フラワースペース・ドゥ
フラワースペース・ドゥ/柳澤宗甫

     
 

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表紙によせて

 ロータリークラブ2640地区/2000~2001年度 「ガバナーズ・マンスリーレター」

 の表紙を1年間に渡り担当させていただきました。

 その表紙と「表紙によせて」という短文をここに再掲いたします。

 

ヴィーナスは水の泡から誕生したともいわれる。風の神ゼフィウスが花の神フローラを抱きかかえ、海から誕生したばかりのヴィーナスを陸へと吹いて・・・。陸では時の女神ホラーが、真っ赤なマントを持ってヴィーナスを待っている。
本年のガバナー月信の表紙はゼフィウスの吹き飛ばした花より始まる。写真集「IKERU ITALY」フィレンツェのウフイッツィ美術館で、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」等に感動、美しい人体に生け花した。
’98年イタリアのPHOTOGRAPHIE誌にも大々的に紹介された。多くの方々のお力を戴いて出版したその写真集より、延べ3年、数回の現地での撮影のエピソードなどを含め、平安文化の嵯峨御流のいけばなとイタリアンルネサンスの融合を・・・。
花には水を・人には愛を・花も人も愛をもって育まれる。


岸和田東ロータリークラブ 柳澤宗甫 

写真集  「IKERU ITALY」  
企画・デザイン/横井紘一(株)エー・ティー・エー社長
写真/畑口和功(ミラノ在住)
いけばな/ 柳澤宗甫 (嵯峨御流)
ガバナー/水田博史

 

     
 

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No.1  湖に竹の筒を2か所に置き、蒲や百合をいけた分

 

ラゴ・サンタマリア・・・ミラノのはずれにあるこの湖は、多くの方の釣り場ともなっている。驚くほど巨大なフナが少年の手で釣られ、近づくとひとなつっこく見せてくれた。
どこまでも澄み渡る真っ青な空。イタリアの空は素晴らしい青。チェアーにのんびりと日光浴する女性の汗も眩しかった。その夜、泳げない私は水の青さが不安でなかなか寝付くことができなかった。
日本から持って行った孟宗竹を見つけた板にのせ、許可を得て水辺の巨大な蒲をなびかせながら生けた。そう、こんな大きな蒲を見たことがなかった。そこにある花々は嵯峨野の竹と楽しげに語りあっていた。

 

     
 

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No.2  芝生の上に水連が生けてある分

 

ミラノを出発した時は晴れていた。コモ湖に近づくにつれ、急に空が暗くなってきた。
バールで雨宿りをして、カプチーノとピザの朝食をした。ふと見上げると1歳にもならない可愛い赤ちゃんの、体中パスタにまみれた楽しげな写真を今も忘れない。
雨の上がることを念じ、コモ湖のほとりの別荘についた。中世の映画に見る、まさしくそれは素晴らしい歴史を秘めていた。
残念ながら、お嬢様を紹介されたが名前は覚えていない。案内された応接間も何百年もの時を経て、時代を見つめてきた名宝らしかった。
飾ってあるシェードに心奪われ「これにお花をいけてもいいですか」と写真家の畑口氏に聞いてもらった。お嬢様はお花が大好きとのことで、につこり笑って「どうぞ」。かくて私たちの膝の上でヴェネチアンのシェードは、大切に車の中で花への夢を膨らませてくれた。

 

     
 

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No.3  湖に百合の花などを抱えたサラさん

 

いよいよヴィーナスが誕生した。今、その瞬間である。美しい花に囲まれて、海から美しい姿をこの世に初めてあらわされた。その瞬間、私の頭の中にボッティチェリのあの・・・羞恥心を全身に漲らせ、うち震えるように、長い髪で身をかくそうとする、大きな貝殻に乗った・・・そう、あの絵が鮮烈に浮かび上がった。まさしくそれは、ウフィツッイ美術館で「ヴィーナスの誕生」を観たその瞬間の感動であった。
Dr.アルベルト・カバッシイタリア総領事に、この写真集をお見せすると「非常に綺麗だ」とおっしゃってくださった。
’95ヴェネチアングラスばかりの生け花展を心斎橋で開催した時、中日に阪神大震災が起こった。シャンデリアの下とも気づかず、ただただ呆然と佇み、イタリアで司所の方と見にいってきた花器がどうなったのか、恐怖心とともにのしかかる責任の重さに・・奇跡と言うべきかひとつも倒れることなく花器はあった。
総領事とはその時のご縁で写真集も楽しみにしてくださっていた。
・・・イタリアが有名なのは何にもまして、ギリシャ・ローマ時代の古美術品についてであり、数多くの美術館のゆえであり、又、各時代の芸術作品を保護、保管し、来訪者の皆様に容易にご覧いただける展示をおこなうからなのです。・・・数々の女性人物像の古典美や人間性や荘厳さから・・・造形美に顕著な静謐さから想を得られ、ルネサンスの精神を花々の持つ優雅さや脆さと調和させ・・・・西洋と東洋の芸術の邂逅を果たしています事は、まことに魅惑に耐えかねるところであります・・・・。とのコメントを頂戴した。
特選評議員/華道芸術学院教授
嵯峨御流貝塚司所長(出版当時)


