鬼平犯科帳にみる蕎麦の世界 その  <  次へ移動  <  サイトへ移動 .

 登場する蕎麦屋と鰻屋、軍鶏鍋屋・五鉄など  

     登場する蕎麦屋と蕎麦  と  登場する鰻屋、軍鶏鍋屋・五鉄、その他

登場する蕎麦屋と蕎麦
    「おしの十蔵」
    十蔵ひとりは、おふじが梅吉を見たという(柳島・妙見堂前の)蕎麦屋へ入り、ちびちびと酒をなめながら時を待った。・・・ この[小玉庵]という蕎麦屋の亭主だけには、役目のおもむきをそれとなく明かしてある。
    「二度あることは」
    筋向かいの三丁目に、小玉庵という蕎麦屋がある。(ともかくも、此処へ入り、酒でものみながら、それとなく眼鏡師のことを尋き出してみようか)・・・・
     ・・・下男も弟子も愛想がよいし、小玉庵の蕎麦を出前させることもたびたびだが、あるじの市兵衛は、あまり近所づきあいをしないそうな。
    「春の淡雪」
     ・・・神楽坂下の蕎麦屋・小玉庵の若い者が、池田屋五平方へやって来て、・・・
    「寺尾の治兵衛」
     ・・と平蔵を誘い、二人は、神明宮の門前にある小玉屋という蕎麦屋へ入った。
    「座頭と猿」
    柴井町の蕎麦屋[東向庵]二階の小座敷が、二人が出会いの場所で、徳太郎はこの店に 顔がきくと見え、・・・
    「毒」
    三河町の山口天竜宅へ通ずる細道を通りへ出た真向いに、[東向庵]といって、小さいが上品な蕎麦屋がある。
    「妖盗葵小僧」
    平蔵は、お千代が家を出たとき、竜淵堂すじ向いの[明月堂]という、蕎麦屋にしては 変わった名の店の二階座敷にいて、酒をのみながら見張りを・・・
    「ふたりの五郎蔵」
    神田・旅籠町の桔梗屋と通りへだてて、明月堂という蕎麦屋がある。平蔵は先ず、この 店の二階座敷にあがり、酒を注文した。・・
    「お雪の乳房」
    田町三丁目の蕎麦屋[まきや]の小僧が、結び文を、・・届けてきた。・・・・ところで[まきや]の二階座敷では
    「五年目の客」
    丹波屋のすじ向いにある[佐野伝]という蕎麦やへ入って、酒を飲み、窓の障子の隙間から丹波屋を見張った。
    「鈍牛」
    亀吉は、その熊井町にある蕎麦や[翁庵]へ火をつけ、火事さわぎを利用して・
    「春雪」
    舟からあがり、舟と船頭を其処へ待たせておき、伊三次は近くの熊井町にある蕎麦屋・ 翁庵へ案内をした。
    「雲竜剣(長編)」
    落ちていた提灯を拾ってから、平蔵も赤羽橋の方へ向かい、橋の南詰め新網町代地の角にある蕎麦屋で火を入れてもらった。・・・  ・・
    永代橋をわたって帰りますと、・・・・熊井町の翁庵で蕎麦をご馳走になった・・・  ・・近くの熊井町の蕎麦屋[翁庵]へ弟を連れ込み・・・
    「穴」
    そこで宗平は、深川・熊井町の[翁蕎麦]へ、助治郎を案内し、二階の小座敷へあがった。この店は、蕎麦もよいが、実によい酒を出す。
    「掻掘のおけい」
    その鶴吉が掻掘のおけいに出会ったのは・・  上野の広小路の[翁庵]で蕎麦を手ぐっているところへ・・・
    「猫じゃらしの女」
    上野町一丁目の蕎麦や[福山]の二階座敷で、
    「剣客」
    藍玉問屋の大坂屋の表口の左どなりに[三崎屋]という蕎麦やがある。
    「盗賊人相書」
    深川・熊井町にある[東玉庵]という蕎麦やの・・・ 東玉庵に、盗賊が三人、押し入った。同じ熊井町には[翁蕎麦]という大きな蕎麦やがあるけれども、東玉庵は大川沿いの永代橋に近いところにあって小体な店だが、「飯田町の東玉庵の支店(でみせ)だけあって、なかなかたべさせるよ」・・
    「のっそり医者」
    深川・熊井町の蕎麦や[東玉庵]へ押し込み、・・
    「泥亀」
    七蔵は乙吉を、田町九丁目の蕎麦屋〔東玉庵〕の二階座敷へ案内した。
    「掻掘のおけい」
    ・・このあたりは霊巌島町で酒問屋や藍玉問屋が軒をつらねている間に[常陸屋]という名代の蕎麦屋がある。
    二階には気のきいた小座敷が三つほどあり、ゆっくりと酒をのむこともできる。
    「泥鰌の和助始末」
    長谷川平蔵は、浅草・奥山の[亀玉庵]という蕎麦やへ、剣友・岸井左馬之助を呼び出し・・・ 運ばれてきた熱い酒を口にふくんで・・
    浅草観音へ参詣の人びとが群れている奥山であったが、この亀玉庵の奥座敷はまことに物しずかで、西にひろがる浅草田圃の上を白鷺が一羽、ゆっくりと飛んで行くのが見えた。
    「泥鰌の和助始末」
    蕎麦にしろ鰻にしろ、近年は、調理法に贅沢な変化があらわれてきはじめた。辰蔵が子供のころは、鰻なぞも丸焼きにしたやつへ・・・
    「寺尾の治兵衛」
    ここは浅草観世音の境内で、・・・・  境内の外れにある亀玉庵という蕎麦やへ治兵衛を案内した。この店は、なかなかしゃれていて、酒も肴もうまいし、浅草田圃をのぞむ小ぎれいな奥座敷もある。・・・
    「用心棒」
    佐野倉(の番頭)を出て来た長助が、軍兵衛を近くの[翁庵]という蕎麦屋の二階の小座敷へ案内し、酒をのませてやると、軍兵衛が泪ぐんで  
