翌朝、ヒカルとアキラの新しい1日が始まって・・
だが、当番の掃除をこなすアキラを興味深々に眺める寮生たちに
ヒカルは困惑する。
アキラ自身は気のないように取り繕っているが実際の所は
きっとうんざりしているはずだ。
確かに塔矢門下だった彼が朝いきなりここの寮生になっていたら
誰だって驚きもするだろうし好奇心も持つだろう。
奇妙な視線を感じながらもヒカルの教え子の司が寮生を
代表するように二人に話しかけてきた。
「ヒカル先生も塔矢プロもここの寮生になったんですか?」
「ああ。これから よろしくな。」
寮生たちの耳がまるで全てこっちに向けられているようでヒカルは
苦笑する。
「ひょっとして正夫先生に破門にされたとか・・」
「まあそんなとこ。爺ちゃんの所で修行するのも悪くないだろうって。」
「じゃあ塔矢プロも?」
心底困った顔をした塔矢に咄嗟に機転を利かした俺がかわりに返事を
かえした。
「塔矢もそうなんだ。他の門下で揉まれて来いって・・。」
「今日からここの寮生になった塔矢アキラです。よろしくお願いします。」
丁寧すぎるほどのアキラの挨拶に司や周りの寮生たちが慌てて
挨拶をかえしていた。
掃除が終わった後 ヒカルはアキラを無理やり自室に引っ張りこんだ。
「ごめん 。塔矢悪かった。」
「君が悪いわけじゃない。もとはと言えば父が悪いんだ。進藤門下とは
付き合うなって公言してきた人だから。」
「でもさ・・・」
「本当に大丈夫だ。こんな事を気にするようではこの先君とは生きてはいけない。
そうだろ?」
「うん。」
「ほら進藤 朝食にいこう。」
気丈にもそういって部屋から出ようとしたアキラを俺は呼び止めた。
「塔矢待って!あのさ、それはお前の言うとおりなんだけど。それでも
辛かったら俺に言って来いよ。ここの寮の奴に悪いやつはい
ないけど・・・・」
お前は俺が絶対守るから・・・そう続けようとした言葉は遮られた。
「ありがとう。僕は君が傍にいてくれたら辛いことなんてないよ。」
「塔矢・・・」
お互い引き寄せられるように口付けを交わしてそれはすぐに離れた。
「進藤初日から遅れるわけに行かない。」
その甘い余韻を断ち切るためにわざと塔矢が口調を強くした。
「そうだよな。」
丁度二人が部屋を出たところで剛とばったり出くわした。
剛が顔を曇らせたのは二人が同じ部屋から出てきたからだ。
「二人とも、食事が終わったら私の部屋にきなさい。渡さないといけないも
のがあるから。」
食後むかった園長室で渡されたのはここの学園に転入するために
必要な書類と要綱だった。
学園には、春休みも 夏休みもなく最低限の授業で
単位を取る事を目的としそれ以外を碁の勉強に費やす事でバランスを
図っていると要綱には記されていた。
細かいほどの寮の決まりごとは集団生活を送るためには仕方のない
規則で、その一つ一つの要綱に目を通し書類を書きあげると
剛が大事そうに二人の書類を鞄に収めた。
「今日午前中にお前たちの転入手続きを取って来る。私は出かけるが
ヒカル 塔矢君の事は任せたよ。」
その後その書類をもって剛が向った先は塔矢邸だった。
インターホンをならした剛を出迎えたのは塔矢 行洋自身だった。
「昨夜はすまなかった。夜分に電話をして。」
剛の言葉に行洋がうやうやしく返す。
「いえ。お待ちしておりました。」
部屋に通された剛を明子が不安げな表情で出迎えた。
「どうぞ。」
お茶を出されて彼女に軽く会釈した剛はそれを口に
運び一息ついてから用件を切り出した。
「昨夜 連絡させて頂いたとおり、ご子息は私の
学園にいます。お察しのとおり私の孫も一緒です。二人とも
破門にされて行くところがないというのでやむなくうちで引き取った。」
そこまで言うと行洋が表情を曇らせた。
「放っておいて頂ければよかったものを。」
「確かに・・・。だが、あの二人放っておけばまずい事になると判断して、
私の一存で学園に置いた。
ついては・・・この書類を確認して頂きたい。」
剛が鞄から出したのは今朝アキラが書いた書面。
書面に手を取った行洋が眉間に皺を寄せた。
「今朝アキラくんに書いてもらった書類です。学園に入学するには親の承諾が
必要でしてサインと印を・・」
剛が最後までいい終わらぬうちに行洋が口を挟んだ。
「明子 ペンと印鑑を持ってきなさい。」
「あなた!!」
明子は驚いて行洋に言い寄った。
この書類にサインをするという事は行洋自らアキラを破門にするということだ。
「まさかその書類にサインをなさるおつもりじゃあ。
アキラさんは大事な私たちの子供です。しかもあなたの
大事な弟子ですわ。あなたは、そんな
アキラさんを本気で破門になさるつもりなのですか。」
普段は取り乱さない明子が懸命に行洋に詰め寄る。
「いいから 明子持ってきなさい。」
それでも尚明子は食い下がった。
「もう一度アキラさんと話し会いましょう。きっとわかってくれます。」
「明子!」
取りに行こうとしない彼女にいらだって行洋は自ら立ち上がった。
「取りに行かないなら私が行こう。」
何を言っても無駄だと察したのだろう彼女は口元を押さえて
嗚咽しながら部屋から出て行った。
しばらくして部屋に戻って来た明子の目は赤く腫れていた。
書類にサインをする行洋の指はかすかに震えていて、それを剛は
見ないふりをしてやり過ごす。
大事な息子を自分などに預けなくてはならないのは屈辱以外の何
モノでもないはずで。それを目をつぶって承諾するこの男もまた父親として
頑固で不器用なのだと剛は思う。
「息子をよろしくお願いします。」
書面にサインと印鑑を押した行洋は剛に向って深く頭を下げた。
剛もまたその思いを自分も頭を下げる事で受け止めた。
「ご子息は私が責任を持ってお預かりします。」
立ち上がって玄関を後にするまで明子が付き添った。
「あの すみません。これをアキラさんに渡してもらえますか?」
明子から手渡された包みは小さかったがずっしり重かった。
あの短時間の間に彼女がアキラのために用意したものなのだろう。
「わかりました。少し落ち着いたら週末はこちらに帰らせる
ようにします。どうぞご心配なさらないように。」
「息子をアキラをよろしくお願いします。」
深く頭を下げた彼女に剛は軽く会釈をかえすと
車に乗り込んだ。
もう一人の父親の元へと向うために・・・
|