◆「善勝寺折々記」
★はじめに
 当コーナーは善勝寺 有常(京将棋連合 代表)の個人的な文章であり、京将棋連合の公式見解ではありませんので、その点をあらかじめ宣言しておきます。朝日新聞で大岡 信さんが寄稿されている「折々のうた」からヒントを得て「善勝寺折々記」と名付けてみました。  
★過去掲載分・・・[第1〜10話]
★第20話 四霊について

  「<謂之>四霊。麒麟、鳳凰、亀、竜。」(『礼記』・禮運、参考「中国古典名言事典」諸橋轍次著、講談社学術文庫)

 『礼記』は「五経」の一つで、中国の周末から漢代に至る古礼について儒者の説を集録しています。四霊とは、動物の中の四つのすぐれたものであり、神々しいものとして考えられていたようです。

 麒麟は日本人にとっては麒麟ビールで有名ですし、鳳凰は京都の宇治にある平安後期の建造物で教科書にもよく掲載されている平等院鳳凰堂に据えられている2像が有名でしょうか。また平成16年改札の新一万円札の裏がこの鳳凰像の一体になるようです。竜はひとつ例をあげるとすれば、やはり京都嵯峨野にある天龍寺の法堂の天井画の雲龍図でしょうか。現在のものは日本画家、加山又造氏の力作であり、360℃睨みをきかせる迫力は圧巻だそうです。実際私が見たのは現在の加山氏作のものではなく、それ以前の作品でやや古色そうぜんたるものでしたが、確かに迫力満点でした。以上の麒麟、鳳凰、竜は想像上の生き物とされますし、神々しい存在という事はよく理解できるのですが、亀については実在の生き物でそれほど珍獣とはいえないと思うのですが、四霊の一つに入っているのはどうしてでしょうか?古代中国では亀の甲羅を焼いてそのひび割れの紋様を神の託宣として受け取るという祭司が重要視されていたということですので、やはり神のメッセージを伝える亀は神々しい霊獣ということなのでしょう。

 古代日本でも中国の思想の影響でしょうが亀はやはり霊獣だったようです。最近の印象的な発掘遺跡で、奈良の明日香村の遺構に、亀の形をした水路があります。斉明天皇(在位655−661年)の時代の建造物のようです。現代のような超硬ドリルのない時代に硬い石(花崗岩の一枚岩)に水路の穴をきれいに開けているのは驚きですが、この遺構は何らかの重要な祭司に使用されたようで、やはり亀は神々しい霊獣だったはずです。また、近年内部調査されたキトラ古墳の玄室の北壁に画かれた玄武は亀とヘビが融合したような図柄であり、北方の守護という役割なのでしょう。

 面白い点は、将棋と四霊との関係です。将棋と四霊は因縁深いと言えると思います。つまり、

 中将棋・・・「麒麟」、「鳳凰」、「竜」(龍王、龍馬として存在)と四霊中三霊を駒に持つ。
 京将棋・・・「鳳凰」(京鳳、京凰として存在)、「竜」と四霊中二霊を駒に持つ。
  将棋・・・「竜」、四霊中一霊を駒に持つ。もちろん飛車の成り駒です。

 といった具合です。ただ、ご注意願いたいのは、中将棋の鳳凰と京将棋の京鳳(京凰)では駒の動きが違うという点です。それと気が付くのは、どの将棋でも亀に相当する駒がないという事です。やはり霊獣とはいえ、亀はのろのろとした印象がありますから、将棋の駒にするとしても歩に近いようなあまり面白みのない駒になりそうですので敬遠されたのでしょうか。

 鳳凰は京将棋とも因縁が深いので、少し「中国古典名言事典」(前掲)から拾ってみましょう。

  「鳳や凰や、何ぞ徳の衰えたる。」(『論語』)

 鳳凰は世に道が行われていれば現れ、さもなければ隠れているという。これは孔子を鳳凰に例え、徳の衰えた今の世を皮肉る楚の隠者接與(せつよ)の言葉。孔子は天下に正道を求め、為政者を説いてまわったが結局用いられることはなかった。現代日本の腐敗政治家や欲ぼけ官僚にきかせてやりたい言葉ですね。特に直近では日本道路公団総裁でしょうか。ただ京将棋連合は政治とは無縁の組織ですので、政治的発言はここでも慎みたいと思います・・・。

  「竜鱗に攀じ、鳳翼に附す。」(『後漢書』・光武紀)

 竜のうろこにつかまり、鳳凰の翼につき従う。すぐれた人につき従って、自分の出世を図る。これは現代にも当てはまりそうですね。竜や鳳凰のような有力者にゴマをすれと言うわけではないですが、出世してる人をみるとこのパターンが案外多いかもしれません。中世では織田信長のわらじを暖めた豊臣秀吉、現代では田中角栄の後継者となった竹下登など典型例かもしれません。

  「鳳凰鳴く、彼の高岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に。」(『詩経』)

 朝陽は山の東面。鳳凰は青桐(あおぎり)にのみとまって、雑木にはとまらないと言われる。つまり、天下太平の様を表現した言葉のようです。まあ、こんな世の中が実現するのは後千年後でしょうか?いや、永久に来ないかもしれませんね(^^;)。

 以上見てきましたように鳳凰は四霊の一つであり、高い精神、徳、正道の象徴とも言えます。また、京将棋では京鳳や京凰はルール上、入玉がらみのとき最重要となる駒でもあります。もし対戦相手が変な勝ち方をしてきた場合は、「鳳や凰や、何ぞ徳の衰えたる。」と相手に言ってみるのも面白いかもしれませんね(^^;)。それと、将棋の勝ち方に「激辛流」という指し方がありますが、その対極にある指し方を名付けるとすれば「鳳凰流」でしょうか。「激辛流」のほうが勝率は上がるかもしれませんが、私はできれば「鳳凰流」で勝ちたいですね。でも徳の高い「鳳凰流」で勝つにはプロクラスかあるいはそれ以上の棋力が必要かもしれませんので、あくまで理想論にすぎません。