    「浅草・鳥越橋」
    五人は、三好屋と道をへだてた真前にある[尾張屋]という蕎麦屋の二階を借り、見張りをつづけていた。・・・酒と蕎麦が、はこばれて来た。朱塗りの薬味箱から、葱が匂った。
    「狐雨」
    長谷川平蔵を、神田・旅籠町二丁目の蕎麦や[加賀屋]の二階座敷に見いだすことができる。 ・・・ 加賀屋は、明神下の通りから左へ切れこみ、さらに右に曲がったところにある小体な蕎麦やであるが、蕎麦もよく酒もよいので土地では知られた店だ。
    「春の淡雪」
     ・・長谷川平蔵は、神谷町の加賀屋という蕎麦屋の二階の小座敷へ茂兵衛を連れて行き、「ま、茂兵衛。のみながら、ゆるりとはなすがよい」
    「犬神の権三」
    盗賊・犬神の権三郎は、上野山下の五条天神・門前の蕎麦屋[明月庵]で酒をのみ、・・・
    広小路を西へ曲がりかけたおまさは、・・ 北大門町の角にある[翁庵]というしる粉屋へ入って行った。当時の[しる粉屋]というものは、蕎麦屋同様に、男女のあいびきにもつかわれるし、種々の用談もできるという、
    「いろおとこ」
    この日、おせつは寺田金三郎を本所の枕橋の北詰にある[さなだや]という蕎麦屋へいざなった。・・・[さなだや]は・・二階に小座敷が一つある。・・酒をもらって、
    「二人女房」
    件の男は、高木軍兵衛を、常盤町一丁目にある[信濃屋]という蕎麦屋の二階へつれこんだ。・・・この夏に開店したばかりの小ぎれいな店で、蕎麦の味もよいという評判だ。
    「雪の果て」
    回向院の西側にある信濃屋という小さな蕎麦屋を見つけるや、・・・  
    この年の九月半ばころから、鍋町の和泉屋の前へ、夜ふけになると、荷売りの蕎麦やがやって来るようになった。・・・    ・・価はおきまりの十六文だが、蕎麦の量も多いし、うまい。
    「殺しの波紋」
    急いで駆けつけ、浅草駒形の[つんぼ蕎麦]の二階座敷で、酒をなめながら時をすごしている富田与力の見張りを交替した。
    「五月闇」
    伊三次は、この岡場所からも近い下谷広小路の[福山]という蕎麦屋で、苦い酒をのんでいた。
    「影法師」
    この侍は、[湊屋]という小ぎれいな蕎麦屋から通りへ出た途端に、向こうからやって来る 忠吾とばったり出合い、・・ 
    「網虫のお吉」
    大川の方から、河岸道をやって来た女は、・・・井ノ口屋の隣の[福本]という蕎麦屋へ入ったのを、何となく目にとめた。
    「白根の万左衛門」
    「平河天神の門前に、[栄松庵]という、気のきいた蕎麦屋がある。酒がうまい。」・・・
    大伝馬町の・・密かに近くの蕎麦屋の二階へ呼び出し、(探索の)協力をたのむと、・
    「見張りの糸」
    彦十は、大黒やの筋向かいにある[上総屋]という蕎麦屋へ入り、・・・
    ・・・この間に彦十は蕎麦も口にしたし、酒も六合はのんだろう。・・・
    「霜夜」
    ・・・[なだや]の筋向かいに[春木屋]という小ぎれいな蕎麦屋があり、
    「蛇苺」
    蕎麦屋は[三好屋]といい、万年橋の向こうの、小名木川を背にした角店で、仁三郎は、 その前を通って彦十の傍へ来たことになる。三好屋の蕎麦は、彦十も何度か口にしてい た。
    「おしま金三郎」
    上野山下へ出た二人は、小柳が行きつけの蕎麦屋・山城屋の二階座敷へあがって行った。 ・・・階下の入れ込みの片隅へあがりこみ、酒を注文した客があった。
     ・・おまさは、この日の四ッ半(午前11時)ごろに神田・三河町一丁目の蕎麦屋[松露庵]へ入り、急いで腹ごしらえをした。
    「誘拐」
    「この道を東海道へ出たところに、丹波屋という蕎麦屋がある。おれは、其処で待って いるから、佐嶋と五郎蔵を連れて来てくれ」「合点です」
    「乳房」
    三次郎は、女房のおしんに近くの並木町で[十一屋]という蕎麦屋を経営させている。 ・・ 三次郎の父親・仁兵衛が蕎麦屋を開業し、これを女房(三次郎の母)に経営させ た。それが十一屋なのである。・・  ・・「近いうちに三次郎が、新蕎麦を打って、 此処まで運んでくれるそうな」「まあ、 うれしいことで・・・」 ・・・
     ・・三次郎が、長谷川平蔵の屋敷へ、手打ちの蕎麦をたっぷりと持ち運んだのは、それから半月後のことであった。さしもの残暑も、すでに去った。高く晴れあがった空に秋の雲が浮き、・・・  ・・「せっかくの御馳走だ。すぐに手繰ろうではないか」平蔵は、清酒を居間へ運ばせ、蕎麦へかけまわしながら、(どうだ。よくおぼえているだろう)というように三次郎へ笑いかけた。 みやげの蕎麦には、酒を振りかけるのがもっともよい。・・  ・・三次郎は、蕎麦湯まで運んで来てくれた。いったん、台所へ出て行き、三次郎が蕎麦湯をあたためて居間へもどったとき、・・・
    ・・長谷川平蔵は、せわしげに行き交う人々の中を歩みつつ、芝口橋(現・新橋)をわたり、左側の蕎麦屋[佐原屋]へ入り、入れ込みの一隅へ座って、酒を注文した。


