「僕らはみんな「夢の途中」だよ」

「僕らはみんな「夢の途中」だよ」

 2017年6月10日(土) 19:00〜20:54に、BS日テレの「地球劇場〜100年後の君に聞かせたい歌〜山口百恵名曲SP!宇崎・長男祐太郎・谷村」を見た。この番組では、100年後に残せる歌遺産を「再発見」し、また「新発見」することをテーマ―に、宇崎竜童と谷村新治と三浦祐太郎の3名の歌手が、現在のことや思い出に対してトークを交えながら、心に沁みる名曲を熱唱する番組であった。山口百恵さんのあの名曲も長男の祐太郎さんが熱唱してとても感慨深い番組であったと思う。また、この番組の中で、谷村新治さんが1981年にリリースされた来生たかおさんの7枚目のオリジナルアルバムである「夢の途中」を熱唱した。薬師丸ひろ子さんが「セラー服と機関銃」で歌ったあの主題曲でもあるが(この辺りの色々な大人のやり取りはあえてここでは書きませんが)、はやはり、「夢の途中」という来生たかおの曲にはとても感慨深いものがあった。

 さて、歌の話はこれくらいとして、今回は、
「夢の途中」について自分なりの解釈で勝手に書いてみたいと思う。

 僕たちは、生まれてから死ぬまでの長い間、何十年も、
「こうしたい」とか「こうあって欲しい」などと思いながら、何時も自分の思い描いた目標に向かって、その1歩の距離は人によって様々ではあるが、1歩ずつ実現に向かって歩いている。けれども、この目標は、単なる通過点であり決してそこが終着駅ではないことは皆さんがよくおわかりのことと思う。たとえ小さいとはいえ、1つの目標に達したら、次の派生する目標や全く異なる新たな目標に向かって歩んでいくのだから…

 よく、
「大きな目標を持て」とか、「大志を抱け」とか、「夢を持ちなさい」とか、「人生設計やライフワークを持つ」ことなどの大切さが言われている。しかし、落ち着いて考えてみると直ぐに解ることだが、そのような大きな目標に達してもそれだけで終わりではない。人生がそこで終わる(例えば死に至る)ならば「止む無し」かも知れないが、○○企業に入社するとか、△△賞を頂くことも単なる通過点の1つなのであろう。

 そんな訳で、僕らはいつでも
「夢の途中」にいる。だから、自分が抱いている夢が一度は叶えられなかったとしても、それが次の成功の糧となり、また引き金となり、次々と出てくる夢の実現に向かって、これから少しずつではあるが進んで行くのだと思う。

 私がいつも思うことは、描いた目標や夢の実現に対していつも受動的であるならば、その達成の機会(チャンス)は大きく減少するであろう。場合によっては、心待ちにした嬉しい便りはこちらにやって来ないかも知れない。現実的には、ずっと能動的な緊張状態でいることはできないが、少なくとも、自分の抱いた目標や夢に向かっては、自分自身が積極的に努力することはしたいものであると常々思う。

 
「夢」は人から与えられることもあるが、それを実現させるためには自分自身の努力が必要だ。努力があるからこそ目標達成の充実感が生まれる。そしてそれらが次の目標設定の動機づけとなるのだろう。

 だから、僕らはみんな
「夢の途中」にいるのである。

 上記の文章は著者が最近になって執筆したものです。

2023年11月30日

一番小型のタカ「ツミ」
一番小型のタカ「ツミ」
2007年5月 茨城県つくば市赤塚公園にて撮影
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