<2 0 0 5 年>
<巻頭言&表紙>
・12月(No321)
11月(No320)
10月(No319)
9月(No318)
8月(No317)
7月(No316)
6月(No317)
5月(No316)
4月(No315)
3月(No314)
2月(No313)
1月(No312)
<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No321)  <巻頭言> (晩秋雑感)

 我々登山者は、高山の登山道脇に小さく可憐に咲く高山植物をいとおしく思い、心癒されるものであるが、花にしてみれば高山になればなるほど過酷な気象条件、低栄養分の砂礫の下でその種属維持のために必死に小さな花びらを広げ、単に風媒花、虫媒花のための風や、虫を待っているに過ぎないという非情な生存競争の現実を心の片隅に置いておくべきかも知れない。
 ダーウィンの進化論及び最近の集団遺伝学の知見では、約46億年前に生した原始地球において全くの偶然に発生した生命体は、その後、多岐に亘る環境への適合性向上のために、その生存をかけて、突然変異と自然淘汰を繰り返して生物学的進化をとげてきたのであるが、その進化の途上では、そのを維持する効率の最大化のため、突然変異を含めた“環境への適者(強者)多産”及び“群れ(襲われた場合の生存の確率向上)”と“縄張り(生存のための利益独占)”の使い分けという共通的行動方式が、神により、遺伝子DNA上に付与されたとのことである。
 “適者多慮”とは、同じ種属であってもより強いもの(環境への適合性の高い者)が、その血を維持するために子孫を沢山つくるということであり、結果的に、その種としてより適合性の高い者のみが残されていくということだそうである。この具体例としては、群れを乗っ取った雄ライオンによる他の雄ライオンの子殺し、ハヌマンラングールというインドに消息するサルの子殺し等が知られている。
 話が込み入ったが、要は、生物が生き残る上での原動力(本能)として遺伝子に仕組まれた仕掛けは、その本質が”冷徹な合理主義”であり、“利己主義”なのである。英知と博愛を気取る人間たりとも生物の端くれ、その遺伝情報に潜む本質は変わらない。
 ところで、今年は戦後60年の人で言えば還暦という節目の年であり、この60年の永きに亘って、曲りなりにも日本人が銃火を交わす戦争がなかったのは歴史上稀有とのことである。むしろ奇跡に近いものであったかも知れない。しかし、時ここに至るや、日朝間題、靖国閉居、憲法改正、鳥インフルエンザの脅威、大地震の懸念等、日本人の生存をかけた本能遺伝子をいたく刺激する事象が山積し、かまびすしくなってきた。
 我々の生存の本能にかかる遺伝子のスイッチが軽々に怒涛のごとく押されることのないよう常に自戒し、また、奇跡の60年が奇跡ではなく平常の状態であり続けてくれることを期待したいものである。  以上