     太打ちの田舎蕎麦 】
    「土蜘蛛の金五郎」
    下谷の車坂町代地に[小玉屋]という小さな蕎麦屋がある。いかにも頑固そうな五十がらみの亭主と女房と、一人息子と三人だけでやっているのだが、蕎麦は太打ちのくろいやつで、薬味も置いてなく、流行の貝柱のかき揚げを浮かせた天麩羅蕎麦などはもちろんのこと、種物は、いっさい出さぬ。ただもう、太打ちの田舎蕎麦一すじにやっているので、常客といえば、ごく限られてしまうわけだが、「十日も口にせぬと、おもい出すというやつだ」と、妻の久栄にもらしたことがあるほどに、長谷川平蔵は小玉屋の蕎麦を好んだ。・・・  ・・・平蔵は茶わんの冷酒をもらい、太打ちの蕎麦をすすりこんでいると、・・
     *芝海老を揚げた天ぷら蕎麦になると、一杯で三十文をこえる。小玉屋の田舎蕎麦でも十五文だ。


    【 天ぷら蕎麦の登場  白髪そば  淡雪そば など】
    「蛇の目」
    本所・源兵衛橋(後の枕橋)の北詰にある[さなだや]という店の蕎麦を食べたのは、その日が初めての長谷川平蔵であった。・・・ 「酒と・・・それから、天麩羅をもらおうか」注文して、平蔵は入れこみの八畳へ上がった。天麩羅そばが江戸のそば屋であつかわれるようになったのは近年のことだが、いまや大流行のかたちとなり、それぞれの趣向をこらし、どこのそば屋もちからを入れている。[さなだや]は老夫婦と小女ひとりの小さな店なのだが、・・ めっぽううまい。・・・はこばれて来た貝柱の[かき揚げ]を浮かせたそばをやりはじめ、「む・・・うまい」否応なしに舌へ来る味覚・・
    片波の伊平次は練れた中年男だけに、これは道有屋敷に近い河岸道へ、午後から夜中近くまで荷売りの夜鷹そばやとなって商いをしている。近辺の商家の奉公人が店をしめてから間食にくるし、同じ河岸道には白玉売りや、おでん、茶めしなどの荷売りが、点々と荷行燈をともしてならぶ。・・・
    江戸へもどった平蔵は岸井左馬之助をさそい出し、本所・源兵衛橋北詰のそば屋[さなだや]で、酒をくみかわしていた。
    「密偵」
    弥市は、麹町四丁目にある[瓢箪屋]という蕎麦やに行き、・・・  ・・・そこで佐嶋与力は、なじめて和やかな表情となり、「ま、久しぶりだ。一緒に蕎麦でもやろう。ここの天ぷらはうまいぞ」酒がきた。貝柱のかき揚げを浮かせた蕎麦もきた。
    「霧の朝」
    おきねと吉造は、酒屋の三河屋と東海道を隔てた真向いの、小玉屋という蕎麦屋の門口の脇へ立って、三河や屋の店先を見まもった。・・   ・・先ず、葱をふりかけた醤油豆で酒をゆっくりとのみ、貝柱の掻き揚げの天麩羅そばをたべ、・・・
    「ふたりの五郎蔵」
    おまさは先に立ち、三好庵とのれんにある蕎麦屋へ入って行った。おまさは、あられそばを二つ、注文した。熱いそばを、旨そうに啜っていた。・・・

