絆 1





     
朝一には戻って来るという名人の事を考えて
ヒカルは対局の始まる時間に塔矢の部屋を退出した。



対局室で寮生たちの相手をしていると、田村から声を掛けられた。


「ヒカルくん。園長が呼ばれてる。」



何の気なしに入った園長室でヒカルを迎えたのは
剛と塔矢名人で、ヒカルは面食らった。



「ヒカル 突っ立ってないで挨拶ぐらいしなさい。」

「あの えっと おはようございます。」

軽くお辞儀してようやくそう返したが名人からの反応はなくヒカルは
どうしてよいのかわからない。

「申し訳ない。私が師匠であれば挨拶ぐらいきちんと
身につけさせるのですが、何分この子の師匠がいい加減なもので・・」

剛の言葉にヒカルがむっとする。これは俺の問題であって
親父とは関係ない。

大体 そのいい加減な奴の師匠は爺ちゃんじゃん。
しかも爺ちゃんといえ親父の悪口を名人に言うなんて
いい気はしない。

だが、名人の手前そんな事を返すことも出来ずヒカルは唇をかんだ。


「ヒカル 塔矢名人が学園を見学されたいといっている。
私は出かける予定があるからお前に案内を任せる。」

「俺が案内!?」

急なことに俺の声が裏返る。

「粗相がないように。では名人私はこれで失礼します。」

それだけ言うと退出した爺ちゃんの背中を俺は恨めしく
見送った。大体俺の案内など塔矢名人が望んでいるはずがない。

目の敵にされているのに。

だが、剛は言わなかったがそれは名人自らが望んだ事だった。
是非お孫さんに学園を案内してもらいたいと。


アキラがそれほどまでに執着する子を自分の目で確かめたかったのだ。
破門を引き換えにしてまで、選んだ進藤 ヒカルという者を。

だが、ここに来た少年はどうだろう。アキラと同じ歳だというのに
小学生とさえ思えるほどの幼稚さを感じる。

敬語一つまともに使えず。
身なりも大きめの服装を引きずるようにだらしなく身につけ・・・。



いったいこの子のどこにアキラが惹かれる要素があるのか
全く理解しがたい。

仮にこの子が非のうち所のないような子供であったとしても
アキラとの事を認めるつもりなどもちろん名人にはなかったが。


それでも少し期待はしたのだ。この少年に・・・。



「学園を案内します。」

少年の言葉に名人も立ち上がった。

「ここが、談話室で こっちが食堂。それから・・・今は寮生たちは
隣の学舎の方で対局中だけど見に行かれます?」

「いや いい。それよりも君と対局したい。」

「えっ?!」

驚いて振り返った少年を名人が見据える。
この子の実力を知りたい。立ち振る舞いで、はかれないものがあるとすれば
それはもはや対局でしかない。


「えっと。あの 場所は対局室でいいですか?」

「寮にもあるのかね。」

「もちろんです。」



広い対局室に二人で碁盤を挟んで座る。

「互戦でいいね。」

少年が驚いて私の顔を見た。

「不服かね。」

「いえ、握るのですか。」

「君が先番でいい。」



少年は碁盤を挟んだだけで表情が一変した。
それは行洋がよく知っているあの男の表情によく似ていた。



確かにうまい。とても13の少年とは思えないほど石にゆがみがない。
アキラより上かも・・・


狙いが読めるのに奇抜な発想に苦戦する。あの男の碁とも少し違う。
もちろん剛の碁でもなく、


軽く流すつもりが必死に離されまいと噛み付いてくるこの少年にいつしか行洋も
本気になっていた。


もうヨセに入り行洋の勝ちが明らかになっても少年はまだ打ち続けた。
終局に17目もの差がついてさえ彼は最後まで「負けました。」とは
言わなかった。




認めたくはなかった。いや認めなど決してしない。・・・だが、この子には確かに
碁の才能がある。




「週末は家に帰ってもよいのだろう。」

「はい。」

「アキラにゴールデンウィークには家に帰ってくるように君から伝えてくれ。
その頃には回復するだろう。」

行洋が対局室を後にした所で少年が追ってきた。

「待って 塔矢先生。」

立ち止まると少年は鋭い眼差しで私を見あげていた。

「あの、ありがとうございました。」

深くお辞儀をする少年に私は冷たく言い放った。

「君とアキラのことを認めたわけじゃない。勘違いしないでもらいたい。」

「違う。俺のことなんてどうだっていいんだ。でも塔矢はあいつは名人に
認めてもらおうと必死で・・・あいつの事を認めてくれて良かったって。
だから その ありがとうございました。」