  記:西尾 保

 2005年10月30日
登山祭典兼野点山行
野点風景・全員集合
 
 (11月ぶな:No320)  <巻頭言>

 最初の山が、六甲山。中学2年だったと思う。

 高校の山岳部へ入部して本格的に山に入る。最初の山が総合体育大会で、チェックポイントを求めて、ザックに石をつめて、雨の中、北山の山中を走った。最後はフラフラになって、喉がかわいたのでよごれた水たまりの水を飲もうとして先生におこられたのを覚えている。1年の3月の春休みに比良の縦走した時、大雪にあって、夜、テントの除雪をしたこともあった。2年の時、初めて北アルプスに登った。新穂高の川の水が透き通っやいて、何ときれいだなあと思った。
 大学は、ワンゲル部に入った。毎週土曜日の夜に六甲山で泊って、翌日、ボッカだった。初めて、スキーもした。正月の乗鞍岳の位ヶ原で迎えた御来光な、特に忘れられない。1年は南アルブス、聖岳から北岳の推走。2年は北海道、トムラウシから石狩岳の縦走。合宿の後、ニペソツ、芦別、大雪旭岳、利尻岳、そして後方羊蹄山へ登った。利尻での食堂で食べたウニ井の味も忘れられない。3年は室堂から剱、黒部渓谷へ下りて祖母谷から白馬岳へ登り、日本海へ集走した。アブに追いかけられながら、服を着たまま日本海に飛び込んだ。4年の夏は、一人で針ノ木から黒部へ下り、そして、東沢谷をつめて、笠ケ岳へ縦走した。
 社会人になって、仙台に出張した。その時、職場の山好きの先輩とこ東北の山を登った。北海道の山も滑った。
 そして、今の、妻とスキーで知り合った。3回ほど一緒に山に登ったが、それ以来登らなくなってしまった。子供が中学生になったので、そろそろ山に登っていいかなあと思って、比良雪稜会に入会しました。はや、4年目です。山スキーネットで、奥美濃や毛勝などの山域も広がりました。そして、今年から沢重りも再掲しました。テントを持って酉牡から奥社の♯走もしました。体重も68kgから60kgになりました。
 この会の、また滋賀労山の元気な諸先輩と一緒に、山登りできることに感謝しています。元気な体を親からもらったことに感謝しています。家庭、仕事、山の両立は大変ですが、好きなことをさせてもらっている妻にも感謝しています。

  記:田中 政行
 
風に吹かれる
コスモス
和邇にて
馬場写す
 (10月ぶな:No319)  <巻頭言> (夏の思いで)

早月尾根~剱岳.単独 
 8月4日:朝4時出一馬場島9時一早月小屋3時lO分
 8月5日:早月小足4:30一剱山頂7:20一馬場島14:00
 今年の夏も昨年以上の暑い日がつずいた。やはり地球的に異常気象なのだろう、そんな寝苦しい暑い夜がつずいた8月初旬、涼しい山の上で過ごしたく成り車を走らせた、(私の愛車スズキキャリー軽トラック)早月尾根は初めてで厳しい所だと思っていたが、花の種類の多さにビックリ感激した。このコースは往復するより縦走したはうがいいだろう。そして日本海へ沈む夕日を見ながらのビールここは最高のビヤガーデンだ!
双六谷~九朗衛門谷~黒部五取、沢のぼり 
 8月9日~8月12日:シヤクナゲ遡行クラプの太田さん山本さんに同行させてもらった。
 1日目:双六渓谷の打込谷出会いで幕営、ここで竿を出したがイワナはからぶり、肴がはずれたが焚き火の夜は楽しい。
 2日目:双六谷から九郎衛門谷へ上って行くが沢の様子がおかしい、たぶん昨年の大雨の土石流で谷が埋まってしまった様だ、10年や20年では元に戻らないだろう。夕方2300m付近で幕営したとたん雨が降ってきた、三人は食事もとらずそれぞれのツェルトの中で雨に打たれ夜が明けるのをジット待った、自然界での遊びでは忍耐力も大である。
 3日目:雨の中、黒部五郎から双六そして鏡平の小屋へにげこんだ、小屋は天国だ〝
 4日目:無事下山したが、帰ってニュースを見ると私たちの1日遅れで沢に入った学生が1人亡くなっている、沢は水遊びだがその水が一番恐ろしい。北鎌尾根単独 8月28日~31日 湯俣温泉~北鎌尾根~槍ヶ岳~上高地
 8月28日:愛車を下山の新島々に置き、電車で松本~大町へタクシーで高瀬ダムへ今日は湯俣泊まり、竿を出したが又もイワナは肴はずれ(腕がわるいかも)  8月29日:干天の出合いまでルートは不明、なんとか北鎌沢のコルで幕営やれやれだ。
 8月30日:やはりルートファインデングに苦労した、岩はもろく真剣勝負だ。2日間だれ一人も会わなかったが、槍の頂上で人と会った時頂上なのに地上に降りた様な安堵感と征服感で胸がいっぱいに成ったのを思い出す。
 8月31日:槍沢を下山そして美しい上高地へ、帰り道はいつも明神池から右岸をのんぴりと散策するのが大好きだ、今年の夏も終わりだなと思い無事下山した。 もう一人で危険な所へ行くのはやめようと思う。(年を考えねば…)
                                    