    長助は、両国橋へ出る手前の店屋で、ぶら提灯を買った。長助の顔が、ほんのりと赤い。大黒屋の二階座敷で寝そべり、ゆっくりと二合ほど酒をのんだあとで、貝柱のかき揚げを浮かせた天ぷら蕎麦を二つも食った。なかなかどうして、長助はぜいたくなことをしているのである。(どうせ、もう長えことはねえのだから、生きているうち、せめて飲み食いだけは、好きにしてえな) だから、ふところに入った金を長助は出し惜しまなかった。日中に、上野山下で掏り盗った財布の中身は二両二分ほどあった。現在の価値感覚でいうと、一家族が二ヶ月も暮らせるほどのものだから、長助が高い天ぷら蕎麦を奢ったのもむりはない。・・・・
    ところで、両国橋をわたった長助は、横山町から小伝馬町ぬけ、大伝馬町二丁目の[ひょうたん新道]にある、これも蕎麦屋の[東屋]という店で半刻をすごした。
    「はさみ撃ち」
    上野広小路の蕎麦や、[東月庵]の二階座敷で落ち合った。天ぷら蕎麦で熱い酒をのむうち、躰が汗ばんできた。」
    蛙の長助
     三ツ目橋をすぎ、緑橋二丁目の[大黒屋]という蕎麦屋へ、長助が入っていった。この店の名物は[白髪そば]というので、つまり細打ちの白い蕎麦なのだろうが、おまさは食べたこともない。・・近年の開業で、しゃれた店構えの高級蕎麦屋で、近ごろは、こういう店が江戸市中に増えてきている。・・・・
    「むかしなじみ」
    緑町二丁目の蕎麦屋[大黒屋]へ行き、・・ 。この店の名物は[白髪そば]という細打ちの蕎麦で、・・
    「迷路」
     ・・池尻一味の女賊お兼は、浅草寺の境内で甚七と出合い、共に奥山の蕎麦屋へ入ったという。・・  ・・長谷川平蔵と佐嶋忠介は、近くの田原町にある[東寿庵]という蕎麦屋の、二階の小座敷へあがった。この店は、「泡雪蕎麦(あわゆきそば)」といって、山芋を出汁でやわらかく摺りあげたものを蕎麦へかけたのが名物だが、夏場はやっていない。
    「ふたりの五郎蔵」
     ・・ 大滝の五郎蔵とおまさは、交替で、となりの明月堂へ行き、名物の淡雪そばを食べた。・・・   ・・・山芋を擂りおろし、薄目の出汁で溶いたものを、熱いそばの上へ、たっぷりとかけまわし、もみ海苔を振って出すのが淡雪そばだ。・・   ・・
    ・・おまさが出て行くと、平蔵は、「彦十。となりの明月堂の名物、淡雪そばというのは、どうじゃ?」「ちょいと、しゃれたものですぜ」「では、出前をたのんで来い。ついでに酒も、な。まだ、大分に間もある。酒でものんで一眠りしておこうか」


    【 めずらしい「一本うどん」について 】
    「男色一本饂飩」
     ・・蛤町にある名刹・永寿山海福寺の門前にさしかかった。・・  ・・門前の[豊島屋]という店で出している一本饂飩が、忠吾の大好物なのだ。その名のごとく、五寸四方の蒸籠ふうの入れ物へ親指ほどの太さの一本うどんがとぐろを巻いて盛られたやつを、柚子や擂胡麻、葱などの薬味をあしらった濃目の汁で食べるのである。・・・
    「掻掘のおけい」
    五寸四方の蒸籠ふうの入れ物へ、親指ほどの太さの一本うどんが白蛇のようにとぐろを巻いて盛られたのを、冬はあたため、夏は冷やし、これを箸でちぎりながら、好みによって柚子や擂胡麻、ねぎなどをあしらった濃いめの汁(つゆ)をつけて食べる。
    鶴吉が[お頭]とよんだ男は、もと盗賊の首領で、いまは火盗改方の密偵をひそかにつとめている大滝の五郎蔵である。
    大男ながら五十をこえた五郎蔵が、たくましい食欲を見せ、もう三つ目のおかわりをしているというのに、五郎蔵の息子といってよいほどの砂井の鶴吉は昼どきだというのに、はじめてのうどんを半分も残していた。
     ・・・「先ず、酒をたのむ」と・・
    「一寸の虫」
    豊島屋の一本饂飩は深川名物の一つであって、同心・木村忠吾の大好物だ。・・  ・・老密偵・相模の彦十は、この一本饂飩のことを、「豊島屋の白蛇を食いに行こう」などという

