「科学の進歩は境界領域にある」 | |
「科学の進歩は境界領域にある」 今までに、私の勤務先の機関誌(NTR NEWS)や冊子には何度も書いてきましたが、我々が毎日研究を行っている科学にはその中の数々の分野において毎日新しい発見や変化や発明があります。 材料科学においては、素材の改良や改善は絶え間なく続けられていることであり、また生物学や生態学の分野でも新しい種の発見や絶滅が繰り返されています。さらに医学においても常に滞ることは無く、例えば癌の撲滅など多くの努力が費やされていることは皆さんご存じのことと思います。 しかし、ちょっとここで立ち止まって考えてみましょう。これらの科学の分野は、中学校や高校の授業のように1つの分野から成り立つものでは無いことは明らかです。例えば、遺伝子操作などにおいても、もはや我々が学校で勉強した「遺伝の法則」だけでは活用という面では用をなさないであると思います。 我々は、学校や教育機関の教育過程(多分、大学や大学院など)の中で学んできた特定の科学技術に対しては非常に強い思い入れがあります。すなわち、学んできた分野の延長線上に将来の仕事や研究を見出したいと思います。確かに、その場合は、技術の積み重ねが主体なのであまり苦も無く次のステップに行けるのかも知れません。しかし、世の常として、多くの場合にはその延長線上に解があることは希でです。むしろ、一般的には求められるものは飛び地にある場合が多いと思います。 しかし、こうした課題を一つずつクリヤーしていくためには、やはり学んできた科学的なアプローチの仕方や考え方や手法が重要となります。すなわち、これらのことが多分企業や組織に採用された新人たちに企業が期待することなのでしょう。ただし、多くの場合には、こうしたある意味で変革を求められる流れに対してはなかなか積極的になれません。そのように考えると、経理学や経営学のようにむしろ文化系の学問の方がより応用的に適応しているのかも知れません。すなわち、彼らはこれらの学問を持って縦横無尽に動くことができるからです。科学に携わる者はある場合には最先端の技術に関与しつつも、あるいはもっと保守的なのかも知れません。 誰でも自分自身が熟知した技術分野以外の領土に落下傘降下をする訳にはいかないでしょう。そのようにすれば、自分で自分が置いた地雷を踏んでしまうかも知れないからです。だから、ちょっと知っている領地(分野)から、例えば片足程度を出して感触を確かめながら異国の地(知らない技術領域)に入って行くのかも知れません。しかし、大きな地図で見ると全体の状態や状況がよく把握でき、さらにその分布が定量的に理解できれば大して怖いことは無いかも知れません。おそらくきっとそうであると思います。 未知の場所に行ったりあるいは探検(ふしぎ発見)などをする場合でも、いつでも何が起こるかわからない恐怖があることが判断を狂わせたりあるいは遅らせたりするのでしょう。多くのアドベンチャー映画でも登場人物の表情をスクリーンに映し出しながらこうした場面を上手に見る人の心を絵の中に取り組むのですね。さて、どのようにして未知の領域(すなわち技術分野)に入り込めばよいのでしょうか?片足程度では無いよりはましだとは思いますが、ある意味でこの程度ならば「屁のカッパ」であろうし、両足を踏み入れる勇気が無いのも事実でしょう。 私は、そんなときには意識的に周囲の人の力を借りることにしています。良いことも悪いことも「蛇の道は蛇」とか、あるいは「餅は餅屋」だと思います。すなわち、その分野をよく知る専門家にガイドをしてもらうのです。しかし、このガイドはだだの普通のガイドでは無いです。つまり山道を歩くガイドとは違うのです。例えると、ヘリコプターに乗って上昇してガイドと一緒になって全体を見て(俯瞰して)議論を交わすことが大切であると考えます。すなわち、技術の領域が今まさにどんな状況であるのかを定量的に把握しないと自分自身の技術の領域を広げることはできません。また、その結果自分の固有の技術の領域の深さも変えられないと思います。 「科学の進歩は技術の境界領域にある」。私はそのように感じています。上手に技術の全体を眺めながら有能なガイド(仲間)の力を借りて、お互い熱い議論を交わしながら周辺領域に入り込んでみよう。きっと、あなた自身にとって必ず得るものがあるはずです。 上記の文章は著者が退職前に執筆したものです。 2024年3月10日 |
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デジカメで撮影したオリオン座(まだまだ暗いですね) 5枚のJPGを「Regstax」のソフトを使用してコンポジット編集(画像の平均加算)した。 2005年1月9日 撮影 |
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