白と黒1

 



本来ならオレたちが高校生になるはずの年、4月に
塔矢は一人暮らしを始めた。

理由は海外へ飛んでいる両親のいないあの広い家に一人は
不用心だってことらしい。

実際それもあるのだろうが・・・。




昨夜のことを思い出してオレは顔をかっと赤く染めた。
思い出したくもないのに、それがずっと頭から離れない。そして
思い出すたびに羞恥でどこかに隠れてしまいたくなる。

昨夜からそれの繰り返しなのだ。
まさかあんなことをしようとするなんて。

男同士があんな方法で・・・なんてことオレは今まで知らずにいた。
今までだって何度も肌を合わせてる・・けど。


無理無理無理無理・・・。


地下鉄の中だというのに人の目も忘れてオレは大きく溜息をついて
首を振る。

それで目的地についたことに気付いて慌てて飛び降りると
階段をいっきに駆け上がった。

和谷や伊角さんに聞けばわかるかもしれねえけど、そんな恥ずかしいこと
聞けるはずがない。
改札口を飛び出し地下鉄の出口でオレは上がった息を整えるため立ち止まった。


「進藤・・。」

突然後ろから話しかけられてオレは飛び上るほど驚いた。

「伊角さん!?ああ、もう驚かすなよ。」

胸を下してほっとするオレに伊角さんが苦笑した。

「どうしたんだ?電車の中でもそわそわしていただろう。」

「ええ、同じ電車に乗ってたのかよ。なんで声かけてくれなかったんだよ。」

「すまない。隣の車両だったんだ。それに駅に着いたらいきなり走りだすし・・。」

そんなところまで見られていたのかとオレは頭を抱えた。

「あ、いや、その・・・。」

伊角さんになら聞けそうな気がして、口を開いたが顔を見たらダメだった。
口ごもって真っ赤になったオレに伊角さんは笑った。

「なんだ。言いたいがことあったんじゃないのか。そうだ。今、和谷のやつ出先で少し
遅くなるって、」

「そうなの?和谷の部屋なのに?」

今日はこれから和谷のアパートで研究会をする予定になってた。研究会といっても
もともと4人だけなのだが。

「ああ、だからオレ早く来たんだけど・・。それにしても進藤ずいぶん早いな。」

確かに和谷と約束した時間より1時間以上も早かった。
あちこちで時間つぶしをしていたのだが、落ち着かなくて結局早めに来て
しまったのだ。


「塔矢は来なかったのか。」

「ああ、ちっとな。」

塔矢のマンションを飛び出してきたことはとりあえず言わなかった。




和谷のアパートに着くと、伊角は当たり前のように部屋の鍵をあけた。
部屋に入っていつものように碁盤に向かうと伊角は手慣れた風で
窓を開けて台所に立ちこまごまと家事をこなす。

「なんか伊角さんすっかりこの部屋の住人だよな。」

「住人って、この部屋何もないだろう。」

伊角は苦笑しながらオレに有り合せの駄菓子とお茶を用意してくれた。

「それで、進藤、塔矢と喧嘩でもしたのか?」

うっ、とオレが声をつまらせると伊角が笑った。

「やっぱりそうなのか。納得いかないならちゃんと話し合った方がいいぞ。
すれ違ったままだと辛いだろう。」

「違うんだ。あいつって本当に、頑固で言い出したら聞かねえし、強引だし・・・。」

まくし立てるように言った後、オレは思いっきり溜息をついた。

「伊角さんは和谷と喧嘩なんてしねえんだろ?」

「そんなことはないさ。些細なことで喧嘩することなんてしょっちゅうだし、
進藤も知ってるだろう。昨年、オレが院生辞めた時和谷と大喧嘩したこと、」

「あの時は・・・。」

プロ試験の後、院生手合いに突然姿を見せなくなった伊角に和谷は怒りを露わにしてた。
その後二人にどんな成り行きがあったかオレは知らない。

「勝ち組だったお前たちに合わせる顔がなかった。」

「あれは、伊角さんと和谷にとって必要なことだったんじゃないかってオレは思う。」

「今にして思えばそうかもしれないな。進藤の不戦敗も。」

それを切り出されるとオレは答えようがなかった。
伊角さんはわかっていたようで言葉を続けた。

「無駄なことなんて何もないってオレは思う。
そう考えると塔矢とのことも今の二人に必要なことなのかもしれないだろ?」

「そう・・・かもしれねえけど・・・。でもオレあんなコトやっぱ無理だって思う、」

「あんなコトって?」

聞き返されて顔がボッと熱くなった。

「ああ、いや、その・・・。」

真っ赤になって口ごもったオレを伊角さんは笑った。

「なんとなくわかった気がするから進藤言わなくていいよ。
ただその気持ちを塔矢に正直に言えばいいんじゃないか?」

「だけど・・・矛盾してるけど。
やっぱオレあいつのコト好きだから応えてえって気持ちもどこかあるんだ。」

「その気持ちがあるというだけでも分かれば誤解は解けると思うけどな。
言わなきゃわからないことってあるんだぞ?」

その通りだって思う。昨日はそのままオレは塔矢の部屋を飛び出したんだ。
夜中で電車もなくて行くあてを探すように歩いた。
途中からは邪心を払うように頭の中で棋譜を並べたりして。

珍しく塔矢が携帯やメールを送ってきたが、オレは出なかった。
塔矢の言い分さえオレは聞くことができなかった。

「うん、」っと小さくうなづいたオレに伊角さんは笑うと碁盤を示した。

「とりあえず和谷が来るまで1局打たないか?」

「そうだな。」

オレは座りなおすと頭を下げた。
打ち始めた瞬間意識のすべては碁盤へと向かっていた。





部屋の外でカツンカツンと鈍く軽い音が響いたのはちょうど伊角との2局目の対局が終わって
休憩をしていた時だった。

このアパートは壁が薄いから階段を上がってくる音やくぐもった話し声まで
部屋に聞こえるのだ。


「和谷が帰ってきたみたいだな。」

伊角が立ち上がると案の定 部屋の扉があいて和谷が顔を出した。

「よお、進藤もう来てたのか。」

「おう、菓子食ってるぜ、」

「こんにちわ、失礼します。」

和谷の後ろから聞きなれた声がしてオレは心臓が止まりそうになった。
聞き間違うはずがない。

「塔矢!?」

「ああ、棋院でばったり出会ってさ、どうせ行くとこ同じだし一緒に来た。」

オレは持っていた菓子をボロッとこぼした。

「進藤汚ねえなあ。この部屋アリ上がってくるんだぜ。」

「ああ、ええ、・・・ごめん。」

動揺を隠せないまま立ち上がろうとして今度はけつまずいてお茶を溢す。

「進藤お前なにやってんだ。」

呆れる和谷に伊角さんが取り繕うように言った。

「進藤は座ってろっ、オレがするから。」


雑巾片手に走り回る伊角さんにオレが何度も謝った。
そんなオレの失態を塔矢はただ笑って見てているだけでオレはひどく
かっこ悪くて、自己嫌悪に陥りそうだった。



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