強化ガラスのヒートソーク試験の最適な熱処理
自然破損を無くした安全な強化ガラスを製造するための必須条件

 強化ガラスに硫化ニッケル異物(
化学組成はNixSy)が含まれると製造過程や製品出荷後にしばしば
急激な破損を生じることがあります。この現象は
「自然破損:Sponataneous Breakage」と呼ばれます。
このような自然破損を回避するためにはガラス原料でNi成分を含むステンレス金属の夾雑物を無くす、
添加剤によって硫化ニッケル異物の形成を抑制する(
Sakai and Kikuta_2001)さらにヒートソーク試験
HST:Heat Soak Test)によって硫化ニッケル異物を製品と共に破損させて除去する方法があります。

 ヒートソーク試験(
HST)は強化ガラスの製品を再度加熱することによって含まれる硫化ニッケル異物
の結晶相を
α相からβ相に相転移させ、同時に約4%の体積膨張を発生させクラックを急速に伸展させ
硫化ニッケル異物と異物を含むガラス製品を強化ガラスの加工工程内で破壊して不良品を除去します。
 従来からヒートソーク試験では、290℃以上の加熱が推奨されていました。
Sakai and Kikuta_1999
ISO 20657_2017(Glass in building Heat soaked tempered soda lime silicate safety glass)には
ヒートソーク試験の処理条件が詳細に記載されていますが、硫化ニッケル異物の
α-β相転移の状態を
正しく理解しないと間違った熱処理を行ってしまうために処理技術の適用の前に正しい理解が必要です。

以下にISO20657_2017に記載された重要な技術の内容を具体的に説明して行きます。

1.硫化ニッケルのα-β相転移

 図1は、硫化ニッケル(Nickel Sulfide)の結晶相に対するニッケル(Ni)イオウ(S)の2成分系の状態平衡図(Phase Diagram)を示します。硫化ニッケルには高温で安定なα相低温で安定なβ相が存在しますが、その組成範囲はイオウ成分の含有量に対して26.7wt.%~42.1wt.%の範囲です。硫化ニッケルの結晶相は、Ni7S6、NiS、Ni1-xSの端成分に対してα相(高温相)β相(低温相)がそれぞれ存在します。
 
Ni7S6は397℃にα相-β相の相転移温度があり、またNiSは379℃にα-β相転移温度があり、さらにNi1-xSは282℃以上でβ相が相転移して356℃でα相に相転移することがわかります。すなわち、図1に示されるNi-Sの状態平衡図から硫化ニッケルは化学組成の違いでα-β相転移温度が異なることがわかりますが、NiSNi3S4の共存範囲では282℃でβ相がα相に相転移することがわかります。詳細は、酒井・佐藤(2020)に詳しく記載されておりますのでご参照ください。
 以下のコーナーでは、実際の硫化ニッケルの結晶相に対してのα相とβ相の相転移の実験結果を示します。

硫化ニッケルのNi-Sの2成分系の状態平衡図

図1.硫化ニッケルのNi-Sの2成分系の状態平衡図

2.硫化ニッケル結晶相のα-β相転移

 図2は、硫化ニッケルの結晶相のNi-Sの2成分系の状態平衡図(右図)と合成された硫化ニッケルの窒素ガス雰囲気中の示差熱分析(DTA:Differential Thermal Analysis)の分析結果(左図)を示します。測定サンプルは、ニッケル粉とイオウ粉をNiS=1:1の理想式(モル比)で混合して、真空雰囲気内の石英ガラスのキャピラリーの中で加熱合成された後に急冷して得たα相を用いています。硫化ニッケルのα相はDTA分析の前に窒素ガス雰囲気置換した粉末X線回折(XRD:X-Ray Diffraction)によって結晶相が同定され、Ni7S6NiS、およびNi1-xSNi3S4の結晶相が含まれることが確認されています。
 このように、実際の強化ガラスに含まれる硫化ニッケル異物は単一の結晶相で構成されるのではなく、幾つかの結晶相が含まれるので、α-β相転移の温度が異なる結晶相が共存していることになります。
 示差熱分析では、α相の硫化ニッケルの結晶相は室温から
3℃/minの昇温速度で加熱すると、177℃でβ相に相転移しました(発熱反応はα相からβ相への相転移を示します)。しかし、270℃で一部がα相に再び相転移したことが示されました(吸熱反応はβ相からα相への相転移を示します)。この相転移は右図の右側の矢印の組成範囲での相転移を示します。そして、396℃で大きな吸熱反応があり完全なα相に相転移したことがわかります。すなわち、Ni7S6およびNiS(あるいはNi1-xS)が全てα相に相転移したことになります。
 このように、
強化ガラスに含まれる硫化ニッケル異物にはα相-β相の相転移温度が異なる結晶相が共存するために、熱処理においては十分に注意をしなくてはなりません。以下に最適な熱処理(HST:Heat Soak Test)の条件を紹介していきます。