    【 うどん屋 】
    「毒」
    五郎蔵とおまさは、程近い鎌倉河岸に出ている屋台の饂飩屋などをまわり、いささか、聞きこみをした。
    「艶婦の毒」
    京都の春は、たけなわであった。・・・平蔵は高瀬川の西がわの、長州屋敷の塀外に葦簀張りの店を出しているうどん屋に入り、老爺に酒を命じた。
    「五年目の客」
    川沿いの道に出ているうどん屋で酒をのみながら見張っていると・・・


    【 日常生活(素人が打った)の蕎麦切り 】
    本所・桜屋敷
     ・・・(広大な屋敷を出村の)桜屋敷に暮らしていた。・・(田坂直右衛門老人の孫娘)
    さわやかな口上と共に、下男がうったばかりの蕎麦切と冷酒を下女にはこばせつつ道場へあらわれた十八歳のふさの、・・・
    二十余年前。桜屋敷の隠居からの冷酒と蕎麦切を女中にはこばせ、高杉道場へあらわれたときのおふさにとって、・・・
    あきらめきれずに
    武蔵の国、多摩郡・府中は、江戸より約八里のところにある。・・・・・
    野菜の田舎料理に酒。そのあとで、お静が手打ちにした蕎麦が出た。酒に火照った口中に、冷たい蕎麦をすすりこむ快味は、蕎麦好きの平蔵にはたまらなかった。汁に大根おろしをそろえたのもよい。・・・・・・
     今朝、お静がわたしてよこした弁当と、・・・・。弁当は、にぎりめしに沢庵と、ほかに蕎麦の実と味噌をねり合わせたものが入っていた。
     注:)お静の父・小野田治平は、武州・多摩郡・布田の郷士の三男に生まれ、今は布田五ケ宿から一里二十三町甲府よりの府中の町に住んでいる。

    【 そばがき 】
    「鬼火(長編)」
    お熊は手早く、平蔵と松永の御代りのと、そばがきを二つこしらえた。さすがに年の功で、捏ね方がまことに程よい。きざみ葱を散らし、醤油をかけまわしただけの「そばがき」なのだが、 ・・・ さも、なつかしげに箸で千切って口へ運びつつ、・・・   

【 Back 】        【 Top 】



鬼平犯科帳に登場する鰻屋、軍鶏鍋屋・五鉄、辻売りの鰻屋 その他         

 鬼平犯科帳の中にいちばん多く登場するのは軍鶏鍋屋・五鉄で、小鍋立てもこの頃流行りだしたのであろう。鰻の辻売りも登場し、それまでウナギは頭から串刺して焼いていたが、「割き売り」にした鰻の蒲焼きが登場する。

1.鬼平犯科帳に登場する「鰻の蒲焼」 
  「雲竜剣(長編)」
万年橋の向こうで屋台を出している鰻売りの忠八・・・
辻売りの鰻屋は、道端へ大きな木の縁台を出し、その上で鰻を焼き、道行く人々に売るのだ。
近年は、江戸市中にも料理屋のかまえで、上品に鰻を食べさせる店が増え、それが一つの流行になっているけれども、平蔵が若いころには、「あのようなものを食べるものではない」といわれていた。そのころの鰻は、ほとんどが丸焼きにしたものに豆油(たまり)やら山椒味噌やらを塗りつけただけのものを辻売りにしており、「何といっても、あいつを喰うと精がつく」というので、はげしい労働をする人びとの口をよろこばせはしたが、これが料理屋でだす料理にはならなかった。これが近年になって、背びらきにした鰻を蒸しあげ、強い(きつい)脂をぬいた上で、やわらかく焼きあげ、たれにも工夫が凝らされるようになってから「鰻が、こんなにうまいものだとは知らなかった・・・」上流の人びとも、よろこんで口にするようになってきているが、深川や本所へ来ると、鰻の辻売りも少なくない。「鰻は、辻売りにかぎる」という人びとが、このあたりには、まだ多いからであった。・・・
・・・州崎の弁天さまのところにも鰻の辻売りが出ていますが、どうも、くらべものにならねえ」

