その翌日 本因坊は棋院に赴いていた。
目的は名人に会う為だ。
観戦室に入ると誰もが驚きを隠さなかった。
「進藤本因坊・・・対局を見にこられたのですか?」
「私の棋聖の挑戦者が誰になるのか気になってね。」
本因坊だけでなく棋聖のタイトルを持つ彼は最大のライバルである
名人の対局をモニター越しに眺めた。
「どうやら本因坊のお相手は名人に決まったようですね。」
記者の一人に言われてふっと長い息を吐きだした。
「対局室に顔を出してくるよ。」
記者たちが驚いた様に顔を見合わせたが気にせず対局室に
入ろうとしたところで名人と出くわした。
その瞬間その場の空気が氷ついた。
二人が対峙すると回りにいた記者や名人の今日の対局者さえその場
から逃げ出していた。
「私が負ける所でも見に来たのだろうが、残念だったな。私が君の挑戦
者になったよ。」
名人の冷たい言葉にも本因坊は怯まなかった。
「ええ、残念ですよ。ところで、名人少しお時間をいただきたい。」
鋭いやりとり。これでも伊達に短くはない付き合いだ。
名人の本因坊に対する嫌悪感を逆に利用して逃がさないように彼は
名人を追い詰める。
「よかろう。丁度誰もいなくなったようだ。」
もう1度対局室に二人で入るとその場の空気はよりいっそう重くなった。
「用件を聞こうか。」
「貴方のご子息と私の息子の事です。」
そう応えると名人の顔が憤怒の形相になった。
普通のものなら恐ろしくてここで引き下がるだろうが、本因坊は何事もないよう
に話を続けた。
「貴方が私を嫌われるのは仕方のないことだ。だが私の息子には関係の
ない事でしょう。」
「こそこそ会いにくるようなやつをアキラの友達と認めるわけにはいかんな。」
昨夜ヒカルがアキラに会いに行った事を名人は知っていたのだ。
「それは貴方がそうさせたのでしょう。二人はいい友達でありライ
バルにもなれる。それぐらい認めてやれませんか。」
名人は本因坊を見据えて鋭く言い放った。
「私が君を嫌っている理由はよく知っているだろう。」
「ええ。私が祖父に似ているからでしょう。」
はっきり言って言いがかりとしか思えないような事で嫌われているとは
思っている。
・・・が それこそが塔矢家と進藤家に根付いた切れない因縁なのだ。
「祖父の過ちを繰り返すわけにはいかぬ。」
名人の言葉に本因坊は顔を曇らせた。
「どういうことです?」
「アキラは、君の息子にそういった感情を持ちはじめているということだ。
さすがに君の息子の事まではわからんがな。」
「まさか・・・!?」
「そういうことだ。ただの友達やライバルとしてなら認めてやってもよかった。
が・・・そうでないなら許すわけにいかない。
君だって大事な一人息子だからわかるだろう。」
言葉を失った本因坊を名人の容赦ない一言が釘をさす。
「悪いが君の息子には今後一切アキラとは付き合うなと伝えてくれ。
失礼するよ。君と対局以外で同じ空気を吸うだけでも気分を害す。」
吐き捨てるようにそう言って名人は対局室を後にした。
俺は 棋院から帰ってきた親父を玄関先で出迎えた。
「親父どうだった。名人と話したんだろ?」
気になっていたことを聞くと親父の表情が翳った。
「ヒカル大事な話がある。お父さんの部屋にきなさい。」
親父の書斎に入ると改まった親父に緊張が走った。嫌な予感がしたからだ。
「今後一切アキラくんとは付き合うな。」
「何でだよ。わけもわからずそんな事できねえよ。」
突っかかる俺に親父が言った。
「お前がアキラくんに会えばアキラくんが名人に怒られる。お前はそれでも
いいのか・・・」
「それは・・・」
ひょっとして昨夜俺と会ったことがばれて塔矢が怒られたのかなと思いながらも
そんな理不尽な事に俺は納得がいくはずなんてなくて親父に言った。
「俺は塔矢と会ってやましい事なんてない。怒られなきゃならない事なんて
俺にも塔矢にもねえ。大体親父たちのことで俺たちが怒られるなんて
迷惑だよ。」
親父は大きくため息をついた。
「お前の事だ。そういうと思ったんだがな・・・」
そういうと親父は困ったように頭に手をついた。
「いつかお前に話さないといけない時が来るとは思っていたんだが、まさか