 最後に鳳凰像が見られるサイト「平等院公式ホームページ」を紹介して今回の拙文を終わりたいと思います。「平等院探訪」−「平等院マップ」−「鳳凰堂」とたどっていけば一対(北方像と南方像)の鳳凰像の写真映像を見ることができます。実在の鳥に比べて数倍頭部が大きく、やはりそれなりの迫力があります。現在、阿弥陀堂の上に載っているのはレプリカで本物は鳳翔館という博物館内で見ることができるようです。(記載2003年8月5日)
★第19話 3通のメール

  「京将棋は、普通の将棋とは一味もふた味も違い、とても面白いです。」(宮城県 Nさん)

 Nさんは京将棋の正式ユーザー登録メンバーのお一人ですが、上記のようなうれしいコメントを寄せて頂きました。京将棋については、現状では、単に駒数を増やした将棋として、その他大勢の将棋族ゲームの一つとして軽く扱われることが多い訳ですが、Nさんのように京将棋の本質を素直に正しく感じ取って頂けると本当にうれしいですね。将棋が微妙ながら、やや先手有利なゲームとされているのに対して、京将棋では「先後の公平性」が改善され理論的に進化した点を主張しているということは事実なんですが、やはりそんな事よりも、Nさんのコメントにあるようにゲームとして面白いかどうかが一番重要なことと思います。Nさんのメールは、さらに続けて、

  「今は何人いる分かりませんが、もっと登録者が増えるといいですね。私も将棋仲間にPRしたいと考えています。」

 とありました。京将棋の仲間をどんどん増やして下さいね、Nさん。日本中にNさんのような方が現れてくれたら、京将棋の未来は明るいと言えます。京将棋連合としても、どうすればNさんのような方(京将棋ファン?)を増やせるのか、大いに考えないといけません。 

 さて、2通めは海外からのメールです。

  ’That’s exactly what I need for now to allow Kyo Shogi to be added to my database.’
  (ロンドン A.K博士)

  A.K博士は英国ロンドンの大学でチェス・将棋族のevolutionary analysis(この訳は私には難しい・・・進化論的分析?)をされているというアカデミックな方です。博士によると’The Chess Variant Pages’というサイトに京将棋が掲載されており、そこから当サイトを訪問されたとのことでした。A.K博士のデータベースに京将棋が入ったということは、博士が京将棋を研究に値する将棋バリアントの一つとして認めてくれたということですから、これは大変名誉なことと思います。それにしても、いつのまにか京将棋がいわば世界デビューしていたんですね(^^)。現在インデックスページだけ英語版があるのですが、作成しておいて正解でした。慣れない英訳には七転八倒しましたが、多少は報われた気分です。欧米には中将棋という日本人でも難しいような大型の将棋を指す人達がいるそうですから京将棋でしたら十分指しこなせると思います。

  最後の3通目はあるメジャーな新聞社の文化部記者さん(有名なプロ棋戦もご担当されてるようです)からいただきましたメールです。

  「魅力的な駒が新たに加わり、先手後手の格差解消を狙っている点など、京将棋には『新機軸』という表現がぴったりですね。」 (某大手新聞 K記者)

  この方は現在いろいろな将棋(古典将棋、外国将棋はじめその他の各種将棋バリアント)について取材をされているとのことで、京将棋にも着目され、京将棋連合へも取材の申し込みを頂きました。今まで新聞・雑誌で京将棋が本文中で取り上げられたことは無い訳ですから、今回もしメジャーな新聞で記事化されれば画期的なことです。記事化の確率は半分・半分ということでまだ未定とのことですが大いに期待したいと思います。

  ところで「これはいい」とか「これはだめ」とか大方の評価が定まった時点でそれに追随した発言をすることは何でもないことです。一方、「これはいい」とか「これはだめ」とか評価がまだ定まっていない時点、つまり、まだ一般の人が評価しきれていない段階で「これはいい」とか「これはだめ」とか見極めできる人は、つまり見識の高い人と言えます。その意味で、私は京将棋を最初に取り上げてくれる新聞・雑誌などのメディアはどこなのかに注目しております。私の考えでは、京将棋を最初に取り上げてくれるメディアはおそらくこの分野に関して一番高い見識を持つ(あるいは、高い見識の記者がいる)メディアだと思うのですが、読者の皆様はさて、いかがお考えになるでしょうか。(記載2003年7月7日)
★第18話 バンカーバスターにどきり
   過日のイラク戦争のニュース等でよく耳にしたり映像を見せつけられた中の一つに超貫通爆弾(通称バンカーバスター)があります。超貫通爆弾(BLU−113/B)にはレーザー誘導型(GBU−28/B)とGPS誘導型(GBU−37/B)があり、前者は戦闘攻撃機F15E、後者はB2ステルス爆撃機などに装架され実戦使用されました。このバンカーバスターは全長4m外径0.37m重量2tほど(各推定値)の細長い爆弾であり、強化コンクリート壁を6.7mまで貫通する能力があり、地下シェルター内の軍事施設破壊や敵の要人殺傷(えぐいな−)に使用されます。

  ただイラクの王宮の地下要塞は核攻撃にも耐えうる強力なもので、このバンカーバスターでも歯が立ちません。そのためフセイン大統領が民家にひそんでいるという情報をもとに攻撃が加えられた模様です。でも民家ならバンカーバスターまで持ち出す必要はないのではという疑問も生じますが、王宮の地下施設には及ばないまでもフセイン大統領一行が滞在する所はそれ相当の構造になっていたのでしょう。でもフセイン大統領はこのバンカーバスター攻撃をもかわして生存説がささやかれていますので、アメリカ軍も相当無駄打ちを重ねてしまいましたね。まあ一発60万ドル(7200万円)のトマホークミサイルよりは安い兵器でしょうが・・・。ただニュースでもよく流れていましたがミサイルや爆弾の巻き添えでイラクの民間人、特に子供達が犠牲になっているのを見ると本当にかわいそうでした。