  「泥鰌の和助始末」
蕎麦にしろ鰻にしろ、近年は、調理法に贅沢な変化があらわれてきはじめた。辰蔵が子供のころは、鰻なぞも丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油(たまり)をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていたものだ。とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物ではなかったのである。
 それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいように切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺にならべて蒸し、あぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあげるという、手のこんだ料理になった。これをよい器へもって小ぎれいに食べさせる。

  「乳房」
ここは、神田明神社に近い湯島横町にある鰻屋[森川]の二階座敷である。近年になって、江戸市中に鰻屋の店が増えた。 つい、十五、六年ほど前までは深川や本所などの場末にしかなかった鰻屋が、いまや一つの流行となって増えつつある。それも、むかしのような屋台店ではなく、小ぎれいな座敷もあり、調理の仕方も蒸して脂をぬき、やわらかい上品な味を出すようになって、身分の高い武家が頭巾に顔を隠し、微行で食べに来るようになった。[森川]も、そうした店の一つであった。・・・
・・ お松が生まれ育った深川には、鰻の辻売りが多い。・・・  ・・・鰻そのものには別に変わりはないが、調理の方法と食べさせる場所によって、代金に差ができる。・・  ・・深川にいたとき、辻売りの鰻はよく食べたし、・・  ・・ところが[森川]の鰻は、これが同じ鰻かとおもうほどに、やわらかい。安い辻売り鰻の垂とちがって、焼きあげた鰻にからむ垂の味のよさときたら、何ともいえなかった。・・

【 登場する鰻屋 】
  「暗剣白梅香」
上野広小路から新黒門町に出て、鰻屋の[春木や]へ入った半四郎は、ここでゆるりと食事をしたためたが・・
  「敵」
五郎蔵が己斐の文助を、上野山下・仏店にある鰻や[大和屋]へまねき、・・・
  「深川・千鳥橋」
大工の万三は、いかにも物堅そうな商人の風体で、上野山下・仏店(ほとけだな)にある鰻や[大和屋]へあらわれた。
  「乞食坊主」
寝牛の鍋蔵の姿を、浅草・黒船町にある[勢川]という鰻やの二階座敷に見出すことができる。
  「泥鰌の和助始末」
辰蔵が、江戸城の外濠に沿った道を市ヶ谷田町一丁目へさしかかったとき、右手の[喜田川]という鰻屋から出て来た浪人者がある。
  「雨引の文五郎」
この日、平蔵は・・ 夕暮れになってから、本所・石原町の鰻屋[大和田]へ出向いた。
  「墨つぼの孫八」
亀戸天満宮の北面、裏門前の鳥居傍にある藁ぶき屋根の鰻屋で[狐屋]というのがそれであった
  「殺しの波紋」
笑いかけながら、共に参詣をすませ、八幡社門前の鰻屋[魚熊]の二階座敷へ連れこみ、「さ、好きなだけ飲め。たくさんに食べるがよい」・・
  「用心棒」
仲町の鰻屋
  「いろおとこ」
・・・緑町4丁目の[湊屋]という鰻屋へ入った。ここも小体な店だが、土地ではちょいと知られていて、・・・・
  「見張りの糸」
・・・鈴木屋という鰻屋の二階へあがった。
  「白根の万左衛門」
[伊勢屋]という鰻屋の二階へ・・
  「迷路」
・・「下へたのみ、竹河岸の深川屋で鰻を買って来てもらえ。下の人たちへも忘れるなよ」 ・・・  酒は少量にしておいて、長谷川平蔵は鰻の蒲焼きで飯を四杯も平らげてから、・・・


2.軍鶏鍋屋「五鉄」  
 鬼平犯科帳の中で、いちばん多く登場するのはおそらくこの「五鉄」であろう。 
本所二ツ目の軍鶏鍋屋「五鉄」の料理は、いうまでもなくしゃも鍋が中心であるが、のれんに「相鴨・しゃも鍋−−五鉄」となっているところから冬の季節には鴨もまた名物であった筈だ。もちろんほかにもいろいろあるのはいうまでもないが。
一人客用の鍋は、この頃流行りだした「小鍋立て」で、これがまたうけたのであろう。

  「明神の次郎吉」のなかに
*五鉄・・三次郎は。先ず、鯉の塩焼きを出した。鯉の洗いとか味噌煮とかいうけれども、実は、塩焼がいちばんうまい。酒も、とっておきのを出してくれた。
・・次郎吉は、舌つづみをうち、「あんまりのむと、こんなうめえものが腹へ入りません。ですからすこしずつ・・・」と、なめるように、ゆっくりと酒をのんだ。つぎに、軍鶏の臓物の鍋が出た。新鮮な臓物を、初夏の頃から出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出し汁で煮ながら食べる。熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。

