そばの歴史・そばの文化                 <  サイトへ移動   .
 松屋会記から読みとる江戸時代初期の振舞    その料理と食材  

 奈良・郡山の茶会に見るそば切りと振舞

   資料 : 茶道古典全集 第九巻 編纂代表者 千 宗室 (株)淡交社による

茶湯や茶会の覚え書きが残されたのが「茶会記」で、そのもっとも古いのが「松屋会記」である。

  「天文二年(1533)三月廿日
      一 四聖坊ヘ   (注:東大寺・四聖坊の会へ)          (久政一人)
       床 川チサ・一文字 牧渓筆  板平蜘蛛 ソハ   石花香炉
       タチノ内、盆ツルクヒ 大合子水サシ ウス茶碗 カネノ平キ水コボシ
       茶過テ素麺アリ   」
    これが、奈良転害郷に住む塗師松屋家の記録「松屋会記」の始まりで、茶会がおこなわれるようになった早い時代に、茶を振舞われた後段として素麺が振る舞われたとある。そしてこの茶会記は、この日以降、松屋久政・久好・久重の三代にわたって書きつがれて、慶安3年(1650)まで約120年間もの大記録となっている。なお、この松屋会記に次ぐ二番目は堺の豪商天王寺屋の茶会記で、「天王寺屋会記」である。
     これらは茶道具の披露・鑑賞の記録として貴重であるとともに、茶の湯でおこなわれた振舞の記録であるともいえる。だからそこには、その時代の献立の数々が書き留められていて振舞の様子として見ることができる。そして、おどろくのは食材の種類が豊富なことと料理も多岐にわたっていて日本料理の原点をみる思いすら感じられる。

      そば切りも登場している。早い時代に「ソハキリ(そば切り)」の文字が現れるのは、天正2年(1574)の木曽・定勝寺の「振舞 ソハキリ」が全国の第一番目であり、二番目は「慈性日記」で、慶長19年(1614)の江戸で「ソハキリ」を振る舞われている。そして第三番目が松屋会記の元和8年(1622)12月4日の奈良・郡山の記録であって、そば切り初期の歴史という観点からもこの茶会記は重要な史料であるといえる。さらに茶会記は、その席に出された献立や料理の内容まで詳細に書かれていて、この時代の振舞の様子までも知ることができるのが、前者二例と異なる特徴でもある。
1.そば切りが出された奈良・郡山での元和八年十二月四日の茶会に見る献立
                          松屋会記・久好茶会記より
     元和八年(1622)十二月四日 朝 
       一 郡山御城松平下総守様へ
              中坊左近殿 中沼左京 別所宮内卿 辻七右衛門 久好五人
                   (奈良奉行) (興福寺一条院坊官)( 同 )( ? )(松屋久好)

                ・・・・・
                ・・・・・・
                ・・・・  御自身御給仕  (藩主自らが御給仕してくれた)

      カイヤキ 汁:タイ・ナメスゝキ・余ハ鳥入 
         (貝の焼き物 汁は鯛・ねずみ茸・自分のは鳥を入れた)
      コノワタ  飯  鉢カウノ物色々 (海鼠腸  飯 鉢に香の物を盛り付け)
      引テ、サケヤキ物・ヤキ鳥          (鮭焼物・焼き鳥)
      カマホコ・セリヤキ              (蒲鉾・芹焼)
      料理ナマス・シオ引             (鮭?なます・鮭?塩引き)
      御酒過テ、タイラキ 肴キンカン・アリノミ(お酒の後平貝 肴 金柑・梨)
      御クワシミノ柿・クリ・サトイモ    (菓子は 美濃柿・栗・里芋 )

    十二月四日 四時 
      一 郡山山田半右衛門殿へ  
                中坊左近殿 中沼左京 別所宮内卿 辻七右衛門 久好五人
         ・・・・・
         ・・・・・
         クワシクリ・スハン・サヽイ     (菓子 栗・豆飯・不明)
         コイノスイ物ニテ酒アリ、肴色々   (鯉の吸物 酒 肴種々)

    同昼
       郡山奥平金弥殿へ、 不時、      右之衆五人
       一 山長文字 軸ワキ青地ノキヌタ、梅・ホケ入、 尻フクラ
       ソメ付茶ワン 古キセト水サシ メンツ 引切

       ヒノウトン 又ソハキリ  肴色々  菓子モチ・クリ・コハウ  
         (日野うどん そば切り 肴種々  菓子 餅・栗・牛蒡)
             (*「ヒノウトン」は京都油小路にあった日野屋製湯煮饂飩のこと)
                          

