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難波村百姓市
 
江戸時代、大坂の青物市場といえば天満だが、これ以外の野菜産地でも野市的なものが発生していて、例えば難波村百姓市だとか堀江の青物市などがあった。このことからも難波村は有数の野菜産地であったことがわかり、大坂近郊の畑場八ヶ村のひとつであった。享保10年(1725)に難波百姓市である青物の立ち売りが禁止された際、難波村が大坂町奉行所にたいして「乍恐御訴訟申上候」と訴えを出している。おおよその内容は「難波村は畑地であり、冬春は麦を六分作り、菜・大根・ねぶか・わけぎ・かりぎなどで四分、夏秋には藍・木綿がおよそ六分で、茄子・干瓢・白瓜・冬瓜などを作っていて年中青物が絶えない」とある。
 
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