「あきれた奴」に、 二階は・・通路の両側に、それぞれ十畳敷きの入れこみがある。常連の客はここで肩をならべて、酷熱の夏のさかりにも[しやも鍋]で熱い酒を飲むのである。 「毒」では五鉄の客は、いずれも、一日の労働の後の憩いを、酒と軍鶏鍋にもとめてあらわれる。・・  ・・ 平蔵の傍でのんでいる職人ふうの男たちや物売りなどが、・・・

3.鴨 
  「火つけ船頭」
 平蔵が入浴を終えて出て来ると、久栄が酒の肴の支度をととのえ、・・鴨の肉を、醤油と酒を合わせたつけ汁へ漬けておき、これを網焼きにしてだすのは、久栄が得意のものだ。つけ汁に久栄の工夫があるらしい。・・・それと、鴨の脂身を細く細く切って、千住葱と合わせた熱い吸物が、先ず出た。

4.小鍋立て 
  「一本眉」
ここは、湯島天満宮裏門に近い[治八郎]という煮売り酒屋であった。・・・ぎっしりと詰まった客が刺身や豆腐で、たのしげに酒をのんでいる。・・・
 ・・蛤と豆腐と葱の小鍋立てが運ばれてきた。

5.鶏 ・ 生卵 
  「春の淡雪」
 ・・平蔵が久栄へ、・・・・「酒の後に、鶏の出汁で、熱く煮込んだ饂飩がほしい」
  「迷路」
 ・・間もなく、長谷川平蔵が目ざめて、炊きたての飯へ生卵をかけまわし、三杯も食べるのを見て、酒井祐介はほっとした。
  「炎の色」
お園が、葱をまぜた炒り卵と昆布の佃煮、茄子の塩もみで簡単な昼餉の膳を運んで来て、・・   ・・人びとが駆けつけたが、このほうは火のまわりが早く、両どなりの蕎麦屋と荒物屋が類焼した。

  「女密偵女賊」
小柳安五郎は、役宅内の自分の長屋へもどり、お園が支度をしておいた、温かい雑炊を 食べた。鶏の肉を小さく切ったのが入っている。
  「ふたりの五郎蔵」
 ・・・ お園が二人の侍女と共に、鶏が入った熱い饂飩と酒肴の支度をして、居間へ入って来た。

6.川魚料理 
  「凶剣」
(京都・愛宕社の一ノ鳥居ぎわに、わら屋根の、いかにも風雅な掛け茶屋があって、名を[平野や]という。)
生簀(いけす)からひきあげたばかりの鯉を洗いにした、その鯉のうす紅色の、ひきしまったそぎ身が平蔵の歯へ冷たくしみわたった。・・・あまりのうまさに長谷川平蔵は、おもわず舌つづみをうち、・・・
夏になると、保津川や清滝川でとれる鮎をこの平野やまではこび、荷の中の鮎へ水をかえてやり、一息入れてから京へはこぶのだ。・・・
こころゆくまで嵐気にひたりつつ、おもうさま酒をのみ、鯉を食べ、さらにとうふの田楽、鮎の飴だきとつづく。
  「むかしなじみ」
・・一ツ目橋・南詰の弁財天の社の境内・・境内の[平富]という小体な料理屋・・
・・奥座敷で、相模の彦十は網虫の久六と向かい合っていた。
この[平富]は、川魚料理で知られている。先ず、そぎとった鯉の皮の酢の物。同じく鯉の肋肉(あばらにく)をたたいて団子にし、これを焙ったものへとろみのついた熱い甘酢をたっぷりとかけまわした一皿など、めずらしい料理が出たものだから・・
・・うす焼き卵の細切りと針生薑をあしらった鯉の筒煮へかぶりついていたのだが、
・・

7.兎 
  「用心棒」
京橋の東詰を北へ行った大根河岸に[万七]という小体(こてい)な料理屋がある。
[万七]の名物は、兎(うさぎ)の吸物であった。
・・・名物の兎の吸物は、淡泊な兎肉の脂肪が出し汁にとけあい、なかなかに美味である。
  「霜夜」
京橋の東詰を北へ行った大根河岸にある[万七]という小体な料理屋の、二階の小座敷である。[万七]の名物は兎汁だが、将軍家も元旦には兎の吸物を口にするというので、数は少ないが兎の料理を好む客もいる。万七は、夏期の二ヶ月を休業してしまうが、秋になると待ちかねたように、平蔵は出かけていく。・・・
  「おかね新五郎」
そこの北紺屋町の角地に[万七]という小体な料理屋があり、ここの名物は兎汁だ。・・  ・・女中があらわれ、平蔵の前の火鉢へ、小ぶりの鉄鍋をかけ、出汁をそそいだ。[万七]では、客の前で兎汁をつくる。淡白な兎の肉の脂肪が秘伝の出汁にとけあい、兎特有の臭みもない。・・・  慣れた手さばきで鉄鍋へ箸をうごかしつつ、女中がいうのへ、・・・