2.松屋会記の初期30年間だけに見た茶会の食材とその料理
     松屋会記は天文2年から慶安3年に至る膨大な記録であるが、ここではその初期の極めてわずかな期間(天文からの30年間)だけをみただけであるが多くの食材と料理の数々が登場している。
    食材の主たる物は魚介類、鳥類、加工品、野菜類、それに果物を含む菓子類に分類されるが、そこからは予想以上に広い流通の範囲と食品の保存水準が窺い知ることができる。
    調理法についても焼き物、煮物、茹で物、汁・吸物(羮)、なます、すし(馴れずし)、乾物、練り物、発酵食品、麺類など実に多い。
魚介類
タイ(鯛)、サケ(鮭)、ハム(鱧)、コチ(鯒)、カツヲ(鰹)、エソ(えそ)、フカ(鮫)、タラ(鱈)、スヽキ(鱸)、イルカ(海豚?)、イルカ汁(海豚)、汁クシラ(鯨)、
コイ(鯉)、マス(鱒)、フナ(鮒)、ウチ丸(宇治丸:鰻)、ナマツ(鯰)、アユ(鮎)、小アユ、
イカ(烏賊)、タコ(蛸)、クモタコ(蜘蛛蛸:蛸の一種)、クラケ(海月)、
アワヒ(鮑)、ナマコ(海鼠)、アカヽイ(赤貝)、カイハマクリ(蛤)、アワヒ(鮑)、サヽイ(栄螺)、ハイ(ばい:巻き貝)、ニシ(田螺)、ツヘタ(貝の名前)、
カニ(蟹)、カサメ(がざめ、蟹の一種?)、エヒ(海老)、

料理法 焼き物、味噌煮、膾(なます)汁、吸物、造り、揚げ物、貝料理、干物、塩漬けなど
タイノコヤキモノ(鯛の子の焼物)、タイハマヤキ(鯛浜焼き)、コチニコフ入テ(鯒に昆布)、コイコツケ・イリ酒(鯉の子?に煎り酒のたれ)、カツヲ少ナセテタイ大皿(鰹少し鯛)、生鰹、サケヤキモノ(鮭焼物)、エソヤキ物(えそ焼き物)、
アユ・ツクリテト・ヤキテト(鮎の造りと焼き)、タコ上テ(蛸揚げ)、
カイツケ(貝付:貝殻をつけた貝料理)、アメノウオカイツキ(?貝付)、ミソニ・アカヽイ(味噌煮)、ニシツホ入(田螺)
ノシアヘテ(のし鮑)、イリコ(煎りなまこ)、ハラヽコ(筋子塩漬け)
、 汁タイ(鯛)、タラ汁(鱈)、汁スヽキ(鱸)、汁イルカ:イルカ汁(海豚)、汁イカ(烏賊)、汁クシラ(鯨)、貝タム(貝だみ汁?)、汁アワヒ(鮑)、汁クラケ(海月)、
スイ物スヽキ(鱸)、スイ物ナマツ(鯰?)、スイモノコチ(鯒)、ナマツノスイモノ(なまず)、吸物タラ/トリカイ(鱈と鳥貝)、ニシノ吸物(田螺)、スイ物蛤/イカ、
コイコッケ(鯉のこつけ鱠)、堺カサウ(鱠の一種)、堺カサウトマナカツオトマセテ(鱠とまな鰹)クラケナマス(海月)、コナマス(海鼠)、フナヽマス(鮒)、コノワタ(海鼠腸ナマコの腸の塩漬け)
鳥(焼き鳥・汁・吸物)
鴨、鴫、鴈(雁:がん・かり)、ツル(鶴)、
ヤキ鳥、鴨ヤキ鳥、汁(鳥)、汁鴈(雁:がん・かり)、汁ツル(鶴)、汁トリシイタケ(鳥と椎茸)、汁トリシイタケ(鳥と椎茸)、スイ物キシ(雉)、
野菜類
ナ(菜)、セリ(芹)、シセン(慈仙:くわい)、ウリ(瓜)、チサ(チシャ?)、ナスヒ(茄子)、クワイ(くわい)、ウト(独活)、ツクツクシ(土筆)、コホウ(牛蒡)、ハス(蓮)、ワラヒ(蕨)、フキ(蕗)、タタミ(蓼水汁:蓼の葉)、コウウイモ(小芋?)、大コン(大根)、ヒユ(ヒヨウ?ともいう)、カラシ(?)、
マツタケ(松茸)、シイタケ(椎茸)、キクラケ(木耳)、ヒラタケ(平茸)、イハタケ(岩茸)、クロタケ(黒茸)、
ククタチ(茎立:菜の茎)、イモノクキ(芋の茎)、
イリ松茸(煎り松茸)、モミ瓜、スゴハウ(酢牛蒡)、コホウクルミアヘ(牛蒡・胡桃あえ)、タヽキコホウ(たたき牛蒡)、アンユスサイ(あんこ・酢菜?)、スサイ(酢菜)、
汁イリシセン、(煎慈仙?)、ナマス大コン/ユリ(大根と百合)、
海草類
カサネコフ(重ね昆布)、マキコフ(昆布巻き)、イリコフ(煎り昆布)、ムスヒコフ (結び昆布)、モツク(水雲)、ツノマタノリ(?)、トツサカ(とりさかのり)、ミル(海松:海藻の一種)
汁モトコ(もずく?)、汁ナ(菜)、ナ汁(菜)、汁チサ(チシャ?)、汁イモノクキ(芋の茎)、汁ナスヒ(茄子)、ヒラタケ汁(平茸)、汁フキ(蕗)、汁タタミ(蓼水汁:蓼の葉をすり加えた汁)、汁コウウイモ(小芋?)、スイモノ山ノイモ(山芋)、