  記:尾畑
 
 
絵・小谷
 (9月ぶな:No318)  <巻頭言> 私事で恐縮ですが‥

 25年程以前に必要に迫られて『住宅金融公庫』のローンを組みました。その折りに入った『特約火災保険』がこの程満期を迎える事に成り、そのため保険の引き受け会社から満了の予告状が届いたのでした。
 さあそれからが大変でした。前後して複数の保険会社から新規保険勧誘の案内状が舞い込む事と相成りました。加えて今度は入れ代わり立ち代わっての電話攻勢まで! 00損害保険、00火災海上保険、やれ00△△自動火災だとか云々、もういいかげんにほっといてくれ~、いちいち対応するのが実に煩わしい。   考えて見れば、保険のリスク軽減の為に複数の会社(今回は20数社)が共同で引き受ける仕組みに成っている以上、各個人の契約内容は丸裸と成っている。仕方が無いといえば致し方の無い事か?
 折しも今年の4月から『個人情報保護法』が施行されてはいるのですが‥‥ いやはや、一事が万事ややこしい世の中に成ったものです。

 -S.Yama d a-
 
伊吹のお花畑
 (8月ぶな:No317)  <巻頭言> 「串田孫一さんを偲んで」

 7月10日付けの新聞だったと思う。串田孫一氏が89歳の生涯を閉じられたことを報じていためは。
 串田氏は、300冊以上の著作を書き残されたそうだ。私が手元に持ってもる本はその何分の一かにすぎないけれど、彼の著作を持っているというだけでとでも豊かな気持ちにさせてくれる。表題に惹かれ思わず取り上げてしまった「山と別れる峠」「分教場のバッハ」「山のパンセ」。そのどれもが、なんと詩的な穏やかな豊かな文章であることか。その表現力のすばらしさに少しでもあやかりたいと何度も読んだものである。そして今でも本柵のー番目につくところに並べてある。尾崎喜八の「魂、そのめぐり会いの幸福」、上田哲農の「きのうの山きょうの山」などと共に。
 山と別れる峠もいくつかの紀行、随筆の集合でその中の一作を全体の表題にしたものである。「山に眠る人に」 「山の本の並ぶ棚」「雑誌を終わらせること『アルプ』の場合」「北の風景ヘ向かう心」そのどれもが、串田氏そのままを表しているのだろう。

  記:A・K
 

小浜市熊の畑にて
屋敷が
二軒あった場所に
土蔵だけふたつ
残っていた
地方はこうして
落ち込みつずける
のでしょうか
高村
 (7月ぶな:No316)  <巻頭言> 

 「ああ おいしい,おいしい」と一人で何度も言いながら,今日出来たばかりの野草茶をグイグイと飲んでいます。半年ぶりの野草茶はいくらでも飲めて身体の中にスーツと入っていく感じです。結局,今日は私一人でヤカン3杯の野草茶を飲んでしまいました。  普段.私はあまりお茶を飲みません。飲まなくても案外平気な方で,先日も野草茶の材料のクマザサを取りに皆子山に登ったのですがペットボトル半分のお茶を飲んだだけだったんです。
 でも,この自作の野草茶は特別で,とにかく身体が「もっともっと」と要求するんです。その私の作る野草茶はとても簡単に作れます。山や庭からとっ
た身体に良さそうなドクダミ.ヨモギ.クマザサ.柿の葉.イチョウの葉.ビワの葉.オオバコ.マタタビ等を自然乾乾燥させてハサミで手頃に切って混ぜるだけです。(柿の葉だけは湯通しします)春の山菜の時期が終わって秋のきのこのシーズンまでのこの時期はこの野草茶作りを楽しんでいます。
 それぞれ,乾燥させてしまっている袋の中からその日の気分によって「今日はドグダミの多いお茶」「今日はクマザサの多いお茶」なんて少しだけ中味を変えながら,フーフーと熱いお茶を飲んだり,冷たく冷やしたお茶を飲んだりして暑い真の日を楽しんでいます。皆さんもいかがですか!

