「技術馬鹿の壁」を越える

「技術馬鹿の壁」を越える

 「技術馬鹿」とよく言われるが、いったいどんな意味があるのだろうか?

 また、どのような状態をいうのだろうか。

 広辞苑の索引を調べてみたが、「技術」にはちゃんとした説明があるものの、「技術馬鹿」に対しては説明が無かった。小さな国語辞典でももちろん説明が無いことから、多分、造語として世間でそれなりに言われている言葉であり、ちゃんとした意味付けがされていないのかも知れない。試しに、インターネットで「技術馬鹿」という言葉で検索してみると、直接の解釈は無いが、引用事例として、「自分の専門分野にひたすら拘って技術だけしか自信を持てない技術者とか、異分野の技術者や顧客と議論ができない技術者」との意味で解説があった。

 「技術馬鹿」は、例えば技術系の企業などで、上司が部下の仕事ぶりを評価するとき(あるいは日々の言葉の中で)言われるような気がする。多分、文系(事務職など)の仕事ではあまり耳にしない言葉なのだろうか。そう言えば、私は、大学や大学院などで、そのような言葉を聞いたことが無いように記憶している。

 以下に、私なりに「技術馬鹿」について考えてみた。

 例えば、知識も豊富で技術的に非常に優れた研究者がいるとした場合に、

 
ケース1:大学や大学院のように、基礎研究を主体にやるべきミッションがある場合には、基礎的な調査や研究だけをがむしゃらに行っていれば良い。つまり、その技術だけを極めれば大半の目的は達成される。目標は、学会発表とか論文投稿などであるので、応用技術や直ぐには世間に活用されることはなくても研究の達成そのものに意義がある。

 
ケース2:企業やそれに近い機関などで、製品開発をしているときに、その技術の応用展開を考えながら基礎技術の開発を行う。たとえ基礎的な技術開発や研究であっても、将来的な顧客や開発条件(コストや生産性など)を常に念頭において研究開発をしなくてはならない。

 
ケース3:最も顧客の側に近い状態で開発や改良をしている状態。主として企業の前線の技術開発や品質保証などで、顧客からの要望やクレーム対応も含めて、基礎的な技術開発よりも全面的に顧客志向で短時間での応用的な対応が必要になる場合。試験・評価や測定・分析などを通して技術的な支援をする場合にも同様な状態である。すなわち、分析技術を深く掘り下げて分析基礎だけではなく、周辺技術への広い応用や顧客への解り易い説明も考えて対応することが必要である。

 つまり、平たく言えば、研究開発に携わる技術者は、常に、自分の立ち位置をよく理解することが重要であることを意味しているのだろう。特に、企業の研究開発の部門では、研究や開発に携わる技術者は、決して全ての者が自分自身が持つ技術の完成を最終目標に置くのではなく(場合によってはそのようなこともある)、あくまでもツールとして活用して、広い視野を持って与えられた目標や目的に対して、特に顧客や生産やコストなどを意識して対応して行かねばならないことを意味していると考える。おそらく、このように自分の持つ技術力をツール(道具や武器)として使えない場合には、いわゆる「技術馬鹿」と言われるのだろう。

 大学や大学院では、1つの目的に対して突き詰めれば立派な論文が書ける。しかし、企業や研究所では、特に応用や生産性向上や顧客対応を考える場合には、単に深く考えるだけでは十分ではなく、広い視野を持って考えていかねばならない。これらのことが出来て、初めて、「技術馬鹿の壁」を越えた顧客や企業に求められる技術者になれるのだと思う。

 そのためには、自分の技術を棚卸して、自分と立ち位置を確かめ、与えられた目標とのギャップを知ることが重要である。そして、広く意見や教えを受け入れるために、自分自身の持つ技術や知識のプライドを脱ぐことが必要となる。しかし、多くの場合には、自分自身が蓄積してきた業績や学歴が邪魔をする。

 私は、
「自分の持つ技術は何か?」「与えられた(提案された)ミッションに対して、何の目的で行っているのか?」「求められている真の目標や目的は何か?」「どの程度の期間で行うのか?」「どこがゴールで、また一里塚はどこにあるのか?」などをいつも考えながら、研究開発や技術開発をすべきであると強く思っている。

 世間で認められるも技術者は一人前であるが決して自分ではそれを意識してはいけない。

 *本文は、著者が現役時代(2016年頃)に執筆した原稿に加筆修正を行った文章です。

 2022年12月20日


 バカの壁(新潮新書) 2003年4月10日 養老孟司(著)

 
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