飯、飯テシオ(手塩)、飯・テシホニ梅ツケ置ソヘテ(手塩して梅を添えて)
サウニ(雑煮)、カユニコフ引テ(昆布を敷いた粥)、ホシイ(干飯)、ユツケ(湯漬)、
加工食品
素麺、ソウメン、ウトン(うどん)、ヒノウトン(日野うどん)、ソハキリ(そば切り)、ユサウメン(温かい素麺)、スイセン(水繊:葛切り)、スイトン(水飩 葛の粉を平紐状のうどんのようにしたもの)、ムシムキ(蒸し麦)、ヒヤムキ(冷麦)、コンニャク(こんにゃく)、
スシ(なれ鮨)、フナノスシ(鮒の鮨)、アユノスシ(鮎のすし)タケノ子ノスシ(竹の子の鮨)、
タウフ(豆腐)、汁タウフ(豆腐)、汁イリタウフ(煎り豆腐)、フ(麩)、上フ(揚げ麩)、コホリモチ(イテモチと同じか?凍餅)、ウノハナ(おから?)、
カマホコ(蒲鉾)、ツケカマホコ(?蒲鉾)、キリカマホコ(切り蒲鉾)、ハヘン(半ぺん?)、
ツケモノ(漬け物)、コウノモノ(香の物)、ナットウニサンセウ(納豆に山椒)、ユミソ(柚味噌)、
菓子
カキ(柿)、ミカン(蜜柑)、キンカン(金柑)、アリノミ(梨)、モモ(桃)、サクロ(石榴)、フトウ(葡萄)、ヤキクリ(焼栗)、打クリ(打ち栗)、キンナン(銀杏)、クルミ(胡桃)、カヤ(栢)、ナツメ(棗)、クワイ(烏芋)、イモノコ(小芋)、山ノイモ(山芋)、ハス(蓮の実)、ヒシ(ヒシの実)、松子(松の実の胚子)、松露(松林の地中に出る茸)、
マメアメ(?豆と飴か)、サヒ(マヽ?)、サヽイ(?)、
コフ(昆布)、ミツカラ(水辛。不身辛:昆布に山椒をつつんだもの)
イテモチ(凍餅)、イリモチ(煎り餅)、ヤウカン(羊羹)、フ(麩)、フサシ(麩さしみ?)、ウスカハ(薄皮饅頭)、コマンチュ(小饅頭?)、シトキ(粢:米の粉餅)、
コネリ(木練柿)、アマノリ(甘海苔)、ユヘシ(柚餅子:味噌米粉麦粉を柚の汁をまぜ、こねて蒸した菓子)

3.「目新しい料理」の注釈「江戸ニハヤリモノト也」の記録  松屋会記・久重茶会記より
     茶会記にしてもその他の振舞の記録であっても、時代として目新しい献立や料理法にたいし、わざわざその旨の注釈が付けられている例はきわめてめずらしいと言えるのでとりあげた。寛永18年3月4日の茶会に「江戸ニハヤリモノト也」とあり上方ではめずらしい食べ方であったことがわかる。

    寛永十八年三月四日 朝 小泉ニテ
      一 片桐石見守殿へ                   中坊長兵衛様 中左京 久好三人
          ・・・・・
          ・・・・・・
     大菜入 ニカイ ホウレンサウ タルミタメテ(煮貝、ほうれん草 お浸し?)
      飯
      小皿、 梅ホシ シルタメテ、カツヲ、只イリサケ替事ナシ
      サカラメ入タル吉ト也、江戸ニハヤリモノト也
      (シルタメテ:削り節を酒で煮詰めた煎り酒。サカラメ:相良布:海草)
    (「いま江戸で流行っている料理とのこと」このような注釈を付記している例はめずらしい)

    ・・・・  長皿 コノワタ ウシオ鯛汁 引テ カウノ物色々・シヲ引
        (海鼠腸、鯛のうしお汁)  (香の物種々  塩引き鮭?)
      鯛塩押ニシテ、ヤキムシリテ、重箱 ツクツクシ・ミツハ・ニンジン
             (鯛塩押・・・) (土筆・三つ葉・にんじん) 
      イトメニ マテニ六テウ入  (? マテ貝?  )
      サウテ・フ  吸物 イカ竹・イカヲカノコニ切目付テ  肴 カラスミ
               (?麩 吸物はイカと竹の子・・ 肴 カラスミ)
      菓子 ウハアフリテ、水クリ・・・ (炙った湯葉? 水栗:甘露煮?・・・)
4.極めて簡略化された表現の中に、料理の盛り付けが読みとれる例を別の茶会記「天王寺屋会記」から引用した。

天正6年(1578)寅正月十一日朝  日向守(明智光秀)殿會
        ・・・・ 
        ・・・・ 
  サウメン、レイメンニ 、 スリコ  キリコ   せりヤキ  ソエ肴ニ・・
 (索麺を冷たくして  山椒の粉をかけてガラスの器に入れ  添え肴に芹の炒め煮・・)

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