     
 

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No.4  可愛い子どもの石像に黄色の百合の花分

 

私達は歓喜した。コモ湖のほとりのこの広大なお屋敷の片隅に、こんなかわいいパンピーノ達を見つけたのだ。
小高い小山に、大木に守られるように八人の楽士達はいた。丁寧に木の葉や埃を払い、それぞ
れに可愛いお花をつけた。「この子喜んで笑ってる。見て!」私は大きな声で言った。・・あなた達綺麗なお花をつけてあげるね・・といった言葉が聞こえたのかもしれない。黄色い透かし百合にバラの葉をそっとつけた。子ども好きの畑口氏は楽しそうに彼らを撮ってくれた。思わずリュートの音が聞こえるのでは・・と思った。
次の日、撮影はお休みだった。ミラノのスカラ座へ行った。何度も行くスカラ座。ホールの片隅で作曲してらっしゃる方がいらした。私達が後ろでそっと様子を見ていると、気配を感じて振り返り、笑顔を見せてくださった。
Verdi(Vittorio Emmanuele Rei D、Itaria)もかつてこのようにここで作曲していたのだろう。
私は八人の楽士を思いだしていた。

 

     
 

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No.5  黒のチュールをかぶってバラを持つ女性の分

 

ここはミラノ。イタリアの冴えわたるブルーの空は果てしない。見渡すばかりのとうもろこし畑。たわわに実るとうもろこしは、澄み渡る光を受けて眩しげであった。
中世の文学小説を彷彿させる大農場の風化した建物が、ここで営まれた人々の生き様を想像させてくれた。いつも思う。この間のコモ湖のほとりの別荘もそうであった。本当にごみ一つもなく綺麗にお掃除されているのはある種の感動であった。
・・・ミラノのドゥオーモの裏側にある生地屋さんはここでは一番の老舗であると、畑口氏にお聞きし、真っ黒なチュールを選んだ・・
燃えるような真っ赤なバラにエリカ、そして農場に咲く小花をつんで美しい花が出来た。バレエで鍛えた肢体はあくまでも美しく、向上心あふれる彼女。その表情に幸せを夢見る中世画の女性の表情が重なり合った。彼女は例えようもないほど美しかった。

 

     
 

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No.6  古井戸の上に咲くバラの花の分

 

玄関からもう何分歩いたであろう。コモ湖の近くの別荘。お屋敷につくまでにこの古井戸を見つけた。風雨に荒らされたバラの花がとてもいとおしくなった。許可を得てバラの木を剪定していけばなとすることにした。絡まったバラの棘が痛かった。雨はまだ降っている。

バラ・・・
ギリシャ時代詩人サッフォが、ヴィーナスの宮殿をバラで飾るべきだとうたった。「受胎告知」をモチーフにした絵画は、通常マリアとマドンナ・リリーを手にした天使が描かれているが、ルネサンス時代の絵には、床にバラの花がまかれていたり、瓶に白百合と赤いバラを挿したものが描かれて
いる。結婚式にバラの花束を持つのは、この花がヴィーナスの花で愛と喜びと美と純潔を象徴していると言われる。
ローマ時代皇帝ネロは食堂の黄金の間の天井から、バラの花やバラ水を散らす仕掛けをして膨
大なお金を費やした。以後、「バラの中で寝る」「バラの中で暮らす」というと「贅沢に暮らす」を意味するようになったという・・・
バラの文化史を色々思い浮かべながら、バラの木を整えているうちにいつしか雨がやんでいた。

 

     
 

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No.7  真っ赤なバラの表紙の分

 

薔薇・・・長春花・・・永遠の栄え。
学名Rosa(ロサ)  英名(ローズ)  伊名(ローザ)  雅名「長春花」「勝春花」「月月紅」などと称される。フランスの花言葉にも「衰えぬ美」とあり、西洋でも「花の女王」「花の皇后」と誉め称えられ、「薔薇=美女」という連想に洋の東西はないらしい。
満州の撫順地区から、始新世代のものと思われる薔薇の化石が発見されたとも聞く。
薔薇の中でも四季咲き性を持った月季花(庚申薔薇)は中国でも特に愛され、多くの文人、詩人の作に残る。

牡丹殊絶委春風   花の王・牡丹の盛りは春ばかり
露菊蕭疏怨晩叢   菊は寒露に身をかこつ
何似此花栄露足   栄誉と艶やかさの二つながらを備えたこの花にはとてもかなわぬ

四時長放浅深紅   一年中いつも深浅とりどりの紅い花を咲かせている
(宋、韓?/東庁月季)

表紙はボッティチェリの永遠の心の恋人であるというヴェスプッチを描いた、真っ赤な衣装に薔薇をイメージ。21世紀幕開けの今、ロータリーの永遠の栄を・・・

 

     
 

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No.8  裸木に百合の花の分

 

