「ぶれいなボーイ」


「ぶれいなボーイ」

 確か、著者が高校生から大学生の頃(とても昔のことで申し訳ないが)、「ぶれいボーイ」というコミックが漫画アクションの中に掲載されていた。インターネットなどで調べてみると、この漫画は、小池一夫さんの原作ということなので、「青春チンポジウム」「弐十手物語」「子連れ狼」、あるいは「課長島耕作」など、その他、漫画やアニメの原作以外にも多くの書籍やドラマの原作や脚本などもあり、その精力的な活動と多才な物語の内容には驚かされる。

 私にとっては、これらの漫画は、学生時代から企業に入社して社会人になった時期の非常に思い出深いものである。作画の雰囲気もさることながら、原作の筋の通った物語には、やはり、
小池一夫さんの考え方が表れている。小池一夫さんのブログに投稿されている「着地点を考えて飛ぶのではなく、富んでから着地点を考える」という言葉があるが、何か、今の私の考えにも共通する部分を感じる。

 さて、
「ぶれいボーイ」の物語は、ある高校(筑紫大学付属高校)に日本史の教師として赴任した阿久津無事という男性教師が、女番長とのバトルを経て、「躾」をして行く過程を漫画の中で描いている。女番長が、車内で喫煙している姿を見つけて、いきなり、「せっかーン!!」と叫んで、学生のスカートを捲り、お尻を出して、平手で叩く。いわゆる、ちょっと昔に、母親が子供を「しつける」姿である。

 今では、こうした光景は全く見ないしまた見ることができないが、もしそのような場面を見つけることができたら、多くの人は決して
「教育」「躾」とは思わず「虐待」と思うのだろう。まして、教師とはいえ、女性のお尻を素手で叩くのであるから、「セクハラ」とか「痴漢」と言われても止む無しかも知れない。「ぶれいボーイ」では、決して小さな子供を描いてはいないので、多分、当時の考え方でもちょっとやり過ぎということであったのであろうか。ただ、ものの考え方ひとつに対しても、こんなに時代が変わって来たのかと今更ながら思わざるを得ない。

 阿久津無事の行動は兎も角として、車内での喫煙自体は、今よりももっと多くの愛煙家がいて、路上喫煙の規制も無く、受動喫煙も今よりも高いリスクの時代でも、
「禁止」であることは当たり前であったし、それよりも以前に、未成年者の学生が喫煙することがあってはならないことである。物語の内容は、教師の行動はさておき、至極当たり前のことである。今でも、日常の生活で、こうした無礼や失礼な行動や姿を見ると、「せっか―ン!!」では無いにしても、「毅然と」間違っていることは言うべきだと思うが、多くの場面ではなぜか正しい側が委縮してしまうケースが多く合点がいかないものである。

 こんな風に昔の漫画を思い出してみると、自分の身の回りではどうなのだろうかとちょっと考えさせられる。やはり、
「ぶれいボーイ」ではなく、「ぶれいなボーイ」が多いように感じる。単なるの「のり」なのであろうか、あるいは親の考え方なのであろうか、年上や目上の人に対しても「了解で〜すぅ」といった軽い返事。また、何かものを尋ねるときにも、こちらがテンパっていようが、いきなり、「あの〜、この件ですが〜」と切り込んでくる。普通ならば、業務示指や業務命令に対しては、「承りました」とか「承知しました」などと返答するのが普通であると思うのだが、残念ながらそのようなボーイは非常に少ない。また、年上や目上の者に何かを頼むときにも、本来は「ちょっと済みませんが今ご相談してもよろしいでしょうか」と伺いをたててから本題に入るべきであろう。あの「笑点」の座布団運びの山田隆夫君も、「かしこまりました」とちゃんと返事しています。

 今で言う、団塊の世代のいわゆる厳しい方々からある意味で魂の入った指導を受けた私にとっては、企業における最近のこうした配慮のない若手〜中堅社員に対してはある意味で「がっかり」である。最近では、どの企業も、利益必達の中で、効率化や短納期で社員の育成を考えることによって技術教育以前の礎となる社会人としての人材育成が十分でないのだろうか?アジア諸国に対して、技術的にも経済的にもリードしてきた日本企業のけじめはどこに行ったのだろうかと考えさせられてしまう。そう言えば、タクシー車内での乗車の位置や、会議や宴会の席での上座や下座などに対しても企業研修で叩きこまれた経験があるが、果たして今の人材育成の中の教育では、そこまでされているのだろうか?ちょっと考えたくないところである。

 このようなことは、多くの企業でも、知人などを介して日常的にあるように聞いているが、多分程度の差はあれ、大学や大学院における学生指導でも同じことであろう。

 *本文は、著者が現役時代に執筆した原稿に基づいた文章です。

 2022年7月28日

戻る