  ところで京将棋で登場する京(2文字では京鳳、京凰、京翔)は桂馬より一升先に利きがあるので、穴熊囲いやミレニアム囲いで奥深くひそむ敵玉をたたく能力があるため「バンカーバスター」の異名を取っております(「穴熊バスター」とも言われます)。そのためイラク関連のニュースでバンカーバスターという言葉を聞くたびに私はどきりとしてました(^^;)。本来、京鳳、京凰、京翔は京という駒の跳躍力(飛行能力ともいえる)から連想される名前です。鳳凰(ほうおう)は古代中国の想像上の鳥であり、名君が現れたとき京師の上空を舞うとされています(鳳は雄鳥、凰は雌鳥でペアになっている)。ですから京は、優雅に空(盤上)を舞うというのが本来の姿なんですね。それがバンカーバスターとなって地下深くの敵玉を叩くというのはなんという変わり様なんでしょうか。京を舞う優雅さと敵陣深くを叩く怜悧な残酷さをあわせ持つ京というのは不思議な駒と言えるかもしれません。(記載2003年5月8日)
★第17話 ミネルボアとワイン
   前回、カピトリウム丘の3神の中で京将棋の分野に関連が深いのはミネルバ神(ギリシャ名ではアテナ神、英知と純潔と工芸の女神、ときには戦闘の女神にもなる)としました。この話題はこれで終わりと思っていましたが、偶然から今回につながることになりました。たまたま近所にあるワインセラーでワインを物色していたところ、Minervoisというラベルの文字に目が止まったことがきっかけでした。ミディアムボディの赤ワインで価格も¥1280−とまずまずで味も期待できそうだったのですが何より名前に興味がわいて1本購入してしまいました。ラベル名は’Domaine des Aires Hautes Minervois 2000’です。

  その後調べてみると、Minervoisというのはフランスの南部にある地名であり、現代の行政区画でいうとAudeとHeraultにまたがる南北25km東西50kmほどの広さの地域です。「南仏プロバンスの12ヶ月」(ピーター・メイル著)で有名なプロバンスのすぐ西隣のラングドック地方の中に位置します。Minervoisは75の’commune’(フランスの行政単位、村や町あるいは小都市に相当か)からなり、Minerveが中心都市だったようです。Minerveを仏語辞典でみるとやはり、ミネルバ女神とありますので、ずばりそのものが町(commune)の名前になっています。アテナ女神とアテネ(ギリシャの首都)のような関係がミネルバ女神とミネルベ(あるいは地方名としてのミネルボア)の間にもありそうな感じですね。歴史を見てもミネルボア地方はローマ帝国の支配下の時代があり、カピトリウム丘に3神の神殿を建てたローマ人がこの地にミネルバ神の神殿でも建てたのが地名の起こりなのかと想像してしまいますね。ただ、この地名が最初に示されるのはローマ帝国支配の時代からずっと下って9世紀初めに

  ’in territorio Narbonense、suburbio Minerbense’

  と記されたのが最初のようです。気候は季節差の少ない地中海性で温暖小雨であり、一番寒い1月でも月の平均気温が6.8℃です(参考値、東京は5.8℃)。驚くのは7月が1年でも最も雨が少なく(1mm以上の降雨があるのはわずか3日のみ!)、月平均雨量が21mmで梅雨の多雨高湿度に悩まされる日本とはまるで別世界です(参考値、東京は162mm)。ミネルボアはワインづくりや農業が中心の静かな田舎地方のようです。観光的には発展途上にあり、地中海沿岸の有名観光地がスポイルされるほど賑わっているのに比べればまだまだ未開拓の地のようです。

  フランスのワイン産地としてミネルボアはボルドーやブルゴーニュほど有名ではないようですが、’generally good and fairy full−bodied’というのが一般的評価のようです。南仏の豊かな日照と温暖な気候が独特のパワフルなボディーを産むのでしょう。将棋でいえば敵玉に頭金をたたきつけるような力強さでしょうか(^^;)。今回購入したミネルボアワインを飲んでみると、適度な苦み・渋み成分が味わえるすっきりした赤ワインでした。料理ではすき焼き・焼き肉など肉料理系や、うなぎの蒲焼きなどに合いそうです。赤ワインのポリフェノールが健康に良いという説もあるようですが、あるいは頭脳を明晰にする成分なども将来発見される可能性はどうでしょうか。ミネルバ神に気に入られれば将棋での勝率が上がったり、京将棋の普及に霊験はないかなどとまさに神頼みの意味・願掛けでミネルボアワインをこれからも時々飲むことになりそうです。

  Minervoisに関しては’Le Minervois’(http://www.le-minervois.com)というサイトが参考になりました。記して感謝致します。またWebショップの楽天のワインの項目でミネルボアで検索してみたら7件検索できました。面白そうなのが、’ラ・トウール・ボアゼ マリクロード98 ACミネルボア’です(¥1880)。安酒のイメージが強かったというラングドック地方で高品質ワインに挑戦しているオーナーの意欲は買えます。フルボディーには奥さんの名前(マリクロード)、ミドルボディーには2人の娘さんの名前(マリエール・フレドリック)をつけているというのも面白いですね。一家4人の写真も楽しげです。最近、将棋・囲碁など知恵のいるゲームで勝率が悪いと嘆いている人にはお勧めのワインですね。これを飲んでミネルバ神に神頼みすれば霊験があるかもしれませんよ。

