「プレゼンテーション」 | ||
「プレゼンテーション」 平成13年の6月に、北欧のフィンランドで開催された国際学会(GLASS PROCESSING DAY’S 2001)に出席し、「ガラス欠点の除去とその対策方法」について15分間ではあったが発表する機会を得た。この学会の発表は、講演者の発表後に聴講している各人が座長の指示に従って、スクリーンに投影されるそれぞれの項目について、レベルの投票(評価)を行うことを特徴としていた。それらの項目は次のようであった(あるいはもっとあったかも知れないが特に印象深かったものを列記する)。 ・ 発表のOHPやプロジェクターの見栄え・出来映え ・ 発表した内容に関しての技術的な先進性や充実さのレベル ・ 発表者の発表そのものに対するスキル ・ 発表者が聴講者に与えた内容の理解度(正しい言語で伝えられたかも含む) 最近は、パソコンでのPowerPointなどのプレゼンテーションソフトの充実により、非常に見やすくまたきれいな原稿が作成でき、見栄えや出来映えは一見して高いレベルになったが、ここでいう内容は発表の論点を適切に、また強い主張を持って伝えられたか、という点を含んでいることに注目して欲しい。 私は、発表とは、今までしてきた研究や成果を如何にして他人に理解してもらえるかということに尽きると考えている。そのためには、内容を的確に伝え、理解してもらうことが必要と考える。また、国際学会の場合には、発表そのものの語学スキルも重要であるが、発表後の質疑応答に関してもそのレベルをチェックされる。 上記の結果は、さすがに当日公表されず、本人宛に航空郵便で全体の結果(分布)のデータと共に送付されてきたが、この結果を発表者本人が自ら自覚して、次回からのレベル向上を期待するというものである。 このようなシステムでは、参加費を支払ってさらに自らの旅費で参加したという立場の人は好きに発表させて欲しいと思うかも知れない。またある意味では非常に厳しいかも知れないが、「発表時間の大幅な逸脱」や「起承転結のない」発表に対して、発表者自らが反省するいい機会であると感じた。 最近、少なくとも当社では、このような国際学会だけでなく、国内の学会や部門内の発表会でもそうであるが、発表そのものに対して自らが楽しんで臨める人が何人いるかということを考えさせられる。発表(プレゼンテーション)は、口頭発表がまさにそうであるが、報告書や論文提出などでも同様であり、少なくともこうしたアクションの中で、論理の正しさや、日本語の使い方や生きた語学の勉強、科学論文の書き方、あるいは人前での発表の仕方やノウハウを学んでいると考えている。すなわち、プレゼンテーションが楽しくなければ、また苦痛であれば講演者は成長しないし、それならば止めた方がいいかも知れない。 しかしながら、研究者は何れにしろ、どこかの段階で人前での発表をしなくてはならないので、このハードルを如何に自分にとってプラスにして乗り越えるかがその後のレベルの向上に大きく影響していることは疑う余地もない。特に、上記のような評価システムが国際学会などを中心に広がることは十分にあり得ることであるし、そのような中で切磋琢磨が求められるであろう。 プレゼンテーションは我々科学に携わる者の1つのチェックポイントであると共に、スキルや考え方の向上のステップであることを認識して、厳しさの中でも楽しくチャレンジして欲しいと思っている。 *本文は、著者が現役時代に執筆した原稿に基づいた文章です。 2022年5月22日
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