硫化ニッケル結晶相の示差熱分析の結果

図2.硫化ニッケル結晶相の示差熱分析の結果

3.硫化ニッケルのα相-β相の相転移温度の調査結果(詳細は酒井・佐藤(2020)を参照してください)

 図2(上図)の示差熱分析の結果に基づくと、製造された強化ガラスを室温から
3℃/minで加熱すれば、強化ガラスに硫化ニッケル異物が含まれている場合には180℃付近で全てのα相は昇温の過程でβ相に相転移することが分かります。すなわち、温度ばらつき(炉内の均熱化のための温度維持制度が±20℃と仮定すると)も考慮すると、200℃以上で安定してβ相転移を達成することが可能になります。
 図3は、実際のガラス製品に含まれる硫化ニッケル異物を高温顕微鏡下で加熱しながら昇温速度とβ相転移の関係を調べた結果です。硫化ニッケル異物は大気雰囲気とは接しておりません。β相転移の状態は
約4%の体積膨張を伴うために、ガラス中の硫化ニッケル異物周囲で発生する圧縮応力の状態を干渉色の変化で確認して決めました。
 
β相転移温度は明らかに昇温速度と密接に関係しており、昇温速度が遅いほどβ相への相転移温度が低温側にシフトすることが分かります。3℃/minで加熱する場合には190℃より高温側でβ相が安定になります。ただし、330℃以上の高温域になると再度α相に相転移することもわかります。

<FONT color="#000000" size="3" face="MS Pゴシック">ガラス中の硫化ニッケル異物の高温顕微鏡を用いたα相-β相の実験結果</FONT>

図3.ガラス中の硫化ニッケル異物の高温顕微鏡を用いたα相-β相の実験結果

 図4は、自然破損した強化ガラスの始発点(Broken Origin)の破片に含まれる硫化ニッケル異物の顕微ラマン分光(micro-Raman Spectroscopy)分析の測定結果を示しています。始発点部分の硫化ニッケル異物の鏡面研磨を行い、図4-左図の熱履歴で窒素雰囲気中で加熱処理を行って、それぞれのステージ(450℃で15min保持後とさらに急冷後に3℃/minで加熱後に240℃で15min保持後)の結晶状態を測定しました。)それぞれ、前者は強化工程後の硫化ニッケルの結晶状態を示し、また後者はオフラインでヒートソーク試験を行った強化ガラスを示しています。
 図4-右図に示す測定結果では、α相はほとんど明瞭なラマンバンドを持ちませんβ相は明瞭な4本のラマンバンドが確認できます。
 これらの調査の結果から、
オフライン・ヒートソーク試験においては、3℃/minで15min以上の保持で加熱することによって硫化ニッケルをβ相に相転移できることが明確に示されました。

<FONT color="#000000" size="3" face="MS Pゴシック">ガラス中の硫化ニッケル異物の高温顕微ラマン分光分析によるα相-β相の調査結果</FONT>

図4.ガラス中の硫化ニッケル異物の高温顕微ラマン分光分析によるα相-β相の調査結果

 図5は、高温X線回折法(X-Ray Diffractometryによる硫化ニッケルの結晶相のα相-β相の相転移の実験結果を示します。硫化ニッケルは示差熱分析(図2を参照して下さい)で使用した合成したNixSyの粉末を用いて、ヘリウム雰囲気中で測定を実施しました。サンプルは、粉末X線回折法で全てα相と確認されたものを3℃/minで昇温させて170℃~300℃の温度範囲で15min(○)と30min(●)の異なる保持時間でβ相転移の達成度を調べた結果を示します。
 180℃以上の保持温度で15min以上加熱することによってβ相転移がほぼ達成されることがわかりました。すなわち、高温X線回折法による実験結果も高温顕微鏡観察や示差熱分析、および高温顕微ラマン分光法と同様の結果を示しました。
 
