「歴史認識の大切さ」 | |
「歴史認識の大切さ」 世界的な不景気なためか、日本のみの不景気によるものか、最近の弊社への依頼試験の中で資源や原料関係の試験がめっきり少なくなってきています。あのバブルの頃は、これらの業務を行っている各社から試験や現地調査の依頼が矢継ぎ早にきました。そして、その多くは当時有望であった海外資源の現地調査でした。 当時はアジア各地での資源調査が多くオーストラリアなどの調査も入り、同時期に世界の複数地域での現地調査が入り、稼働できる社員(専門性で)を総動員して対応したものでした。私も幸いなことにそれらのプロジェクトに参加することができ、南から北から広く参加させてもらったものでした。 そして、このような普通の分析業務とは異なったフォロー(泥臭いとか現場臭い対応)を通して、それぞれの国柄の特徴や歴史も学ぶ機会を得ることができ、今の私にとってはある意味で非常に大切なことを学んだと思っております。以下にいくつかの体験談を書いてみます。 入社間もない頃、ある資源調査で中国の遼東半島の地質調査をしたことがあります。そこは、いわゆる田園地帯で鉱山は山間にあるのですが何しろ交通の手段が無く大変なところでした。また、原料精製工場は煉瓦作りで内部も5Sどころではなく、日本と大きなギャップを持ったものです。しかし、このような地域にも日本の進出の記録が残っており、明治から昭和初期に至る日本軍の部分的な拠点の跡は何とも言えぬものがありました(どのような扱いがあったかはわかりませんが)。 しかし、現地の方々は心行くまで私達訪問者を歓迎してくれました。想像できない体験を持った方々が、侵略した国民の子供達を歓迎する、その心の広さに大陸の人のある意味での寛大さを見たような気がしました。しかし、鴨緑江から見た北朝鮮側の大地は、静まりかえっており不気味であり、東西(南北)の冷戦の現実に直ちに引き戻され、島国では感じられない緊張感を味わったものでした。 そして、このような日本の歴史と、現地の人々との交流、そして歓迎は幾つもの場所で味会うことになりました。このころから現地に行く前に必ず歴史を復習するようになったのです。自分なりに、歴史をしっかりと認識して相手と接しようと思ったのです。 ベトナムの中部からメコンデルタまでの調査では、あのベトナム戦争の傷跡も沢山見ました。美しいフエの古城に残る弾痕、メコンデルタの枯れ葉剤の広域散布と奇形児の出産、軍隊による拷問など、ありとあらゆる武器を使用したベトナム戦争の悲惨さも見る機会がありました。そして極めつけはホーチミン市にある「戦争犯罪博物館」のアルコール漬けの奇形児でした。しかし、ベトナムはどこにおいても住民に迎えられ、歓迎され、親切にされました。その笑顔には一見戦争の悲惨な記憶は見えませんでした。 以上の色々な体験を受けて、私は観光でも仕事でも海外を訪れるときには、必ずその国や地域の歴史を正しく知ろうと思いました。そのような中に現地の人の今があり、苦しみが沢山あるから人と優しく接することができるのかも知れないと思ったからです。そして、優しく接することができれば本音で語り合えると思うからです(実際はなかなか難しいですが)。 日本では、歴史認識がともすれば間違っているとか、教育されないと言われております。私は、未来は孤立して未来にあるのではなく、現在とのつながりに未来があると思っております。そのためには、現在をどのように生きていくかを過去に学ばなくてはならないと思います。教育としてだけではなく、文化として自然に歴史を学ぶ(あるいは知ることができる)取り組みが必要ではないでしょうか。 *本文は、著者が現役時代(2010年頃)に執筆した原稿に加筆修正を行った文章です。 2023年7月5日 |
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ベトナム・ホーチミン市の風景 ![]() 2013年11月1日 |
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