  記:藤井幸恵

 

北海道、大雪山系
旭岳
姿見の池より望む
 (6月ぶな:No315)  <巻頭言>

 人の一生は神のみぞ知る。神から使命を与えられ使命を達成すれば召される。人は生まれながらにして寿命が与えられているとの説がある。
 先日の兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、107名と多くの人命が奪われた。死者の中には出張で、何時もの電車に乗り遅れて等、たまたま、その電車に乗り合わせて事故に遭遇した人、逆に遅出、乗り遅れて等で事故から免れた人もおられた。
 「ひたむきに生きている子を何で不幸に神を怨む」と娘を亡くした父親の言葉が印象的だった。こんな事実を目の当たりにすると人には生まれながらにして、寿命が与えられているのだろうか。
 個々人が己の使命と寿命を知ることができたら、どうだろう。人々の人生設計が大きく変わるだろう。己の使命と寿命が判ると言うことは、例えば、50歳の寿命を与えられた人は、50歳で使命を全うし、何らかの原因で死亡する。「それまでは大病や、大惨事に遭遇等生死をさ迷っても死ぬ事はない。」と決められた使命と寿命を全うするために、筋書き通りごの人生を歩むことになるだろう。回り道をせず無駄な努力も必要なく、効率の良い人生を送ることが出来るだろうが、それは刺激のない味気ない人生だろうと想像する。
 人は己の寿命が判らないから希望や野望をもって生きているのだと思う。悲惨な事故が多発する今日この頃を憂い、ふと、取り留めのない妄想に耽ってみたが、人の一生、高々数十年、壁にぶつかり、頭をぶっけ屈辱を味わい、様々な事に一喜一憂し無駄や回り道をしながら寿命を全とうする現実の方が面白い。
 取り留めのない妄想はやめて、今が旬の清々しい新緑を愛でながら森林浴を満喫して山歩をするのが最高、スカッと爽やかリフレッシュ・・・。
                       
  記:林 謙二
 
四国の霊峰
石鎚山系
天狗岳
 (5月ぶな:No314)  <巻頭言>

 新緑の侯、ベストシーズンです。野の花や木々、小鳥たち、命がいちばん感じられる季節です。大自然の中に身を置くことで、忙しい日常生活の中で忘れてしまっている感覚、自然の中で生かされている小さな自分を感じることができます。  雪稜会に入会させていただいて、1年余り。ずいぶんといろんな山に連れて行っていただきました。そして行くほどにまた別の新しい山に行きたくなります。(病気かな、、、)山の空気だけでなくその土地の空気も共に味わい深いですね。
 前世紀のベストセラー「脳内革命」によると、現代人が盛んに使っているのは左脳で、左脳中心の生き方は社会的成功に導いてくれるが、身体を早く老化させ、ガンや成人病への道をつけてしまい、右脳を使うと脳内モルヒネがどんどん出て身体を活性化させてくれるとか。五感をフルに働かせ、運動する事で右脳効果もアップするそうですよ。また楽しい仲間との山歩きは一笑一若の効果もありそうです。
 先立っては、自民党の憲法改正草案など提出されたり、また連日のように中国の反日デモの様子が報道されたりしていますが、あたりまえでない平和のもと、いつまでも山歩きの楽しさが享受できることを願って、、、、。
                          
