「学会」 | |||
〇〇学会とか□□研究会とか言われる集まりは、生産技術系や文科系を問わず沢山ある。例えば、学術系の学会だけでなく、企業などの行っているセミナーなども含めれば、ほとんど毎日全国のどこかで何かしらの学会や研究会が行われていることであろう。 私も、40年位前には、学生の立場で初めて技術系の学会に参加したが、それ以降は企業の研究員であったこともあり、「産官学」の広い範囲での技術系の学会やセミナーに参加する機会を得た。そのような中で、ちょっと感じたことをこれから書きたいと思う。 学会では、招待講演や依頼講演などはともかくとして、一般の講演は学会の会員が自由に発表できる場であると認識している。多分、どこの学会においても、発表するなどの有無に関わらず、参加費も同じであると思われるが、最近、私が関係する技術系の学会では、残念ながら聴く(ある場合には聞く?)方が多いような印象を持っている。この傾向は、特に、企業側の研究員からの学会発表で感じるものである。 つまり、学会においては、講演を聴講する企業の会員が多いのではないだろうか。全体の日程や会場の都合も考慮すると(例えば、地方でなく首都圏などで開催される場合など)、もう少し企業側の発表者が多くても良いとは思うのだが、これは自社に限って見られる傾向なのだろうか? よく、企業の中では、学会の幹事会社としての立場や、部門内での拡販計画や、あるいは事業の戦略的な意味から、企業のアクティブティ(活動)の向上のために、若手などを中心として講演や発表の動員が行われることがある。各部署において、「君が発表しろよ」とか、あるいは「発表してくれないか」など、上司からの業務指示があり、多分、最初は自信もなく「いやいや」での参加の場合もあるかとは思う。しかし、自分の発表に対する質問やそれに対する意外な反響を自身で感じると、次から一段階ステップアップして臨むことができるので、少しずつやる気にも繋がってくるのかも知れない。 つまり、結果的には、一つのハードルをクリヤーして、本人のレベルアップなったと私は思っている。多分、本人の食わず嫌いもあるかとは思うが、学会や講演会に出ていくと、自分が「井の中の蛙」であったことが初めてわかる。でも、こうして無理やりでも発表した者はまだ良い。中には、それでも頑なに業務命令とは言いながらも、抵抗して発表しない者も多いことであろう。 なぜが、最近、特に、企業の中にはこうした若手や中堅の研究者が多いように感じるのは私だけであろうか?結局は、「井の中の蛙」として、何年も何10年も組織の中で過ごすことになる。結局は自分では開拓できない技術者になってしまうかも知れない。 きっかけはどうあれ、私はチャンスが来たら沖に出ていき波に乗ることが大切であると思う。学会、講演会、そして説明会などで我々がアピールできる場は沢山ある。仕事や研究や学問そのものが本当に嫌いならば仕方ないが、チャンスは、何時、どのような形で、自分たちに巡ってくるかは誰も分からない。自分自身で育てるものは、教育や指導をされる(受け身の勉強)ことだけではない。自分から修行をしていくことも必要である。 私は、国際学会などでは、永年交流してきた国外の研究者に会って、お互いに今の考えを議論することが楽しみである。よく言語の壁を言われるが、基本的には技術には言語の壁は無いに等しいと思っている。「類は友を呼ぶ」ではないが、自分自身に刺激を与えて、改善や向上していくためも良い刺激となる。 なんとも「学会」は楽しいものである。 2021年9月17日
|
|||
戻る |