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藪蕎麦 |
「薮」という名称の興りそのものは江戸・雑司ヶ谷鬼子母神の近くのやぶのなかにあった百姓家の「爺が蕎麦」で当初は「薮の内」とも言われたそうだが、名物であったので藪蕎麦を名乗る店があちこちに現れている。江戸・本郷団子坂にあった「蔦屋」もやはり竹藪のなかにあったが、そこの連雀町店を引き継いだのが今の神田・薮蕎麦の堀田七兵衛初代だという。その以前は蔵前で「中砂」という店をやっていて、北池袋にある西念寺の墓石には「大阪屋七兵衛」とあってもともとは大坂の砂場系出身だったという。 |
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藪の蕎麦切 |
享保年間(1716-1735)刊行の「江戸名所百人一首(神社仏閣江戸名所百人一首)」は上句に小倉百人一首の一部を、下句に江戸の名所の名を入れている。雑司谷鬼子母神では藪の蕎麦切を描いている。この店は「蕎麦全書」でも藪の中爺が蕎麦として登場している。 |
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