  記:松田 昭子
 
スマートな山容の
由布岳です
やまもと
 (4月ぶな:No313)  <巻頭言>

 今年はなかなか暖かくならなんだな。いつもやったら2月未頃から鳴き始める裏山のうぐいすも、ようやく鳴き声の練習をし始めたとこや。
去年は[災]がその年の言葉になったそうやな。中越で地震があるわ、台風が何度も上陸するわ、いろいろあったな。変な天気は温暖化の影響と言われてるな。省エネとか何とか色々言われてるけど、ほんまにやる気あるのかなとおもてる。自動車はパンパン走るは、ごみはドンドン出すは、パチンコ屋のネオンはコウコウとついているは、いろいろ思い当たることあるわな。
 変なことはこれだけやないで。今国会で改革やゆうて郵政法案がゴチャゴチャしてるの知ってるやろ。ニュースで見たけど小泉首相が、改革とは公務員の人員を削減することのように言ってたけど、郵政事業を民営化すれば一挙に人員削減出来るからと思ってはるみたい。ちょっと違うのと言いたいね。確かに郵政事業を民営化はいいことかもしれんけど。大阪市の公費無駄使いが新聞にようでてるわな。ほんま無茶苦茶やな。無駄と言えばなにも大阪市だけやないで。上(中央官庁)から下(地方)まで無駄というか、民間のものでは考えられん事がいっぱいあるで。天下りって知ってるやろ。たくさん給料もらってたやつ程天下りして、また高い月給もらうんやもんな。
 みんな高い料金払って高速道路走ってるやろ。アメリカなんかすごく安いらしいし、スイスなんか料金払うゲートあらへんで。年間8000程払えば走り放題みたい。公社の総裁とかいうて天下りしたやつの高い退積金払う為にはろてるんやで。こんなのなくすのが改革とちゃうんか。なんせ甘い汁吸うてるやつらが改革ゆうても進む訳ないわな。周りからわいわい言うて直すしかなで。
 ニートという言葉知ってるか。若い人が職ももたずにぷらぶらしてることや。制度として崩壊した国民年金の支払い渋る為に65歳定年を制度化してるのか、するのか知らんけど。若い人に職譲る為にある程度でやめて、山でも登ってたらどやね。ほんま若い人がぶらぶらしてるのは大きな社会間題やで。パラサイトとかいうて親のすねかじってるらいしいけど、将来どうするんやね、親が死んだら。
 最後やけど、この巻頭言もちょっと考えたらいいと思うわ。編集の班長さんが誰かに頼んで書いてもらうそやけど、頼む人知らんものはどうするんや。提案やけど順番制にしたらどやろ。もし出てこなかったら無しでもいいんとちがうやろか。どうせ楽しく山登りしようという会やないか。なにも堅苦しく考えることあらへんで。次の理事会でいっぺん話しあってや。
 なんか山の話しとは違うことばかしやったね。ごめん。誤字脱字乱文多謝。支離滅裂一巻の終わり。山に行きたいんだけど最近余り例会に参加してない。      
  記:藤野 健太郎
    そろそろシーズンです
竹は毎年新しいめを
だします
私はあまり
このみませんが
我が家の藪にも
出て来ます
大地に根を張り