  ところで今回の拙文を書いている途中にイラクで戦争が起こってしまいました。残念な事です。国連ではフランス等が戦争回避に向けて相当頑張ったのですが米英を止めることはできませんでした。前回・今回の話題に沿って言うと、ブッシュ大統領は完全にマルス神(軍神、復讐の神)の支配下にあるようです。一方、シラク大統領などはミネルバ神の支配下にあるように見えます。さすがミネルボアワインの国の大統領です。早くブッシュ大統領もマルス神の支配下を脱してミネルバ神の支配下に入って欲しいですね。(記載2003年3月23日)
★第16話 京の多面性・西洋編
   前々回で京という言葉・漢字の多面性を話題にしましたが、主に日本での状況を基にした話しでした。もちろん漢字は中国生まれですので、純粋に日本のみということではないのですが。この続編として西洋で京はどうなっているのかを話題に選んでみることにします。ちゃんとした解説は前々回引用した「都市の思想」(西川幸治 NHKブックス)を読んで頂くとして、ここでは京の多面性に焦点を絞ることにします。まず西洋で京を意味する単語を調べました。

  [英]capital or a capital city 
  [仏]capitale 例文 ”Paris est la capitale de la France.”
  [独]Kapitale
  [露]столйца (発音はストリィツァか)<注>капитал(カピタル)もあるが首都の意味では使用しないよう。

  英・独・仏はほとんど同一と取れるが、露(ロシア語)は専用の単語がある点で相違している。だが、капиталはcapitalと首都(京)以外の意味(資本・資産・元になるもの)では全く同一の意味のようです。英語でcapitalは

  ・首都、京 a capital city
  ・大文字 a capital letter
  ・柱の頭部、頂上部 the head or top part of a pillar
  ・資本、富 wealth(資本主義はcapitalismですね)

  といった具合で多義性では日本の京に負けず劣らずの感がありますね。次に注目したいのが次ぎの単語です。

  [英]Capitol アメリカの国会議事堂
  [仏]Capitole カピトリウム丘
  [独]Kapitol カピトリウム丘にあった古代ローマの城、(一般に)城塞
  [露]Капитолий(カピトリィイ)カピトリウム丘、その上のジュピター神殿

  capitalとCapitolではaとoの違いと先頭が小文字か大文字かの違いだけなので日本人には紛らわしい限りですが上に示すように意味が違います。でも語源的にはcapitalとCapitolは無関係に生まれた単語ではないと思うのですが、その点を謎解きしてくれる解説には現在辿り着いておりません。capitalは形容詞としても使われ、principal、most important(主要な、最重要な)という意味ですし、capにはtop(頂上)の意味がある事などを考えると共通の語源を持つ可能性は高いと想像します。カピトリウム丘も神域とすればcapital hill(最重要な丘・場所)の意味かもしれませんね。前々回、京は「人工的な丘(高いところ)」の意味としましたが、カピトリウム丘はまさしく京の概念に一致している場所と言えます。なぜなら元々は自然の丘とはいえ、その上に神殿や城塞などの人工物を建造しているからです。他には古代ギリシャのアクロポリス(要塞や祭司のための丘、アテネやミケーネに現存)も同様かもしれません。つまり洋の東西を問わず地球的な意味で京は共通概念と言えるようです。

  古代ローマのカピトリウム丘はローマ7丘の一つでユピテル、ミネルバ、ユノーの3神を祭った神殿があったようで神域と言えます。他の例としてパラティーノ丘は古代ローマの貴族や有力者が住む高級住宅街だったようです。古代版ビバリーヒルズですか(^^)。今後イタリア旅行のチャンスがあれば是非カピトリウム丘周辺の神殿の遺跡など見学してみたいですね。

  ユピテル:ジュピター、ゼウス。天空を支配する万能の神・オリンポス12神の中で最高神。
  ミネルバ:アテナ。英知と純潔と工芸を司る女神。ゼウスと正妻ヘラの子供。
  ユノー:ジュノー、ヘラ。結婚・出産・育児の女神。ゼウスの正妻。非常に嫉妬深いとか(^^;)。
  <注>神の呼び方はギリシャ名(ゼウス)、ローマ名(ユピテル)、英語名(ジュピター)と3種あるのでややこしいですね。

  ここで一つ疑問が生じたのですがユピテル、ミネルバ、ユノーの3神といえば古代ギリシャの神々です。それがなぜローマのカピトリウム丘に祭られていたのかという疑問です。この点については西洋の歴史に詳しいサイトに辿り着く事ができ謎が解けました。古代ギリシャと古代ローマは実に因縁が深いということなんですね。例えばBC600年ごろギリシャ人はイタリア南部にポセイドニアという街を築いていますし、BC474年にはシシリアに住むギリシャ人がエトルリア人(古代イタリアの支配者)を海戦で撃破し、ネアポリス(有名なナポリ)を築いたといった具合です。現在でもナポリの方言にはギリシャ語の痕跡が多く残っているそうです。有名なトロイ戦争ではトロイとギリシャが戦う訳ですが、そのトロイの英雄アエネアスがローマ人の先祖という事でトロイ滅亡後神の託宣でローマを目指しました。そのアエネアスはヴェヌス(ビーナス、アフロディーテ、美と愛の女神)の息子とされており、ギリシャ神がローマで祭られることになる訳です。「イタリア男は目の前に美女が現れると見境なく口説く」という話しがありますが、なるほど愛の女神ヴェヌスの子孫とすれば当然の行為ですか(^^;)。有名なシーザー(カエサル)も自分の属するユリウス族の先祖はヴェヌス女神ということでヴェヌス女神の神殿を自分のフォロ(公共広場)に建てたようです。他の例では、皇帝アウグストゥスはマルス神(軍神、復讐の神、ローマでは守護神)を祭ったようです。まあ日本でいえば垂仁天皇が伊勢神宮を創建し天照大神を厚く祠らせたり(古事記、日本書紀に記載)、奈良時代に聖武天皇が国家安寧のため東大寺に廬舎那大仏(大仏さま)を造建したようなものですか。権力者のやることはどこか似てますね。日本でも天皇家のご先祖は天照大神(天空を支配する点はゼウス神と妙に一致)とされるように洋の東西によらず最高権力者はやはり先祖を神とするもののようです。また平氏は桓武天皇を祖とし、源氏は清和天皇を祖とするなど権力者は自分の先祖を貴なものに求めるのは常套と言えます。

