史料・文献に見る
      蕎麦切り
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道具に見る江戸時代中期のそば打ち 
道具に見る江戸時代中頃のそば打ち 
      ---蕎麦全書から--- 

 江戸時代中期に書かれた「蕎麦全書」は、この時代では唯一ともいえるそばの専門書である。
著者の日新舎友蕎子のことは自らもそばを打ち、そばに精通していた江戸の住人としかわっていないが、寛延四年(1751)に三巻一冊本を脱稿(書き終え)している。
そこには、諸国のソバの産地、ソバやそば粉のこと、そばの作り方や茹で上げたそばの扱い、そばつゆの作り方や薬味について、さらには江戸市中のそば屋の屋号や有名店の消息、粉屋など、多くの貴重な解説と史料を残している。

 そのなかに「友蕎子手製蕎麦入用之具」というのがあって、自分用に作った(誂えた)そば打ち道具とそれに関わる道具類一式を記している。
主だったものを挙げると  麪板一枚、麪棒一本、木鉢一ツ、一合升一ツ、切麪板一枚、包丁一枚・・・  その他 湯桶一ツ、重箱一組・・・などとある。要するに主たるそば打ち道具は、延し台(打ち板)と木鉢(こね鉢)、麺棒(打ち棒)一本、切り板(まな板)と包丁だけである。

 著者のそば打ちの力量を推し量ることは出来ないが、揃えた道具類は著述の内容や著者の知識水準から考えて、少なくとも当時の本式のそば打ち道具に匹敵するものであったと推測できる。とすると、まだこの時代(〜1751年)は、使っていた麺棒は一本であり、そばを切る時に使う小間板は存在していなかったことになる。
一本の麺棒で丸く延し広げ、畳んだ生地に手を添えて切る「手ごま」で切っていたのである。
おそらくそのほとんどは座った姿勢であり、全国各地に伝わっている郷土そばがごく最近まで打っていたのと共通する手法で、一本の麺棒でそば生地を丸く大きく延し広げ、畳んだ生地に左手を添えながら切っていく方法であった。

 これに対し、江戸流に代表される現在のそば打ちは、立った姿勢で、麺棒はのし棒一本と巻き棒二本を使い、丸(円)の工程から四角(正方形→長方形)にしながら薄く広く延し、畳んだ生地を「小間板」という一種の定規様の添え木を使って切る手法に変わっている。これは、そば切りが庶民の趣向にも合ってそばの需要が増えていくのに対応するために、そば打ち職人が工夫を凝らしていく過程からあみ出された手法であるといえる。
一方で、全国各地には伝統的な郷土そばの文化と独自のそば打ちの技法も多く伝わっているが、時代とともに効率的な江戸流の打ち方に変わっていく方向にある。これら郷土に伝わる古くからのそば打ちの技法がこれからも埋もれてしまうことなく大切に伝承されていってほしいものである。 



参考資料
 江戸時代・文献に見る「そばを切る包丁」 


 文献に見る「そば切り包丁
 以下は、江戸時代初期から中期、後期のすこし前の文化4年(1807年)まで、文献に登場している「そばを切る包丁」を抜粋したものである。ここで見る限り、現在「そば切り包丁」の一般的な特徴である刃が柄の真下まで伸びた(柄が刃の中心付近まで侵入した)ものは見あたらない。
おそらく、現在のような形状は文化・文政または江戸・後期といわれる天保(1830年)以降の出現ではなかろうか。
ただ、いちどに打つそばの量が増えるに従って、切るそば生地の畳んだ厚みや切り巾も増すことになり、包丁の大型化と重量化は進んでいったことは推測できる。

おそらく、小間板出現の歴史も同じような歩みを経たのではなかろうか。

    
   「大坂市街図屏風」より
  慶長(1596〜)寛永(1624〜) 

             
    「酒餅論」より      
   寛文(1661〜)・元禄以降(1688〜)              

    
      
    「絵本御伽品鏡」より  
     享保15年(1731)

     
   「仇敵 手打新蕎麦」より
    文化4年(1807)


     
 現在の一般的な「そば切り包丁」の形状

大きさ(刃渡り)や重量など 比較するすべはないが一度におおくの蕎麦を、しかも、麺を長く切る必要性から重さと刃渡や刃幅、更に刃が柄の真下(柄が刃の中心付近まで侵入)という工夫がされている。

下左の図は茶湯献立指南」元禄9年(1696)に書かれた包丁拾弐扱之図、すなわち12種類の用途別包丁である。その中の包丁「蕎麦切」はおそらく「そば切包丁」と記述された初見であろう。
右端の包丁は、ほぼ同じ頃の羮学要道記」元禄15年(1702)に見える蕎麦斬包丁」であるが、いずれも基本的には、現在のような特化は見られない。
双方とも「酒餅論」寛文(1661〜)・元禄以降(1688〜)に見る包丁の形状や重量感と極めて似ている。


       


 以下は、宝暦4年(1754)に刊行された「日本山海名物図会」(平瀬徹斉著、長谷川光信画) 巻之三のなかにある「堺庖丁」の図の部分である。
出刃・薄刃・刺身包丁・まな箸・たばこ包丁、いずれも名物であるとして、店頭風景が描かれている。
この時代、いままで見てきた包丁との異なる特徴は、刃幅(天地幅)の広い形状が見られる。
*まな箸(真魚箸)