そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

用捨箱 (ようしゃばこ)
 
江戸後期の戯作者・柳亭種彦の考証随筆で天保12年(1841)刊。下之巻十五で「温飩(うんどん)の看板」に「昔は温飩おこなはれて、温飩のかたはらに蕎麦きりを売る。今は蕎麦きり盛んになりて、其傍に温飩を売る。」と書いている。江戸も昔は、麺類屋はうどんを主で商ってそば切りはほんの少し置く程度だったが、天保12年(1841)の頃にはまったく逆転してそば切りが主でうどんはほんの少し置く程度だと、江戸におけるうどんとそば切りの逆転現象について書いている。 以下の項参照:「むかしむかし物語」では、「寛文4年頃(1665)には、麺類を扱うほとんどの店の看板が「うどん蕎麦切り」だったとあり、天保8年(1837)起稿の「守貞謾稿」に、「上方ではうどん屋が主になってうどん屋で蕎麦も扱われ、江戸はそば屋でうどんが売られるようになった。」とある。
 
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