8.山芋 
  「凶賊」
九平のおもてむきの稼業は、居酒屋の亭主である。神田・豊島町一丁目の、柳原土手に面した一角に、[芋酒・加賀や]と染めぬいたのれんをかかげ、ごく小さな店をやっている・・・「芋酒は加賀やにかぎる」近辺では評判がよい。芋酒というのは・・・・。皮をむいた山の芋を小さく切って笊に入れ、これを熱湯にひたしておき、しばらくして引きあげ、摺り鉢へ取ってたんねんに摺り、ここへ酒を入れる。つまり、ねり酒のようにしたものを、もちいるときに燗をして出す。・・・一種の[精力酒]のようなものである。もちろん、芋酒のほかに普通の酒も出す。・・・・ 九平の店で評判の食べものは、「芋膾(なます)」である。これは、里芋の子を皮つきのまま蒸しあげ、いわゆる[きぬかつぎ]をつくり、鯉やすずきなどの魚を細目につくって塩と酢につけておき、芋の皮をむいて器へもったのへ魚の膾をのせ、合せ酢をかけまわし、きざみしょうがをそえた料理だ。季節になると、加賀やの芋膾を食いに行こうというので、酒がのめない連中も九平の店へ押しかけるさわぎ。気が向くと九平は、芋飯を炊いて客へ出したりする。

9.のっぺい汁 
  「鯉肝のお里」
お里は弾正橋を東へわたりきった。・・ 橋のたもとの、京橋川を背にして、[のっぺい汁・いちぜんめし]の掛行燈が見えた。ここは〔大根や〕という飯屋だ。土地の者で知らぬものはない。自慢の〔のっぺい汁〕がうまいし、酒も出す。・・・・こうした深夜営業の店が、当時の江戸の町には諸方にあった。
  「消えた男」
愛宕社からも程近い、芝神明宮・門前の小体な料理屋[弁多津]の二階座敷へ、高松を案内した。弁多津の名物は[のっぺい汁]なのだが、夏場はやらない。
  「妙義の団右衛門」
浅草や深川を下賤というのではないが、何とはなしに、軒をつらねる茶店や料理屋にも落ちつきがあって、その中の[弁多津]という料理屋は小体な店構えだが、「冬になると」弁多津の、のっぺい汁が恋しくなる」・・・  いろいろな野菜に、むしり蒟蒻、五分切りの葱などを、たっぷりの出汁で煮た能平汁(のっぺいじる)は、どこの家でもつくれるものだが、さすがに、これを名物にするだけあって、「ここの能平汁で酒をのむのは、まったく、たまらぬのう」と、・・・>

10.田楽 
  「密告」
秋から春にかけて・・・。清水門外の火付盗賊改方・役宅からも程近い九段坂下に、雨や雪がひどいときでないかぎり、毎夜のごとく葦簀張り(よしずばり)の居酒屋が出る。・・  ・・ 売り物は燗酒に、いわゆるおでん・・といっても、当時はまだ、いろいろな種を煮込んだおでんはあらわれていない。豆腐と蒟蒻を熱した大きな石の上で焼き、柚子味噌をつけて出す田楽。これが、おでんのはじまりだったのである。
  「火つけ船頭」
富岡八幡宮の門前へ来ると、八幡宮・正面の広場の一隅にある葦簀張りの田楽やへ入った。・・ 日暮れから翌朝まで、葦簀張りの田楽やが四つほど店を出す。これを土地(ところ)の一びとは、「石焼田楽」と、よんでいる。大きな石を火で熱し、この上で豆腐だの芋だの、およそ、味噌を塗って火に焙ってうまいものなら何でも田楽にして、客に出す。むろん、酒はいくらでも出す。・・・・

11.茶漬け 
  「雨隠れの鶴吉」
万屋のとなりの、山吹茶漬というのを売り物にしている三河屋という風雅な料亭の二階座敷を見張り所にし、飯たきの音五郎の挙動を、ひそかに監視した。
  「密偵たちの宴」
田原町三丁目の角に、淡雪茶漬なぞと小なまいきなのれんを掛けている山吹屋という料理屋が・・

12.しる粉屋
  「犬神の権三」
広小路を西へ曲がりかけたおまさは、・・ 北大門町の角にある[翁庵]というしる粉屋へ入って行った。当時の[しる粉屋]というものは、蕎麦屋同様に、男女のあいびきにもつかわれるし、種々の用談もできるという、・・・

【 
Back 】        【 Top 】