すばらしく
風にも地震にも強い
みならいたいものです

 (3月ぶな:No312)  <巻頭言>

 *手書き
 
 
ヒマラヤ:ゴーキョピーク
よりギャチュンカン
浅原
 
 (2月ぶな:No311)  <巻頭言> 「改  革」

 小泉総理の最大の政治課題である、郵政民営化の法案が国会に提出されようとしています。いよいよ郵政改革の天王山に差しかかってまいりました。
 それに向けて1月26日、東京で日本郵政公社の2つの労組が主催する「郵政民営化反対全国キャラバン中央集会に全国特定郵便局長会の会長、自民党の郵政族、および民主党の一部議員が出席し、共闘して民営化反対の決意表明をするとの新聞記事が出ていました。
 郵政公社の2つの労組、旧全逓、全郵政は郵政省時代は互いに相手を攻撃して犬猿の仲でした、また旧全逓は特定郵便局制度に激しい反対運動を展開しておりました。それが労使共に手に手をとって反対運動やろうとしています。
 引退した老獪な政治家が「利害が一致すれば悪魔とも握手する」といっていましたが、まさにそのとおりです。
 私の住んでいる町の郵便局は特定郵便局で親が早く亡くなったため世襲で30歳前後の息子が局長におさまっております。私がこの局を利用する時いっも思うのは、この「モーターリゼーション」の時代に駐車場がないことです。郵便局の前の道路の両側にいつも利用者の車が駐車していて、通行車両の妨げになっており、また乗降するときは大変危険です。ところが一向に改善する気配は見られません、局長一家は地元ではアパートを2ケ所、大きな駐車場をもつ資産家です。  あるときこめ局長の田んぼを埋め立てて建築工事が行われいましたのでいよいよ駐車場ある局舎ができるのかな、と思っていたところ出来たのはアパートでした。利用者ことなぞ考えないで副業に精がでるのも、郵政事業が独占事業であるが為のなせるワザです。
 日本は世界第2位の経済大国であるといわれていますが、グローバル経済は日々変化しております、いっも改革行っていないと老大国になってしまいます。    最近、中国や韓国、台湾も力をつけています、いつ日本を追い越すかわかわません。隆盛を極めたローマ帝国でも改革を怠れば歴史から消え去りました。    小泉総理の支持率は最近下がっておりますが、ここで奮起して郵政民営化を成し遂げれば必ず支持率は大きくアップします。
 わたくしも一国民として応援します
 
 平成17年1月13日  記:T・I
 

<ヤマセミ>
シマダ

 (1月ぶな:No310)  <巻頭言>
     素晴らしき比良山系をもっと訪れよう!

 あらためて比良の地図を眺めると、歩けていないルートが幾つか残っている。 それにしてもなんと登山ルートの多いことか!それ以外に昔は登山道があったが、今は記されてないルートや「登山道」にはなっていないが趣きがあって歩ける尾根ルートなども少なくない。先月 例会山行で久々に坊村~御殿山~(西南稜)~武奈ヶ岳~八雲ヶ原~(奥の深谷源流)~大橋~牛コバ~坊村と歩いた。曇天で展望は得られなかったが、自然の素晴らしさと景観の変化の多様性に改めて感動を覚えた。もっといろいろな比良を知りたいと思った。   都市圏から近く交通の便に恵まれたところで、これほど変化に富み、自然豊かな山が他にあるだろうか。 また季節により、その表情や景観は見事に一変する。あまりに近過ぎてその素晴らしさを充分に理解していなかったのか、あるいは鈍感になっていたのでは…、と反省させられた次第。各地に魅力ある山がいっばいあるが、もっと比良を大事にせねば。
「もっと比良を歩きたい」との念が日に日に強まっている。
 リフト・ロープウェイの廃止は功罪様々あるが、特に北比良は多少の不便さと引き換えに静かでより自然豊かな山歩きが出来ることは確かである。そしてスキー場周辺の人工物撤去及び開発前の自然復元がきちんとなされる事を注意深く見守る必要があり上その意味でも時々は訪れたいと思う。特に1000mの高さにある八雲ヶ原湿原は学術的にも非常に貴重なもので、損なわれるこせなく大切に未来へ引き継がれることを願う。
 また比良(権現山)山麓の栗原に県南部一帯の大量の廃棄物を持ち込んでの大規模廃棄物焼却処理施設建設計画が、県により住民の声を無視して強引に進められようとしているが、合理性に欠け、まったく理不尽な話である。ここでは詳しく述べられないが、問題点がありすぎ、比良山をぴわ潮に囲まれた美しい自然豊かな志賀町にそぐわない。1日も早い白紙撤回を顧う。
 今年は‘忙しくなりそうだ。いろいろな比良を多く歩くことになりそうだ。新しい発見・出会いが楽しみである。会の名前に恥じないようになりたいと思う。

  記:西村 高行
 
槍ヶ岳からの御来光
岡田