|
一本うどん |
鬼平犯科帳には、多くのそば屋が登場するがうどん屋はほんの数軒しか出てこない。このことは明らかに池波正太郎の蕎麦贔屓によるものと思うのだが、そんな中でも「一本うどん」のことについてはしっかりとシリーズの三ヶ所で登場させている。 このうどんが実録として現れるのは、江戸の中期よりもっと時代が下がった昭和5年(1930)発行で、「蕎麦通」というそばの専門書である。もっともこの本が書かれた頃には既にそれを売る店もなく、一昔前の伝説的な語りぐさをそばの本の中で取り上げているのである。 たとえ、類を見ない珍しいうどんであったとはいえ、そば打ちを極め蕎麦の専門書を執筆した著者がわざわざ一項を割いてまで書いているのである。 そばにしろうどんにしろ、細く打ったり太く打ったり(切ったり)は、ある程度の知識と技量があれば切りも茹でもとりあえずはできるのだが、親指の太さとなると話が違ってくる。おそらく2センチを越す太さで、角が立った鮮やかな四角に切ること、しかもその切り口を崩さず芯まで柔らかく煮込む、というところに並のうどん打ちやそば打ちでは出来ないものを感じたのではなかろうか。 以下は、村瀬忠太郎著「蕎麦通」の復刻版で、そのなかの「一本うどん」についての全文である。 『一本うどん
深川浄心寺の前に、ヤホキといううどん屋のあったのは昔のことで、うどんの外には他の麺類を一切売らなかった。しかもうどんも普通のうどんではなくて、一本うどんというものだけを売っていたのである。 この一本うどんが、非常に珍らしいものとされて、ヤホキというよりは、かえって深川の一本うどんというのが、暖簾名となったほど遠近に名が高くひろまった。奇を好むことに於て、躊躇をしない江戸ッ子は、路を遠しとせずに、一本うどんの試食に出かけたのである。 それがためにヤホキの店は、非常な賑いを呈したことは素晴しいもので、客止めをする繁昌振りであった。評判が高くなるにつれて、直に模倣をする者が出るのが常であるが、ヤホキは製法を、他に窺わしめなかったものか、他でこれを真似ても、味に於ても製法に於ても、到底比較にはならなかった。 ヤホキの一本うどんは、普通のうどんの太いもので、その太さは親指ぐらいのものが、丼の裡に只一本、あたかも白蛇がとぐろを巻いているように入れてある。これが極めて柔くて口当りがよく、箸で食いやすい長さに切り、汁をつけて食うのであるが、酒の下物(さかな)にも適し、飯の代りとしても、一椀で足りるというのであった。 このうどんの見事な事は、切口が鮮かに四角の形を保っている上に、心まで柔かく火のとおっていることである。この製法は、前日の夕方に打ったうどんを、釜中の熱湯に入れ、ある程度まで茹でて後火を引き、蓋をしたまま一夜置き、余燼のほとぼりで煮込んだものらしい。だから売切れとなると、直に看板を下してしまい、客がどれほど注文をしても、応じなかったといわれている。 打加減にも湯加減にも、かなり技量を要したものと見えて、その家で売っていただけで、今では何処にも一本うどんのある事を聞かぬようだが、こういう変ったものは、現存しておく事も結構だと思う。京都とか名古屋とかに、これに類するものがあるという話を、耳にした事があるが、果してどんなものであるか。 』 そば通 村瀬忠太郎著 について 初版本 「蕎麦通」を復刻 解説 平野雅章による |