  ところで京将棋の英訳は現在’Kyoshogi’とそのまま使用しておりますが、’Capital Shogi’とするほうが意味は通じ易いかもしれませんね。でもwealthの意味にとられる心配もあるので良し悪しです。中将棋は’Chu Shogi’とする場合と’Middle Shogi’としている文献もあるようです。これも良し悪しですね。

  カピトリウム丘の3神の中で京将棋の分野に関連が深いのはやはりミネルバ神(アテナ神)でしょうか。英知と工芸は将棋に必要ですからね。将棋で勝つには知恵が必要ですし、将棋駒や将棋盤は工芸の分野ですからまさにミネルバ神に嫌われては将棋の世界ではやっていけませんか(^^;)。2004年のオリンピックはギリシャのアテネで開催ですからまさにオリンポス12神のおひざ元です。以上述べてきたように京将棋とも因縁がない訳ではないので従来以上に注目したいと考えております。
 [付記]参考本の「都市の思想」(西川幸治 NHKブックス)は私が持っている1980年発行のものは一冊物ですが、念のためWeb書店で検索したところ「都市の思想 上」(¥864)「都市の思想 下」(¥777)と2分冊になっていました。内容が以前の版と異なっている可能性もありますが、確認できておりません。著者の西川幸治氏は現在、滋賀県立大学で学長をされているようです。 (記載2003年2月25日)
★第15話 例えづくし
   深い意味は無いですが、一種の言葉遊びとして将棋の例えづくしを考えてみました。
 ・住居編
   将棋をマンションの3LDKとすると、
   京将棋は庭付き一戸建て。歩歩間の間合いが4間と広く、前庭と考えます。
   中将棋・大将棋は貴族の大邸宅。12x12や15x15はとにかく広大です。
   泰将棋・大局将棋(下注参照)は皇居クラス?一般人にはとても扱いきれない広大さです。
   ・・・実際に中将棋や大将棋を指していたのは公家(貴族)や高級僧侶と言われています。
   高級僧侶というのは跡目を継げない公家の3男・4男以下がなるので結局は公家と同じ人種なんですね。
 ・陸上競技編
   将棋を100m走とすると、
   京将棋は200m走。
   中将棋・大将棋はそれぞれ400m・800m走。
   泰将棋・大局将棋はそれぞれマラソン・スパルタスロン?
 ・スピードスケート編
   将棋を500m(日本の清水選手が長野冬季五輪で金メダルを獲得した種目です)とすると、
   京将棋は1000m。
   中将棋・大将棋はそれぞれ1500m・3000m。
   泰将棋・大局将棋は10000mか匹敵する距離なし?
   ・・・最近100mという超短距離もできたようですが、将棋の中では5x5将棋がその100mに相当しますか?
   ただ京将棋の平均手数は今もって不明であり、2倍までは行かないはずです。
 ・スキージャンプ編
   将棋をノーマルヒル(70m級)とすると、
   京将棋はラージヒル(90m級)。
   中将棋・大将棋はフライング競技。300mも飛ぶ恐ろしい種目です。
   泰将棋・大局将棋は匹敵するジャンプ種目はなし?
   ・・・それにしてもあれだけ強かった日本ジャンプ陣はどうなってしまったのでしょう?
 ・武道競技編
   将棋を柔道とすると、
   京将棋は空手。その心は間合いが柔道に比べ空手がやや遠いからです。
   中将棋・大将棋は剣道。
   泰将棋・大局将棋は匹敵する武道種目はなし?
   ・・・柔道・空手は道着のみで競技できますが、剣道は竹刀・面・胴・こて・前垂れなど道具仕立てが多く必要です。
   駒数が多く、盤も大きくて道具仕立ての大変な中将棋・大将棋になぞらえてみました。
 ・オーケストラ弦楽器編
   将棋をバイオリンとすると、
   京将棋はビオラ。
   中将棋・大将棋はそれぞれチェロ・コントラバス。
   泰将棋・大局将棋は匹敵する楽器なし?
   ・・・やはり一番人気はバイオリンですか(^^;)、ビオラも皇太子殿下が演奏されるなど独特の味わいがあります。
 ・太陽系惑星編
   将棋を金星とすると、
   京将棋は地球。
   中将棋・大将棋はそれぞれ火星・木星。
   泰将棋・大局将棋はそれぞれ海王星・冥王星か、もはや太陽系外?
   ・・・太陽と惑星間の距離を基にイメージしてみました。太陽・地球間の距離が1天文単位なので、
   本当は将棋を地球とすべきでしょうが、今のところ金になるのは将棋のみですので、
   駄洒落で将棋を金星としました(^^;)はは、一人うけ。

  [注]・泰将棋  :盤は25x25、駒種は 93種、駒数は354枚(ここまで大きいと実用性なし?)
     ・大局将棋 :盤は36x36、駒種は208種、駒数は804枚(ギネスブック級か?)

  日本の将棋は本来バラエティに富んでいる訳ですが、現在ではほぼ将棋一種のみの感があります。陸上競技やスピードスケートでは色々な種目があり、弦楽器も大小色々な種類がある様に、将棋も多種目化すればより一層面白くなると思うのですがいかがでしょう。