こんなに早いとは父さんも思わなかった。
今のお前にどれぐらい理解できるかわからんがこれからお父さんがする話
は大事な話だ。よく聞きなさい。」
俺はかつてないほどの親父の真剣な顔をまじまじと見つめた。
「私と名人の祖父 まあお前とアキラくんにとっては曽祖父になるが、この二人は
親友であり ライバルであり そして・・・恋人同士だったんだ。」
俺はあまりの話の内容に親父の言葉を遮った。
「じいちゃんたちって男だろ?恋人って・・・?」
「二人は男同士だったにかかわらず恋人だったんだ。」
あまりのことに驚いて言葉が返せなかった。
「二人は恋人同士だったがお互い一人っ子で進藤家 塔矢家を継がないと
いけなかった。
それで、別々の道を選び結婚したんだが・・二人は結婚
してからもお互いを忘れる事が出来なくてずっと恋人として関係を
続けていたんだ。
一緒にいた家族にとってどれだけその事が辛かったかお前にはわからんだ
ろうがな。
昔アキラくんの祖父(名人の父)がお前の爺ちゃん(本因坊の父)
に漏らした事があるんだ。
『父の気持ちはいつも君の父親に向いてると・・・』
特に名人はおばあちゃんっ子だったと聞いている。そんな彼が私の祖父を忌
嫌ったとしても仕方のない事なんだ。」
「でもそれって親父とは直接関係ないじゃ」
「そうかもしれん。だが、私は祖父に顔も性格もよく似ているらしい。」
そういって本因坊はため息をついた。言わなかったが自分よりもヒカルの
方がよほど祖父に似ていた。
「爺ちゃんたちの事はなんとなくわかったけど。それで俺と塔矢が付き合う
なって・・・俺やっぱり納得いかねえって。」
「ヒカル 名人はお前とアキラくんがただの友達としてライバルとしての付き合
いなら認めてもよいといったんだ。」
「それ本当か!?」
ヒカルの声がうれしそうに弾んだが本因坊は静かにそれを制した。
「ヒカル最後まで聞きなさい。名人はアキラくんにはお前に対して
それ以上の感情があるといってるんだ。」
「それ以上の感情??」
「つまり異性を想うような感情でアキラくんがお前に惹かれているということだ。」
言われてヒカルの頬が染まった。
「それって塔矢が俺のことを好きだって事か?」
「名人が言うにはそうらしい。」
「だから塔矢とは付き合うなって事なのか?」
「そうだ。」
「・・・」
親父に言われた事を反復する。
塔矢が俺の事を好きかもしれない・・・うれしいような照れくさいような
困るような 言い表せない感情。
人を好きになるってって事がどんな感情なのかさえ今の俺にはわからなくて
親父に聞いた。
「なあ 人を好きになるってどういう感情なんだ?」
「難しい感情だな。その人のことばかりが気になって何も手につかなくなったり
ずっと一緒にいたくて別れが辛くなったり、もっとその人のことが知りたい
独占したい・・そう思うことかな。」
塔矢はそんな風に俺のことを思っているのだろうか・・・だが、その前に
俺はあることに気がついた。
「なあ 俺 親父の言った事全部当てはまる。俺最近塔矢のことばかり
考えてる。昨日だって、別れるのすげえ辛かったしそれにもっと塔矢の
事知りたいと思ってる。
俺も そのさ きっと塔矢のこと好きなんだ。
なあ親父俺どうしたらいい。どうしたら名人に納得してもらえる?!」
今 ようやく戸惑いながらも気づいたのであろうヒカルの恋。
息子のはじめての恋。
本来ならそれを喜んで相談にのってやり一緒に
笑ったり 泣いたりしてやりたい所だったが、相手が悪すぎる。
心を鬼にして本因坊は言った。
「お前やアキラくんのようなひよっこが何を言ったところでお父さんも名人も聞
く耳など持つつもりはない。少なくとも同じ土俵に上がってこい。
認めてもらいたくば、お父さんたちを倒してからにするんだな。」
俺は親父の言葉に唾を飲み込んだ。
つまり、俺と塔矢に少なくともプロになって親父たちの前に立ちふさがる
ような棋士になれという事だ。
俺はずっと決めかねていた決断をこの日下した。
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