「ライバルと親しむ」 | ||
「ライバルと親しむ」 多分、30数年以上前に、大学院の指導教官であった先生が言われた言葉だったと思う。その先生は、学生を一人前の研究者に育てるのがとても上手で、きちんとした「論理展開」を持てる研究者の育成のために、論文の原稿の査読も厳しかった。私も、その門下の一員となったが、今の私はそうした厳しい教育の中で鍛えられたのだと思っている(ただし、指導教官にとって満足できる作品となったのかはわからないが…)。 そのような指導の中で、日頃から、何度も強く言われたことがある。先生は、「自分達の研究や仕事に対しては、世界には3名以上の研究者が同時に同じような理論展開で、また考えを持って、ほとんど同じ技術分野で研究活動をして、今まさにその論文を執筆している。だから、彼らよりも優れた内容で彼らよりも先に論文を国際誌に投稿しないと世界では認められない!」と、口癖のように言われた。その時は、正直言って、私にはピンとこなかった(多分、対岸の火事程度に思っていたのであろう)。 それから、10年以上が経過して、国内のガラス会社の研究員となり、窓ガラスや車両搭載用のガラスの異物や欠点の対策のための研究を行っているときに、地球の反対側(ドイツ)で、全く同じ内容で研究をしているライバル企業の研究者の存在に気付いた。そして、彼も、ほぼ同時期に私に気付いたようで、1999年のフィンランドのタンペレで開催されたガラス技術の講演会で初めてお互いに簡単な挨拶をしてから、2001年の同じ開催場所での同じ講演会で、お互いに「ガチ」の議論を行った。科学者や技術者には、よくあることであるが、全体的な考え方は認め合っていても、個々のやり方や考え方が納得できず、こちらも根性を入れて反論しまた必死に議論した。その時に、大学院で指導教官に言われた「世界の中の3人!」を思い出し、そして、企業に入社してから教わった「特許は世界相手の競争だ!」という言葉を実感した。 そして、将来ライバルとなる彼からは、「君は英語が下手だけれども、君と議論していると非常に楽しい。」とのコメントを頂いた。今思うと、こうした彼の意見は、驚きも含めて、私に対する最高の表現であったのであろう。それ以来、フィンランドのタンペレでの三度の白熱した議論、フランスのパリとドイツのベルリンでのISOに関するお互いに引かない議論、そしてフランスのある大企業の現場での泥臭い議論など、お互いに、とことん熱く主張や反論や賞賛を繰り返した。 2018年(そうです今年です)、9月下旬に横浜でガラス技術に関する国際学会が開催される。私は、早速、ドイツの彼に対して電子メールで参加の意向を尋ねた。もちろん、「こんな話をするよ」と仕掛けてみた。彼からは、「これから上司に横浜出張を許可してもらう」との返信があった。 私は、現在は63歳になり世間で言われるところの再雇用の立場である。ドイツの彼も同じ63歳である。年齢(日本で言うところの学年かな)が同じでだけでも何か気が合うものだ。多分、9月の口頭発表が私にとっては、国際学会での英語の講演の多分最後になるだろう。だから、とことん楽しんで議論をしてきたい。私の「下手な英語」で、彼のドイツ訛りの英語と「腹を割って」議論が出来ることを心から待ち望んでいる *本文は、著者が現役時代に執筆した原稿に基づいた文章です。 2022年3月1日
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