  以前に米長邦雄永世棋聖がNHKの囲碁将棋ジャーナルという番組でコメンテーター・解説者として出演されていたとき、各棋戦での結果を見て「どの棋戦も同じ様なメンバーが上にきてるいる」という趣旨の発言がありましたが、やはり棋戦は違っても将棋という同じルールでやる訳ですから強い棋士はどの棋戦でも同じになるのは避けようがありません。棋士によっては験(げん)の良い棋戦とそうでない棋戦があるようですが、やはり多少の相性よりも将棋の棋力と研究量がはるかに重要な要素ですからね。もし違うメンバー、違う才能を見たいのであれば、少し違うルールでやるという手法が有力です。例えば、長野五輪の500mで金メダルの清水選手も1000mでは銅メダルでした。500mと1000mでは同じスケートでも少し有力選手のメンバーが違っているはずです。例えば、京将棋の棋戦が出現し、羽生竜王や谷川王位など実力者を含めプロ棋士がほぼ全員参加したと仮定してみます。優勝はやはり「同じようなメンバー」の中からでるでしょうか?私はまた違う才能の棋士が出てきて優勝を持って行くのではないかと予想します。丁度スケートの500mと1000mで優勝者が異なるのと同じ様な具合になるのではないでしょうか。大胆かつ我が儘な事を言えば同じ将棋の棋戦を10以上見るより、少し違うルールの京将棋の棋戦も一つか二つぐらいあるほうが遙かに面白いと思いますね。なぜかと言えば同じ事の繰り返しですが、将棋とはまた違った才能を見ることができるからです。スピードスケートも500mばかり10本の試合を見るより1000mや3000mもあった方がバラエティーに富んで面白いでしょうから。

  新年初めての今回ですので、少し夢的な話しをさせて頂きます。将棋や囲碁の棋戦を見てわかるように、棋戦には必ず新聞社やNHKなどのスポンサーが付いています。スポンサーの付かない日本棋院の大手合い(昇段を決める対局)は運営が赤字で棋院経営にも影響し、とうとう廃止が決まりました。やはりプロ棋戦にはスポンサーが不可欠と見ます。京将棋にもスポンサーが出現すれば棋戦の開催も不可能ではない筈です。そのためには、京将棋は楽しい・面白いという事が世間に広まっている事が不可欠です。まずはアマ棋戦から地道に初めて将来はプロ棋戦まで実現させたいですね。そこで将棋とは異なる才能の持ち主を見ることができれば私のみでなく大勢の将棋ファンの方にとっても満足して頂けるのではないでしょうか。
(記載2003年1月25日)
★第14話 京の多面性

   「初めて京師(みさと、天子のいる都をいう)を修め・・・」(大化2年=646年、孝徳天皇の詔勅・日本書紀)

  西川幸治著「都市の思想」(NHKブックス)によると、これが記録に見られる日本で最初の都市だそうです。京について漢字辞典などを見ると、「人工的な丘(高いところ)」や「字源的には、京は高から派生した」とか説明があります。つまり、天子や王の地位にある者は、一般人より高い場所にいて全体を見渡す事が必要であるし、高い所に居れば、外敵の進入もいち早く察知できる優位性があるので自然と小高い丘が京(都城)となったということでしょう。事実、孝徳天皇の難波宮は現在の大阪市東区法円坂町一帯の上町台地で、最も標高の高い位置にあるそうです。まあ高いといっても標高20m余りですが。孝徳天皇の難波京、天智天皇の大津京などの初期段階を経て藤原京でほぼ都城として完成し、その後の平城京、平安京となって都城制が定着を見たようです。

  ところで京という漢字は日本の首都、東京の京でもあるし、もちろん京都の京でもあり、誰でも知っているという普遍性と、漢字としての単純さ・分かり易さから、京将棋の名前に採用されたという経緯があります。同じ「きょうしょうぎ」でも例えば「響将棋」などとすると書きにくく、覚えにくいので、普及に不利となるはずです。また、「将棋とは敵京と味方京が唯一の京を目指して戦うゲーム」という将棋の本質論や、京という新しい駒が登場するという意味でも京将棋となった訳です。このネーミングはほぼ必然的であるし、合理性もあると私自身は自信を持っているのですが、次の様な質問(よくある!)を受けたとき少々困惑してしまうのです。

  「京将棋は京都の将棋なんですか?」

  答えはもちろん「ちがいます!」です。京将棋は日本全国津々浦々に普及を図りたいので、京都にローカライズしてしまっては全くつまりません。ただ、この質問が出てくる背景を考えるとそれなりの理由はありそうです。京が頭にくる漢字等は次ぎの3系列に分類できると思います。

  A系列・・・京料理、京野菜、京漬物、京豆腐、京舞、京阪電車など
  B系列・・・京劇、京王百貨店、京葉銀行、京成電鉄など
  C系列・・・一京円(京は数字の10の16乗=兆の1万倍を意味する)など

  明らかに、A系列は「京都の・・・」という意味であり、B系列はそれ以外の意味で京を使用しています。京劇などは北京ではやったのでその名が付いたという中国の音楽活劇です。京王百貨店などは関西人は京都にこの百貨店はない事を知っているのでおそらく東京の京から由来するネーミングだと分かりますが、京都の百貨店と思っている方も全国には多いかもしれません。つまり、京将棋も上の分類で言うと、B系列に入ります。ただA系列のほうが現在は言葉として使われる頻度が高いために本来B系列の言葉もA系列の意味にとってしまうという現象がまま起こりがちということです。特に京将棋の内容を知る前に名前だけ聞けば自然とメジャーなA系列の意味にとってしまうのは無理からぬ事と言えるでしょう。

 ところで京将棋はB系列といいましたが、実はC系列とも見なせるという事に気がつきました。将棋の場合の数と京将棋(10x10)の場合の数を比較すると京将棋の方が大きい事は容易に分かります。盤が広い事と駒の種類・枚数が多い事および平均手数が増す事の3重効果によります。京将棋の平均手数は現時点では不明なので、単純化のため将棋の平均手数と同じと仮定してみます。将棋の平均手数は日本将棋連盟発行の平成13年版将棋年鑑によると、過去20年間のプロ棋士の平均手数は111.0手です。京将棋の場合の数は将棋の場合の数より何倍大きいかは、概算として

  (100/81)の111乗X(46/40)の111乗≒8X10の16乗=8京

 という値が得られます。なんと京将棋は文字通り、将棋より1京倍以上複雑な将棋なんですね。もちろん、概算なので数学的には正確な計算とは言えませんが、京将棋はC系列とも見なせるということの意味はご理解頂けたと思います。誰か数学の得意な方で正確な京将棋の場合の数が判ったという方は是非教えて下さい。