行洋はこの少年の言葉にずっと遠い記憶の『あの男』を思い出した。
この子は、似ている。私の嫌いなもう一人の『あの男』に。


会ったのはたった1度きり。

大好きだった祖母を泣かすあの男をどうしても許す事が出来なくて
自分から押しかけて望んだ対局はボロボロだった。


「貴方のことなど私は認めない。」

悔しくて、そうタンカを切った。




『俺の事なんて認めなくていい。だけど君の好きなおじい様は
認めてあげて欲しい。』



そう、『あの男』は確かにそういったのだ。



重ねそうになった記憶を行洋は自ら払いのけた。


だが、悔しいが認めざるを得ない。

自分の大事なアキラは 息子の事は・・。



アキラがなぜこの少年に惹かれるのか少しだけわかったような
気がした。












俺は塔矢にとにかく早く伝えたい一心で部屋の扉をあけながら叫んだ。

「塔矢 聞いてよ。名人が・・・」

そこまで言って俺は口をつぐんだのは
塔矢のお袋が部屋にいたからだ。

「す、すみません。俺ノックもせず入って・・あの・・」

明子は穏やかな口調で言った。

「貴方が進藤ヒカルさんかしら。アキラさんが随分ご迷惑を
掛けたようで。夜中も付き添ってくれたんですってね。」

丁寧な言葉に俺は恐縮する。

「いえ、いいんです。迷惑なんて思ってないし。」

「今晩は私がアキラさんに付き添うつもりでいたのだけれど
この子がどうしてもいいって言うものだから、貴方にお願いしていいかしら。」

「あっええっはい。もちろんです。」

不謹慎にも今夜も塔矢の傍に居られると思うとうれしい反面こんな時ぐ
らい親に甘えたら良いのにと思う。







後ろ髪引かれるように何度も俺に頭を下げて部屋を退出した塔矢のお袋が
気の毒になって俺は塔矢に言った。

「なあ、塔矢 お前もっと親に甘えてもいいんじゃないか?」

「母さんが僕に付き添うと父が一人になるだろう。だから・・。」

そっか。塔矢もいろいろ考えてる訳だ。

「そういえばさっき何か言いかけてなかったかい。」

「ああ。それなんだけど、名人がゴールデンウィークには
お前に家に帰って来いって。良かったな。お前の事認めてくれたんだぜ。
だからさ。お前も少しは素直になれよ。」

「父が君にそういったの?」

「ああ。」

「そう。」

「対局したんだぜ。俺名人と。」

アキラが笑った。

「知ってるよ。」

「ええ何で知ってるんだよ。」

「母さんが、教えてくれたんだ。お父さんが今日ここに来たのは
君と対局するためだって・・・でどうだった。」

「ああ、もうどうもこうもないよ。やっぱ強いわ。俺ボロボロ。17目半も差が
ついて負けちまった。」

「17目半?途中で辞めようとは思わなかったの?」

「負けましたっていうのが悔しくてついさ・・・」

「君らしいな。」

「塔矢、ところで体の具合はどう?」

「随分楽になったよ。」

確かに塔矢の表情は昨夜よりも穏やかだ。俺は塔矢の額に触れる。

「だけどまだ熱あるぜ。お前ちゃんと寝とけ。俺ずっと傍にいるから」

安心させるようにいうと塔矢がそっと目を閉じた。







次の日の朝には塔矢の様子も落ち着いて俺は1日対局室で過ごした。


「どう 塔矢君は。」

寮長の田村が心配して聞いてくる。

「落ち着いてきたよ。熱も下がって来たしもう一晩
も寝れば明日からは授業や対局も出られるとおもうぜ。」

「そっか。塔矢君にあまり無理しないように言ってくれよ。

彼は本当に真面目で手を抜かないから・・。」

「まあ、対局以外は手を抜くように言っておくよ。」

そういうと傍にいた寮生たちが笑った。
みな塔矢には一目置いている。

プロで3段の田村でさえ塔矢には勝てたことはない。


「塔矢君に勝てるのはヒカルくんぐらいだよ。」

「そのヒカル先生はこの間田村プロに負けたんですよね。」

寮生の突っ込みに俺はため息をつく。
そうなのだ。俺はこの間公式戦でこの田村に負けたんだ。

「もう、次は絶対勝つよ!田村さん。」









対局時間のあと部屋の前でばったり塔矢にあった。
二人で並んで入った部屋が何だかはずかしく感じるのは
何故だろう。



「塔矢お前もういいの?」

「ああ。なんだか汗で気持ち悪くてシャワー使わせてもらってた。夕食も
食堂で皆と食べるよ。」

「そっか。よかったお前が元気になって、でも無理はするなよ。」


少し気まずい雰囲気は、お互いにわかっていること。
塔矢が元気になったのはうれしい。でもそうすれば俺はここに居る
理由がなくなるわけで、一緒にはいられない。


そんな想いを言うこともできず、かわりに俺が言い出しかねていた言葉を
塔矢が口にした。


「進藤 今日もう一晩一緒にいてくれないか。」



「うん。爺ちゃんと親父には内緒だけどな。」






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