高温X線回折法による硫化ニッケル結晶のα相-β相の相転移実験の結果

図5.高温X線回折法による硫化ニッケル結晶のα相-β相の相転移実験の結果

 4.オフライン・ヒートソーク試験の最適な熱履歴

 図6は
示差熱分析高温顕微鏡高温X線回折、および高温顕微ラマン分光法による硫化ニッケルのβ相転移温度の比較を行った結果を示します。示差熱分析(棒グラフ)では3℃/minの昇温速度のばあい190℃でβ相転移が完了することが解ります。同様にして、高温X線回折法では185℃高温顕微鏡観察では195℃、そして図4に示すように高温顕微ラマン分光法では240℃でβ相転移が完了することが示されました。
 したがって、
実験室の調査では3℃/minの昇温速度ならば200℃以上では昇温過程においてβ相転移が完了することになります。
 しかしながら、実操業においては実験室のように温度ばらつきの少ない加熱はできません。例えば、熱風炉では吹き出し口と吸い込み口では設定温度とは異なる温度で計測されます(一般的には、吹き出し口は高温側にまた吸い込み口は低温側にシフトします)。そのために、
実機への適用に対しては温度ばらつきも考慮しなくてはなりません

示差熱分析、高温顕微鏡、高温X線回折、および高温顕微ラマン分光法による<BR>

図6.示差熱分析、高温顕微鏡、高温X線回折、および高温顕微ラマン分光法による
硫化ニッケルのβ相転移温度の比較

 5.実操業における最適な熱履歴

 
以上の結果を総合すると、β相からα相への相転移を防ぐためには最高温度域が280℃未満であること。また、温度の最も低い場所では200℃以上であること、挿入される製品量も考慮すると低温側はより高温側にシフトさせ、また中心温度で一定時間保持することが望ましいと考えられます。
 このために、図7(上図)に示されるように
ISO20657_2017では260℃±10℃でオフライン・ヒートソーク試験の操業条件が設定されました。しかしながら、大きな容量を持つヒートソーク炉内の温度を±10℃で制御することは実用上困難です。また、最高温度で2時間保持することはβ相転移の達成(昇温の過程)と製品の温度ばらつきも考慮するとやや長時間過ぎると考えられます。
 
酒井・佐藤(2020)で示されているように、複数の実験結果を考察するとオフライン・ヒートソーク試験は以下の条件で実施
できると考えられます.
 
保持温度:240℃± 20℃ (最も加熱が遅いガラス板の表面温度に対して)
 保持時間:15分以上(全てのガラス板の表面が240℃に到達してからの時間)

 オフライン・ヒートソーク試験に対するこれらの改善された条件によって、信頼性の高い強化ガラスに対して生産性の向上とエネルギー削減を期待することができます。
 ISO20657_2017では、図7(下図)に示されるように、強化ガラスの製造後に直ちに連続的に
220℃±20℃の温度で12分以上保持することによって強化ガラスに硫化ニッケル異物が含まれている場合にはβ相転移が可能です。図2に示す状態平衡図に基づくと、600℃以上の加熱状態から急冷工程を通して220℃の温度域で12分以上保持するインライン・ヒートソーク試験として明記されています。

ISO20657_2017が示したオフライン・ヒートソーク試験とインライン・ヒートソーク試験

図7.ISO20657_2017が示したオフライン・ヒートソーク試験の熱履歴(上図)

 6.ヒートソーク試験での注意事項

 強化ガラスの硫化ニッケル異物による自然破損のリスクを大きく低減させるために、強化ガラスの製品を室温から加熱(
オフライン・ヒートソーク試験)、あるいは強化後に一定温度に保持する(インライン・ヒートソーク試験)ことが有効ですが、最適な熱履歴で処理することが重要です。また、オフライン・ヒートソーク試験では、ヒートソーク炉の仕様(ヒータ輻射加熱方式や温風循環方式など)やヒートソーク炉に挿入する強化ガラスの製品のサイズや容量に対しても把握しておくことが重要となります。
 オフライン・ヒートソーク試験に対しては、
ISO20657_2017では室温から3℃/minで加熱して260℃±20℃で2時間保持となっていますが、ヒートソーク炉の能力や製品の大きさあるいは容量も考慮すると±20℃以上での制御が限界と思われますので、240℃±20℃での保持が提案されます。また保持時間も製品の最も温度が低い部分で240℃に達してから15分以上の保持が必要です。
 