ミラノにもうすぐ春が来る。クリスマスや新年の頃にはルミナリエが街を飾り、美しい花々が窓辺を彩り、そこに降る雪の風情はなんとも素晴らしいと友もいう。
もう少しの陽光を待つ裸木は、湖面に大きく傾き今にも芽吹きそうなエネルギーが感じられた。
いけばな展で桜を生けた時、吉野の方が見え「花の咲く前の吉野の桜の幹はピンク色に光り輝いて、その艶が一段と増す時いっせいに花が咲くのです」とおっしゃった言葉を思い出した。
百合・・・この地でも大切にされる百合。
北半球のほぼ全域に自生する美しい花。別名(由流)と言われ、姥百合、乙女百合、鬼百合、笹百合、透かし百合、高砂百合、竹島百合、稚児百合、鉄砲百合、姫百合、山百合、車百合、又、スターガザールやル・レーブ、カサブランカなど種類も多岐にわたる。
イタリアは日本と同じような花がお花屋さんの店頭を彩っている。
本格的な春を待つ心・・・オリエンタル系の百合を空に届くよう精一杯高く掲げて生けてみた。

 

     
 

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No.9  二つのシェードに花の分

 

何百年も時を経たこのコモ湖のほとりの別荘の睡蓮は、まるで蓮の葉のように大きな形状をしている。この睡蓮池の周りには、風化した石像が林立している。ルネサンス時代の面影を残した石像は、私達の訪問を喜んでいるように見える。
黒くくすんで端々が丸くなったやさしい石像はこの庭の主達なのだ。
遠くに鹿が群れをなして私達の様子をいぶかし気に眺めている。突然の訪問客に戸惑っている鹿達は、別荘のお嬢さんによると何百匹もいるという。
もう少しで夏が来る。お嬢さんにお借りした手造りのヴェネチアングラスのシェードは、想い花として、イタリアに私の感動を伝えてくれた。

 

     
 

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No.10  壁面の石像にアジサイの分

 

別荘に着いた時、かなり雨が降っていた。大きな白い門を開けて入ると、玉砂利の両側には紫とピンクの紫陽花が何十メートルも続いて、何とも美しく目を見張るばかりであった。

万葉の時代より「味狭藍」「安冶佐為」とも書かれ、中国、欧州と渡り、日本へ洋種となって里帰りした紫陽花。白居易が命名したとも言われ、シーボルトも長崎で新種に「オタクサ」と名付けたという。
風化した壁像、やさしく女性の頭にのせて見る事にした。石は脆く、触ると崩れそうで気をつけた。入口からおそらく十分以上は車で走ったであろう。ひっそりと人も来ないこの場での彼女はにわかに華やいだ。
ルネサンス時代、右のこめかみを下にして寝る事の多い優美な女性は、くぼんだ部分を浮き上がらせる為の工夫として、愛らしい数本の花をその部分につけたらしい。
紅い頬や美しい顔を引き立てる為、カップッチョやフィオラリーゾのような蒼色の花を使用したという。
ボッティチェリの花の女神フローラの華やかさを思いながら、紫陽花は壁面に佇む女性を美しくした。 

 

     
 

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No.11  背中に花を飾った女性の分

 

魅力について・・・
美には二つの種類がある。ひとつは魅力からなる。もうひとつは威厳からなる。魅力が女性に固有なものだとすれば、威厳は男性に固有なものである。
男性にとって威厳と同じくらい、女性にあっては魅力が重要であるということです。男性の威厳とは、他でもなく真の高貴さをたたえ、敬意と感嘆に満ちた様子の事であります。それゆえ女性の魅力というのも、高貴にして清純、有徳にして敬意と感嘆に満ちた様子の事で、その動きにも慎み深い気品に溢れているということになるでしょう。
(アーニョロ・フィレンツォーラ。・・・16世紀イタリアに生きた文人、大修道院長の著書「女性の美しさについて」をルネサンスの女性論2として、岡田温司、多賀健太郎両氏が翻訳、ありな書房出版より)

”美しいサラにルネサンス期の女性を想う”

 

     
 

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No.12  壁に真っ白の花の分

 

大山木、泰山木、洋玉蘭 Magnolia Glandiflora
モクレン科の常緑高木、葉はシャクナゲに似て遥かに大きい。香気が強い。アメリカ中南部原産。明治初期渡日。俳諧では「百蓮木」「泰山木蓮」「常盤木蓮」「紅背木」などとともに夏の季語。

昂然と泰山木の花に立つ    高浜虚子

ここはイタリア、このコモ湖に近い別荘の広大な庭にこの花は咲いていた。思わず車を降りて一枝手折らせてもらった。
日本で見るそれよりも遥かに花も木も巨大で素晴らしい香気が漂っていた。又、何分走ったであろうか館の中でも この建物は色が違っていた。飛行機が入っていたというこの建物は今は物入れになっているらしい。
風化した外壁に打たれた釘様のものに、泰山木をかけて見た、一際白さが眩しく映えてひとときの安らぎとなった。紺碧の鮮やかなイタリアンブルーの空は真夏を告げ、日陰になるこの場所は樹陰を渡る爽やかな風がやさしかった。
・・・懐かしいロータリークラブのガバナー月信の表紙と裏のコメントを再現いたしました。


写真集「IKERU ITALY」の一つの貌として