  京という漢字の多面性と現時点での使われ方の影響により京将棋はある意味では誤解を受けやすいネーミングとも言えますが、途中記したように必然的なネーミングでもあるので今さら変更は考えられません。それに、京将棋が普及してしまえば何の問題もない訳です。むしろB系列でもあるがC系列でもあるという多面性は京将棋の多面性でもあり、考えてみれば玄妙深淵な気もしてなかなか面白いという気持ちになっています。(記載2002年10月31日)  
★第13話 山頭火と京将棋

   「てふてふひらひらいらかをこえた」 (山頭火)

  山頭火(さんとうか 1882生〜1940没)は俳号であり、山口県佐波郡(現・防府市)出身の人。墨染の法衣に袈裟掛け、頭に網代笠、手には杖の禅僧スタイルで全国を放浪行乞し、非定型の独自の俳句を多く遺した。ほとんど無名であったが、昭和40年代後半より突然山頭火ブームが起こり、現在でも大型書店へ行けば山頭火コーナーがあるほど多くの関連書籍が出されている。過日、私も山頭火に興味を感じ、山頭火の人生と多くの句作を題材にした「放浪の俳人山頭火」(村上護 講談社)を読んでみました。350ページもある本なので切れ切れに読み、読了に時間がかかってしまったが、久々に読後に余韻を残すいい読書ができました。今回はこの話題にします。

  冒頭の一句は私の一番気に入った山頭火の句です。山頭火が55歳(没年の4年前)のとき、東北から日本海側を南下し、福井の永平寺で5日間参籠したときの句で、「永平寺三句」と呼ばれる句作のうちの一句です。この時の放浪はかなり深刻な心情が起点となっており、日記に「旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く! 逃避行の外の何物でもない」と記し出旅している。句中のてふてふは蝶々のことであり、その飛び様はたどたどしく、頼りない。これは明らかに山頭火自身の投影と言える。しかしその頼りない蝶がひらひらといらか(瓦葺きの屋根)を越えた。いらかは抽象的には生の世界と死の世界の分水嶺とも言えるし、現実世界で眼前にある障害とも言える。山頭火はここに旅の答えを見つけたのでしょう。死場所をさがす旅であったが、蝶に教えられ、蝶ですら懸命に生を全うしようとしている姿に我が身の愚かさを悟り、句作に邁進するという自身の生の姿を見い出したようです。この旅の後、日記に、昭和11年10月12日午前10時記すと書いた後、

   「・・・句作が私の一切となった、私は一切を句作にぶちこむ」

 と、記し、決意を表明しています。しかし、現実生活は相変わらずの放縦さで、翌年には山口の湯田温泉で旅館や飲み屋をはしごして飲みまくり結局無銭飲食で留置場に4泊5日拘束されてしまうという事件を起こしてしまいます。山頭火はかなりの大酒飲みだったらしく、後年の日記に「・・・時々アル中の発作に襲われる、身辺を幻影しきりに去来する」などと書いていることより、アルコール依存症だったことは間違いないようです。

  さて表題の「山頭火と京将棋」についてふれます。山頭火の俳句は冒頭の句でわかるように五七五の定型ではなく、非定型です(流派的には自由律という)。定型の俳句の形式美はないですが、自由奔放で野性味や生命力にあふれ、独特の魅力があります。つまり現行将棋は俳句に例えると伝統的な有季定型の俳句であり、京将棋はその定型を破った非定型の俳句に例える事ができます。ここに山頭火と京将棋の共通点を見いだした訳なんですね。実際に京将棋を試してみると、非定型の自由奔放な将棋である事が実感できると思います。

  山頭火の最後も彼らしくユニークでした。昭和15年10月10日に松山市の御幸寺境内に設けた山頭火の仮居である「一草庵」にて柿の会という句会を催します。同人達は予定どおり集合し句会を開きましたが、山頭火は隣室ですでに眠っていたそうです。句会が果て散会となっても山頭火は寝ていたので同人達は起こすのも無粋なことと考え帰ってしまいます。ところが、本当は脳溢血で倒れていたのであり、このまま山頭火は永眠してしまったのです。享年59歳でした。句会のざわめきを自らの葬送行進曲にして逝くなんて何とも俳人らしくて粋ですね。さて、山頭火最期の一句を紹介して、今回の拙文を終わりたいと思います。

   「もりもりもりあがる雲へ歩む」  (山頭火)

(記載2002年10月5日)  
★第12話 コンピュータオリンピアード(Computer Olympiad)とは?

  色々なゲームでコンピュータプログラム同志を戦わせる国際的な大会が表題のコンピュータオリンピアードです。今年は第7回大会で、7月15〜22日にオランダのマーストリヒトで開催された様です。その種目を見ると、

  ・Amazons  ・Awari  ・Backgammon  ・Bao  ・Bridge 
  ・Chess   ・ChineseChess  ・8x8Draughts  ・10x10Draughts
  ・Gipf  ・Go  ・9x9Go  ・Hex  ・Lines of Action  ・Othello
  ・Poker  ・Renju  ・Scrabble  ・Shogi

  以上の19種目があります。すべてどんなゲームか知っているという人はかなりのゲーム通と言えるでしょう。これ以外にも、Tamsk、Twixt、Onyx、RoShamboなど色々なゲームが候補としてあり、ゲームの種類の多さに驚きます。しかし、上の19種類のゲームの内訳を見ると、碁、碁(九路盤)、オセロ、連珠、将棋など日本人がらみのゲームが5種類もあり、あらためて日本人のゲーム好きも相当なものがあると感心してしまいます。割合にすると26%にもなります。かの「魏志倭人伝」(中国の歴史書、3世紀頃の日本を記述)にも倭人(当時の日本人をさす)は博打好きと記載があるように日本人は元来ゲーム好きなんでしょうね。

