろん。でもこれ高かったんじゃ・・・?」

「気にするほどのものじゃないさ。値段を聞いたら驚くほどの安さだ。」

「そうなんだ。先生ありがとう。」

「どういたしまして。」

だがなぜだか大事そうにそれをポケットに仕舞いこんだ進藤に緒方は
嫌な予感がした。
そうしてオレは心の中でつぶやいた。
もし、いつかお前がその鍵を置いてこの部屋を出て行くことがあったとしても
そのキーホルダーだけは置いていくな。



だが俺の本心は言葉にならなかった。

     
      


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