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大抵御覧 |
大坂の「砂場」が江戸に進出したいきさつはわかっていないが、安永8年(1779)刊の洒落本で、当時の江戸三景の賑わいを描いている「大抵御覧」のなかに「砂場そば」の名が出ている。当時の江戸三景とは今戸の三橋亭、三叉中洲、高田の富士で、文章の内容は「・・・でんがくしぎやきかば焼酒西瓜の立うり瓜夏桃あなたこなたへ漕ちがふさて又陸には砂場そばにしき団子に大仏餅いくよ餅に蛇目酢ゆで枝大豆・・・」とあるので、三叉中洲、すなわち有名な歓楽地のあった日本橋中州町あたりのことであろう。この他にも、天明年間(1781〜1789)刊の「江戸見物道知辺」のなかに「浅草黒舟町砂場蕎麦」の名前は登場している。 |
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