挨拶

「挨拶」

 最近、SNSの普及のためか、あるいは人間同士が有機的に触れ合う機会が少なくなりお互いに言葉を交わすことも極端に減っているためか、何かと意見や考え方の行き違いや摩擦が多くなったと言われています。インターネットやITの普及と拡大によって誰もがスマホやPCを使うことで簡単に世界からの情報を手に入れることができます。でも、こうした興味のある情報の多くには米国の某大統領が強調しているように、嘘のニュース(Fake News)というか、あまり信頼できない情報や危険な情報も沢山あり要注意なのですが…。

 そう言えば、何かの機会に電車に乗車した時に、8人掛けの座席でかなりの高齢者を除いて7〜8人もがスマホや携帯電話や何かしらの電子端末を真剣に操作しておりIT依存の人が本当に多いと感じました。場合によっては優先座席でも沢山の人が端末の操作していましたね(本当は通信機器の使用を控えるような表示があるのですが…残念な光景です)。果たしてこのような状態が本当に良いものかとつくづく考えさせられます。「
ながらスマホ」を行っていると(時には大声で電話をかけている)、優先座席や周囲の状況に対する配慮もできなくなり、ちょっと考えさせられる場面もよく目にします。

 我々の日常の仕事の中にもこうした風潮がありますね。同じ部屋で背中合わせの関係でも、
何でもかんでもメールで処理したりする人もおり、それぞれの状況を"Face to Face"で確認しないで、無責任な指示や返信をしたりして、かえって不快な状態になったり、混乱させる常習者がいることを皆さんも日々感じておられると思います。

 でも、そのような常習者は、この文章を見ても、多分決して自分であるとは気づかないと思いますが…。

 ただ、こうした最近の
無機質な風潮の中にも、小さなことですが何かホッとすることもあるのも確かです。

 私は、時々、六甲山にバードウオッチングに行きます。東側の急斜面から車で登り、山中のカーブだらけの道を走って、神戸市の植物園に行くのですが、必ずその走行中にちょっと良いことがあります。

 ヘアピンカーブが連続する道で、後ろから大型バイクが迫ってくるのがバックミラーに映ります。比較的カーブの緩やかな場所を選び、車を左側に気持ち程度ですが寄せて道を譲ります。ライダーは、体をバイクごと傾けて右側をすり抜けて行きます。そして、その追い抜きの際にほ、ほぼ100%の割合で必ず
左手を下にして腕を折り曲げて挨拶をして行きます。それが、ある意味で、「走り屋」としての彼らの礼儀なのでしょう。

 世間において、挨拶が少なくなっている昨今、運転中なので言葉の交流は無いものの何か清々しさを感じる瞬間です。多くの人に、心の余裕が少なくなっているこの頃ですが、「
まだ、大丈夫、きっと何とかなる」と、ホッとする時間でもあります。

 1つの考え方で行動する人やグループは、やはり、ちゃんと、それなりのまとまった考え方や思いで行動するのでしょう。だから、
風土(習慣)や教育や物の考え方の伝承が大切なのではと思います。

 ここで、身近な話題に戻しましょう。企業や社会の中では、仕事に対しては「
技術」や「技能」のそのものだけでなく、基本的には、先人たちの良い部分を引き継いで、社会人として人間生活の基本(常識や礼儀や思いやりなど)を身につけて欲しいと思います。それは、企業で働く若手や中堅の方々だけでなく、既に成人となっている学生諸君に対しても同じでしょう。

 
小さなことでも、やはり「挨拶」は基本ですね。そして、必ず、お互いに顔を見て"Face to Face"で言葉や意見を交わすこと。これがお互いの立場の理解と人間的な交流を生み出してくれるのだと思います。


 上記の文章は著者が退職前に執筆したものです。

2024年3月10日


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