「伝説の先輩」


「伝説の先輩」

 その先輩は、私よりも3〜4歳位は年上だったと思う。石川県の理系技術者としてある自然保護センターに勤務されていたが、もう定年になって現在に至っていると思う。こうして書くと、当時の大学の研究室の仲間からは、「直ぐに誰かとわかってしまうだろう!」と言われそうであるが、それほど有名な先輩であった。もちろん、彼は、仙人のような「伝説」ということではなく普通の先輩である。しかし、私は、その卓越した文章の中身(論理展開)を読み取る天性の能力を称えて、ここではあえて「伝説の先輩」と書きたいのである。

 先輩の性格は比較的温和であるがかなりねちっこい。しかし、何だかんだと上手い具合についつい乗せられてしまう話術を持っている。そのために、後輩には絶大なる信頼を得ており、当時の指導教官の助教授(後に私の博士課程においては教授になられた先生)にも大きな信頼を得ていた。指導教官は、最初に、
「論文は必ず彼に査読してもらいなさい」とか、「その論旨が正しいか必ず議論をしてもらいなさい」などと、具体的な指示も出されていた。

 私は、修士論文の提出の前に、長年待ち望んでいた学会誌への投稿の機会を得た。そのために、論文の原稿の修正のために、早速、山奥の自然保護センターに勤務されていた先輩宅を後輩の原付バイクを借りて1時間ほど運転して訪問した。当時は、一人住まいであったために、先輩は官舎の多くの広い部屋を贅沢に使っており、また各部屋には論文や文献が山積みされていたのを覚えている。

 さてさて、査読の段階になって、自分の書いた原稿の読み合わせの前に、
「誰々の書いたこの論文のここの論旨が変だよ」とか、「この論文の論理立てについて君はどう思うか?」とか、あるいは「この論文は派手ではないが文章は極めてよく書けている」などと、他の人の書いた論文の解説と意見交換から始まった。どれもそれなりに名前の通った大学の教官が書いている論文である。しかしながら、ただ何となく読み流すとわからないが、論理立てを考えながら読むと確かにおかしい文章が沢山ある。読み合わせたものは日本語の論文ではあったが、意味が通じない部分が数多くある。結局、論文全体で、著者は何を言いたいのかも理解できなかった論文があったのを覚えている。「なるほど」、こうして読むと、論文の論理立てが良くわかる。私は、2年間に渡って、先輩に論文の書き方や査読のツボなどを教えて頂いた。もちろん、自分自身の論文は原型を残さないほどの状態になったが、その反面として、文章の完成度は明らかに向上したと思う。

 今、この
「伝説の先輩」に教えて頂いた論文の読み方や書き方を大いに参考にして自分自身の論文の原稿を書いている。さらに偉い先生に査読して頂いたら、もっと沢山の修正もあるとは思うが、私の人生の中で、この「伝説の先輩」に出会ったことが「科学者らしさ」を貫くためにも、最も大きな意味を持っていたと思っている。
残念ながら、私は、未だに
「伝説」にはなれないと思う。しかしながら、これからも、60歳の手習いのように、初心に戻って文章を書くことを楽しんで行きたいと思っている。そして、少しでも若手のレベルアップができればと考えている。

 文章は、論理立てが一番大切である。言語に悩むよりも、日本語できちんと理解できる文章を書くように努力して欲しい。

 *本文は、著者が現役時代(2016年頃)に執筆した原稿に加筆修正を行った文章です。

 2022年10月24日

 金沢駅構内での除雪作業(今は立体になっているために、この風景は見られない)
 大雪時には、鉄道関係者が総出で雪かきと列車運行の確保で懸命な作業を行っていた。

1983年12月(昭和58年)の豪雪
1983年(昭和58年)の金沢駅
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