オフライン・ヒートソーク試験に対しては、ガラスメーカーが公表した情報を参照すると290℃前後でヒートソーク試験を実施したことが記載されている 企業もあります。しかし、このような高温条件での処理は図2に示されるように強化ガラスに含まれる一部の硫化ニッケルはα相に再相転移するので、ソーク漏れやソーク不完全が生じてガラス市場での自然破損の危険が極めて高くなります。そのために十分に熱履歴を考慮する必要があります。

 いっぽう、インライン・ヒートソーク試験「強化工程」から「冷却過程」を経て強化ガラスの製品がヒートソーク炉に挿入されるので、生産現場でのガラス表面の温度管理が極めて重要となります。すなわち、ヒートソーク炉への挿入時にガラス表面温度は
220℃±20℃になるようにモニタリングすることが重要となります。インライン・ヒートソーク試験は、建築用途や輸送機材などの大規模な強化ガラスの生産に適しています。また、平板や湾曲したガラスなど種々の形状の強化ガラスのヒートソーク試験に適しています。


 7.困った時には…

 硫化ニッケル異物だけでなく様々な原因による強化ガラスの自然破損や、ヒートソーク試験における熱処理条件の最適化などのご相談は「ガラス分析技術ラボラトリー」にご連絡ください。
 「ガラス分析技術ラボラトリー」
 
メールアドレス:
  QYJ06173@nifty.com

まとめ

 強化ガラスの自然破損(Spontaneous Breakage)を引き起こす硫化ニッケル(Nickel Sulfide)異物の結晶状態を定量的に把握することは安全な強化ガラスの提供のために重要な試験評価技術となります。従来からの電子線マイクロプローブ(EPMA:Electron Probe Micro-Analysis)分析に加えて、汎用的な光学顕微鏡観察粉末X線回折法などと共に、新たに顕微ラマン分光分析技術(micro-Raman Spectrometery)を用いた結晶構造の解析が自然破損の原因究明と対策に対して非常に有効です。微小な異物解析に対して、顕微ラマン分光法の評価技術は極めて有効な分析方法です。

文献

Chihiro SAKAI and Masashi KIKUTA
"Adapted Heat Treatment for Phase Transformation of NiS inclusion in the Heat Strengthened and Tempered Glass"
Glass Processing Days, 13-16, June, 1999.

Chihiro SAKAI and Masashi KIKUTA
"Effective reduction of Nickel Sulfide stones in heat-stregthened and tempered glass"
Glass Processing Days, 16-21, June, 2001.

ISO 20657 "Glass in building Heat soaked tempered safety glass"
Technical Committee : ISO/TC 160, 1-50, 2017.


酒井千尋・佐藤良司 「オフライン・ヒートソーク試験の低温処理化の可能性」
"Possibility of low-temperature processing of off-line heat soak test"
Journal of the Ceramic Society of Japan, Supplement 128 [7] S1-S7 2020.

Chhiro SAKAI
"Advanced technology for in-line continuous heat soak test of tempered sheet glass to guarantee high reliability"
Glass Technol.: Eur. J. Glass Sci. Technol. A February 61 [1] 16-24 2020.
         
酒井千尋 「強化ガラス自然破損起点の硫化ニッケルのβ相転位分析技術」
"Analysis of beta-phase transformation of nickel sulfide from the origin of spontaneously fractured tempered glass"
Journal of the Ceramic Society of Japan, Supplement 132 [1] S1-S6 2024.


「ガラス分析技術ラボラトリー」では、ガラスやセラミックスあるいは岩石や鉱物などの結晶相に
対する共焦点顕微分光法による測定や解析の技術支援を行っております。ガラス製品の評価
やガラスの欠点と異物の分析技術などでご相談がありましたらお気軽にお問い合わせください。


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