空を行く雲


12




     
ヒカルが初の本因坊のタイトルを桑原から奪ったのは若干18歳だった。

日本最年少タイトルホルダーとなったのだ。
 
10段位の挑戦権を落としたものの 天元位と名人の
タイトルを立て続けに取り、ヒカルは前代未聞の低段者タイトルホルダーとなった
 
棋院側は慌ててヒカルを9段に昇段させた。
まさに4段からいきなりヒカルは9段にそして3冠のタイトルホルダー
となったのだ。


 
ヒカルは4度目となるはずだった北斗杯をこの年辞退した。
 
ヒカルにとって北斗杯どころではなくなったのだ。
三星火災戦 日中天元戦 CSK杯と国際碁戦が立て続けにあった。
ヒカルのライバルはすでに日本ではなく世界へと移ろうとしていた。
 



 
 
久しぶりに遠征から帰ってきた進藤に緒方は皮肉っぽく言った。
 
「明日は 2年ぶりにリーグ入りを果たしたアキラくんとの対局
があるな。」
 
「うん。俺ずっと待ってたからすげえ楽しみ。」
 

進藤とアキラくんとの公式手合いは進藤が中国から帰ってきてから
まだ1度もない。
倉田のやつが仕向けた対局も公式手合いではない。
あくまでプライベートなのだ。
 
「そういえばこの前 先生 塔矢のやつと対局したんだよな。
内容どうだった?」
 
もちろん勝ったのは俺だった。それは進藤も知ってる。
だが、内容は・・・・それはとても俺の口からは言えるものではなかった。
「明日 アキラ君と対局して自分の目で確かめるんだな。」
 
 
 
 
 
次の日思った以上に早く帰宅した進藤は荒れていた。
 
リビングで頭を抱える進藤に今日の対局内容は聞かなくても
容易に察しがついた。
一人にしてやった方がいいだろうと部屋にこもっていたが進藤の
方から俺の部屋に来た。
 
「なあ 先生 酒 飲んでいい。」
 
たまに一緒に晩酌した事がある。タイトルを取った時。
明日は遠征に出かける時。
俺の為にと進藤がワインやブランデーを買って遠征から帰って
来た事もあった。
 
「ああ かまわんが程ほどにしとけよ。」


 
心配になって覗いたリビングの進藤の瞳はうつろだった。
テーブルの上にはビールの空き缶が数缶転がっている。
瞳は宙を泳ぎ 何も写してはいなかった。
ざわざわと胸の中で何かが音をたてた。
 
「進藤・・・」
 
呼びかけても返事はない。
 
「何か買ってくる。」
 
これが俺の最後の抵抗だった。
 
 


 


 
 
 
「後悔したくなければ今すぐマンションにこい。でないと進藤は俺がもらう。」
 
 
一方的過ぎるほどの電話にアキラは緒方のマンションへと急いだ。
マンションの前にはすでに緒方が待っていた。
 
「明日の朝7時に戻ってくる。それまでに進藤と話をするんだ。」
 
それだけいうと緒方はアキラにマンションの鍵を渡した。
鍵にはコバルトブルーの丸いキーホルダーがついていた。
 
扉を開けた途端進藤はこちらも向かずに言った。
 
「先生 お帰り。」
 
途端に胸が締め付けられる。緒方とヒカルが同居している事実。
知っているのと間のあたりに見たのとではあまりに違いすぎた。
 
ヒカルの周りにはビールの空き缶やチューハイの缶やらが
散乱していた。
アキラはそれを無造作に拾い上げた。
 
ヒカルのどこかうつろだった瞳が大きく開いた。
 
「何で塔矢がここにいんだよ!」
 
ヒカルは立ち上がろうとしたが酔いのせいだろう。
体がふらついていた。
支えようとアキラが腕を伸ばしたところでヒカルに叩かれた。
 
「俺に触れんな。」
 
「進藤・・・」
 
「帰れ。お前の顔なんか見たくない。」
 
ヒカルはそういうとアキラの胸をどんどんと叩いた。
胸が痛い。

叩かれたことが痛いわけじゃない。
進藤をこんなにもさせたのが自分だと言う事がわかるから痛いのだ。
 
嗚咽してヒカルは尚もアキラを叩いた。
 
「なんでだよ。佐為の時は追ってきたくせに。
佐為じゃないと駄目なのか。俺じゃ駄目なのかよ。
お前なんか知らない。俺のライバルじゃない。
帰れ 帰れよ・・・帰れったら。」
 
佐為・・・
はじめて進藤からその名を聞いたのに・・・。



だが言葉がでない。
こうやって胸を叩かれてそれで進藤の気がすむなら
ずっとそうしていよう。でも・・・。
 
ただ立ちすくんでいたアキラに拉致があかぬとばかりにヒカルは
力任せに胸を押した。
だが、その瞬間ヒカルもバランスをくずしアキラと一緒にソファへと倒れこんでいた。
アキラはヒカルをかばってその胸に受けた。

 
腕の中のヒカルは怒りだけでない震えを纏っていた。



 
「もし・・・・お前に俺への気持ちが少しでも残ってるなら俺を抱えよ・・塔矢」


     
    

  


目次へ

空を行く雲13