  コンピュータオリンピアードのHPを見ると、「最低限2ソフトの参加でその種目の競技は成立する。」とありますので、かなりこの条件は緩やかな気がします。主催者側は「さらに多くのゲームをホストしたい」ようなので、緩やかな条件に成っているのでしょう。そこで、将来的には京将棋もこのコンピュータオリンピアードの1種目として見参させたいという気持ちになっています。もちろん、現実としては日本国内の棋戦ですら一度も開催してないので、国際棋戦は飛躍しすぎですが、「2ソフトで競技成立」ならば案外簡単に事は運ぶかもしれません。問題点は経済的・時間的余裕が取れるかどうかです。今年のオランダはじめ欧州や米国へは行って帰ってくるだけでも大仕事ですからね。まあ、千葉県であるCSAの棋戦ですら出張旅費の手当に苦しむ京将棋連合ですから(^^;)相当の無理があるとも言えます。しかし、夢は大きく持ちたいものです。あきらめる必要はありません。京将棋は欧米人にも堂々と紹介できる内容・質の良さがあるのが強みと考えています。

  今年の大会の各棋戦の結果についてはフォローしていませんが、興味のある方はHPを訪ねてみてください。アドレスは当HPのリンク集に採録しておきました。大まかな結果としては、将棋はIS将棋、囲碁はGo4++、チェスはJuniorが優勝だったと思います。(記載2002年8月20日)
★第11話 「茶人のことば」を読む

  「家は漏らぬ程 食事は飢えぬ程にて足ることなり
     是仏の教 茶の湯の本意なり」  (「南方録」より抜粋)

  「南方録」は千利休の弟子、南坊宗啓(なんぼうそうけい)が、利休の談話を筆記し、後で、利休の校閲をうけた記録です。前掲の第8話で利休百首を引用しましたが、引用元の著書(「新版 茶人のことば」井口海仙著 淡交社)に上記の一文がありました。現在の日本はバブルの後遺症で金融不安が継続中で、不景気風が吹きまくるという状況なんですが、なんとも心に染み入る言葉として目にとまりました。豊かな精神生活を送るためには、立派過ぎる豪邸や、贅沢な食事はむしろマイナスという事なんでしょうか。

 ところでこの様な「清貧思想」を弟子に訓じた千利休ですが、一方では南方の焼物を輸入し、それをいわば「利休ブランド」に仕立て上げ、高値で売り巨額の利益を得たというエピソードも残しています。まあ堺商人の家に出生した利休ですから、輸入商社的な事業にも才覚があったとしても不思議ではありません。この利休の流れを汲む現代の裏千家家元の千宗室さんが毎年の長者番付けの常連になっている事もけっして偶然ではないという気がする訳です。それは、利休百首とは別に利休の作とされる次の2首から推論できます(引用元は前掲書)。

  「釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚かな」

  「かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚かな」

 これは私の勝手な解釈かもしれませんが、上の一首は貧乏人向けであり、「茶の湯を通じて豊かな精神生活を送るためには道具仕立てで無理に背伸びして分不相応に買い揃える必要はなし」というメッセージであり、下の方は富裕層向けで、「経済的に豊かであるならば、それを押し隠して無理に清貧ぶるのはやめましょう」というメッセージであると思います。まあ将棋の世界に置き換えると、500円のスタンプ駒でも立派な将棋は指せるし、逆に数十万円の盛上駒を使ったとしてもへぼな将棋はへぼという事なのでしょうか。いずれにせよ、千利休という人の思想の一面にはプラグマチズム的要素があったと私は勝手に考えています。織田信長・豊臣秀吉という天下人から堺の町衆まで幅広い階層の人間と付き合いがあった結果生まれた思想なのではないでしょうか。

  「此道を嗜む人は平生の行蹟肝要たるべし 大酒 博打 淫乱等の遊びを断絶すべし」(真松春渓)

  春渓は春慶とも書き、春慶塗りの元祖と伝えられる堺の人ですが、この一文はストレートですね。昔から日本人の(男の場合でしょうが)陥りやすい3悪をずばりついています。こんな耳の痛い事を言うから「ええい、この茶坊主めが」という反発の決まり文句が生まれたのでしょうか。さて、次はシリアスかつ感動的な一文です。

  「・・・ことに茶の為に一命を捨てることは少しも惜しいとは思っておりません
   むしろ茶の為に死ぬのは本望と思っております」(裏千家十三代家元 円能斎宗室)

  円能斎はこの訓示をした後、床に伏し、5時間後に逝去(享年53歳)したそうですから、真実がこもった言葉です。
  一般庶民は、茶道家元に対しては「茶をたてて年収数億円も稼ぐいい商売」という見方をしているでしょうが、この円能斎に関する部分を読むと、やはり家元の重責というか、茶道を衰微させずに次代に引き継ぐ重圧はすごいものがあると感じますね。特に円能斎は明治中期の茶道がどん底の時代に家元を継ぎ、流派内の有力な後援者(伊集院兼常)からも「いっそ茶道を思い切って学問をしてはどうか」と廃業を忠告されるぐらいだったそうですから、歴代の家元の中でも特に強い精神力を必要とする環境にあったと思われます。この人がもし並みの使命感の人だったとしたら、現代の裏千家流の盛大さは無かったというのもうなずける話です。

  まあ生意気な表現かもしれませんが、京将棋連合は京将棋の創家家元に相当する立場ですので、その代表を名乗る私としては、この円能斎宗室のひたむきな求道精神を範として見習う必要があると思った次第です。

  この本には、他にも印象的な言葉が数多くありますが、これ以上引用紹介すると、著作権法に照らして問題かもしれないのでやめる事にします。引用本は新書版で本体¥1000(税別・平成10年版)の手ごろな価格なので、購入一読をお勧めします。(記載2002年6月30日)         
(C)2002-2003 Aritsune Zenshowji
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